ACT.5 脱出
(……こんな船に……乗ってるんだ……)
などとぼんやり思いながら、ミロはカレンを抱えたまま床に両膝をついた。そして顎から滴る汗がカレンの顔に掛かった瞬間、たった今気を失ったばかりのカレンが飛び起きた。
「……おわっ!?なんだっ!?」
カレンは頭上の物体には気付かず、ミロの顔を見て驚いた。ミロは明らかに憔悴した顔をいていたが、それよりもミロのオレンジ色の瞳が暗く濁っているのを見たカレンは、何故か激しい焦りを感じた。
「……オイ、どうしたんだよ!?」
ミロは弱々しく微笑んで答えた。
「……大丈夫……ちょっと疲れた、だけ……あとは君に、やってもらうよ……」
「……あ?」とカレンはミロの視線を追ったが、次の瞬間「うっ!?」と呻いて身を竦めた。そしてその見たこともない巨大な物体を呆然と仰ぎ見ながら呟いた。
「……な……」
しかし、「ちょっとケイっ!ケイってば!」という署長の声が響き、咄嗟にカレンはミロを掴んでもの影に身を潜めた。そしてミロの胸ぐらを掴みながら、浮遊する巨大な瓶を見て囁いた。
「……こ、こりゃなんだ?……まさか、お前が出したのか?」
ミロは眩しそうな目をして、か細い声で答えた。
「……君の、船だよ……」
それは何故か嘘には聞こえず、カレンは眉間に皺を寄せて呆れたような驚きの声をあげた。
「はあっ!?……このバカでけぇ瓶が船かよ!?……つーかアタイの船ってなんだよ?」
「だから、君の船さ……君のイメージで……俺が作った……」
「……作ったぁ?……ってオラッ!」
ミロの身体が大きく揺れて、カレンは思わずミロの身体を支えた。
「しっかりしろっ!」
ミロはきつく目を閉じて、一度息を吐いてから言った。
「とにかく……これは君の船だ……君なら……乗れる……これで……」
ミロは喘いで最後まで言えなかったが、残りの言葉はカレンの頭に届いていた。そして何故かミロの言葉は、最初から疑う余地のない言葉としてカレンの心に響いていた。
「……よしっ!!……んで、どーやって乗るんだよ?」
ミロは目を閉じたまま呟いた。
「今…作る………タレス……」
「作るって……オッ!?」
瓶の首の部分が輝き、瓶の中で幾何学的な光る模様が現れた。カレンがその綺麗な模様に魅入っていると、五秒ほどで模様が消えて手のひらサイズの小さなハッチがカシュッと開いた。カレンは青筋を立てながらミロを睨めつけて言った。
「……おい、アタイは小鳥か?……うおっと!」
しかしミロは倒れかけ、カレンはミロを抱き起こして言った。
「オイッ!しっかりしやがれっ!!逃げんだろ!?」
「……ダメだ……目眩が…………」
「男のクセに弱音吐くんじゃねぇっ!!ほらっ、もう一回やるぞっ!」
「……」
しかし、ミロの限界は疾うに過ぎていた。ミロはガクリと項垂れ、カレンはミロの身体から生気が抜けて行くのを感じた。
「……どうした?……オイッ!手伝ってやるから、どうやったらいいんだよ!?」
カレンはミロの肩を乱暴に揺すったが、ミロは力無くカレンの胸に倒れた。
「オイッッ!!寝んのはまだ……」
ミロを抱いた時、不意にカレンの胸に死の匂いが広がった。そして自分がついさっき死にかけたことを思い出したカレンは、その恐怖を怒りに変えて叫んだ。
「起きろっ!起きろってばっ!!……」
しかし死の匂いは消えず、ミロの閉じた目から滴が零れ落ちた瞬間、カレンは無意識にミロを抱きしめて絶叫していた。
「起きやがれーーっっっ!!!」
ガゴッッ!!
「っ!?」
咄嗟にカレンが振り返ると、巨大な瓶の首が縦にパックリ割れて迫って来ていた。
「……ニャっ、ニャーーーっ!?」
そして瓶は、そのままミロとカレンを床ごと飲み込んだ。カレンの叫びを聞いたミロは、薄れ行く意識の中で(乗るんじゃなくて、船が乗せれてくれたらいいのに)と都合のいいことを考えながら気を失った。そしてその願いは叶えられ、瓶は音もなく浮上し始めた。
(……な……なんなのよ……)
カレンが何かを喚いていたのは聞こえていたが、署長は水を被って気を失ったケイの介抱に気を取られ、カレン達に構っていられなかった。しかしケイが意識を取り戻すと同時に巨大な瓶が動き出し、瓶はまるで生き物のようにカレン達を飲み込んで浮き上がった。
「センパイ……瓶が……飛んでる……」
「……うん」と頷いて、署長はケイの顔色を確かめながら尋ねた。
「ケイさ……瓶型宇宙船って……あーゆーんじゃないよね?」
ケイは空を見上げながら答えた。
「うん……だってあれ、瓶だよ」
「………だよねえ」
その瓶は逆さのまま、ゆっくり空へ昇っていった。
何度か引いてみたが無理だと判断した少女は、腕を組んで覚悟を決めてから言った。
「……もし!……もーーしっ!……ちょいとネコさんっ!その大きくて重いお尻をすぐさまどけていただけませんこと?」
「……ん?」
カレンが少し動いたのでもう一度引いてみたが、やはりどうにもならないと思った少女は息を吸い込んで声を張った。
「ネコさんっ!あーなーたーのっ、おーしーりーがっ、ワタクシのスカートの裾を踏んでますのっ!!」
「……あ?」
カレンは手の甲で目を擦りながら、寝ぼけ眼を声の主へ向けた。そして一度近づいて少女の顔をよく見て、ゆっくり離れてから怪訝そうに呟いた。
「……なんでおめぇがいるんだよ?……」
目の前にいる金髪の少女は確かに見覚えがあり、拉致しようとした記憶も残っていた。しかしはっきり思い出そうとすると様々なことが断片的に浮かんできて、カレンは軽く頭を振りながら記憶を整理した。その拍子にカレンのお尻からスカートが抜けて、少女はスカートの皺を手で伸ばしながら不機嫌そうに答えた。
「そんなこと知りませんワよ!気が付いたらここにいたのですワ!」
そしてカレンは(……そーいやアタイ……瓶に……)と最後のシーンを思い出し、同時に青い髪の男を思い出して辺りを見回した。カレン達がいる場所は薄暗い通路のような場所だったが、どこにも男の姿はなく、突然カレンは少女の胸ぐらを掴んで言った。
「っ!?」
「オイ、てめぇ……」
しかし少女は「ストップ!」とカレンの鼻に右手を当てながら、右手で自分の頭上を指さして素っ気なく言った。
「……学習能力がありませんの?」
「あ?……」
カレンが顔を上げると、頭上には金と銀の球体がふわりと浮いていて、カレンは座ったまま器用に後退って言った。
「おわっ!?こっ、こいつらもいたのかよっ!?」
少女は襟を正しながら、愉快そうに答えた。
「フフッ……ワタクシのガーディアンですもの、当然ですワ」
カレンは顔をしかめて、思ったことをそのまま口に出していた。
「あ、アタイこいつら嫌いだ!……でっけぇ目玉みてぇで気味わりったらありゃしねぇ!」
少女は一度眉を顰め、それから顎を突き出して素っ気なく言った。
「まぁ、気の毒なネコさんですワ……この愛らしさがわからないなんて……」
「あ゛?……そーいや誰がネコだって?アタイは虎だ!ネコじゃねぇ!」
しかし少女はカレンの剣幕に物怖じせず、カレンの頭を指さしながら意地悪そうに口元を歪めて言った。
「あら、その可愛いお耳はどう見てもネコさんでしょう?」
「うっ……み、耳はカンケーねーだろっ!アタイは……ほわっっ!?」
カレンが少女ににじり寄ると、途端にガーディアンの目の色が変わった。カレンは困り切った顔でガーディアンと少女を交互に見ながら、情けない声を出した。
「……ちょっとよ……もうお前をどうこうする気はねぇからさぁ……こいつらにアタイを襲わねぇように言ってくれねぇか?」
不気味な目玉にいつも見られている気がして、カレンはガーディアンが気になって仕方がなかった。少女は首を傾げ、カレンの目を覗き込んでから答えた。
「ふーん……ちっとも信じられませんけど……まぁ、ネコさんが何をなさろうとこの子達に敵うはずありませんから、よろしいですワ」
そして少女はカレンを指さしながら、ガーディアンに向かって優しく言った。
「いいこと?このネコさんは悪いネコさんじゃないみたいだから、大丈夫ですワ」
ガーディアンは少女の後方の天井に落ち着いて、カレンが特に気味が悪いと思っていた緑の目をした金色のガーディアンが後ろを向いてくれた。カレンはやれやれと肩の力を抜いて少女に礼を言った。
「……ふぅ……ありがとよ!」
「どういたしましてですワ」
そして安心したカレンは、そもそも自分が何を言おうとしていたかを思い出した。
「そうだ、ところでよ……お前、青い髪の毛の野郎知らねぇか?」
「……オレンジ色の瞳の案内人さんのことでしたら、わかりませんワ……でも、そう言えばここは……」と少女が改めて辺りをきょろきょろと見回した時、プシュッとカレンの後ろのドアが開いてミロが現れた。
「あ、気が付いたんだ!……あのさ、名前なんて言うの?」
「あら……そういえば自己紹介がまだでしたワね、ワタクシは……」と少女は言葉を詰まらさせたが、幸いミロの求めた答えは違っていた。
「ああ、えっと……この子達さ。名前あるよね?」
「!?」
ミロが差し伸べた手にガーディアンが寄ってきたので、生まれてはじめて自分以外にガーディアンが応じた瞬間を見た少女は目を丸くして驚いた。しかし、少女の驚きの表情をミロに無視された不満とみたカレンは、思わず吹き出していた。
「……ブハハッ!」
ミロの行為は確かに不満だが、それよりカレンの笑い方の方が癪に障り、少女は一度カレンを睨めつけてから素っ気なく答えた。
「……その子達に触らない方がよろしいですワよ。……名前は金色がムーで、銀色がスーと言いますの」
「へー……あっ、スーは女の子なんだね」
「……」
ガーディアンに性別は無いので、少女は怪訝そうに小声でカレンに尋ねた。
「ネコさん……彼、どんな方ですの?」
「……いや、会ったばっかでアタイは知らねぇけど……あっ!」
カレンは立ち上がり、きょとんとしているミロに歩み寄った。そしてミロの瞳をまじまじと見つめながら尋ねた。
「お前……具合大丈夫なのか?」
ミロの瞳にあの時の濁りはなく、ミロは微笑んで答えた。
「うん、大丈夫。ありがとう!」
「……」
カレンはミロから目を逸らし、軽く安堵の吐息をついてから言った。
「……別に礼を言われるこたぁねえけど……動いてねぇで、もうちっと休ん方がいいんじゃねぇか?」
ミロは一瞬きょとんとしてからにこやかに答えた。
「……大丈夫だよ!ちょっと寝たら結構スッキリしたし……それにほら、見なよっ!」
ミロは左の壁を指さしたが、カレン達が見ても壁には何もなかった。
「もっと近づいてさ」
ミロは壁に歩み寄り、壁におでこをつけるほど近寄って言った。
「ほら、あれが俺達がいた星」
「……ニャにぃっ?」
「……なっ……なんですってぇ!?」
黒い壁は半透明な物質で宇宙が透けて見えていただけであり、よく見ると確かに小指の先程の丸い点が見えた。二人ともそれが本当に自分達がいた惑星かどうかわからなかったが、今は宇宙にいることだけは確かだった。
「はぁ……あんな遠くに……」と溜息混じりに呟いて、少女はガクリと項垂れた。元々逃げようと思っていたカレンはともかく、もうしばらく滞在しようと思っていた少女は、もう一度溜息をついた。不可抗力とはいえ、流れで巻き込んでしまった責任を感じたミロは少女に謝った。
「……ごめんね……」
しかし少女は急に顔を上げて、覇気のある声で言った。
「まっ……しかたありませんワね!」
そしてミロとカレンに向かって溌剌とした声で続けた。
「……あらためまして、はめまして!ワタクシはリン・ダ……リンと申します。……リンダとお呼びになって結構ですワ!以後よろしくお願いいたしますワね!……さ、次はネコさんの番ですワ」
「……」
ミロとカレンは急に元気になった少女に少し面食らったが、カレンは不敵な笑みを浮かべて、聞き捨てならない少女の言葉に噛みつきながら答えた。
「だからネコじゃなくて、虎だっつってんだろ……アタイにはカレンって立派な名前があるんだ!女海賊カレンってなぁアタイのことさ!」
「……まぁ、カレンだなんて、様子とは違って美しい名前ですワね」
それはリンダの率直な感想だったが、印象と名前のギャップがあり過ぎたのか、余計なことまで言ってしまった。カレンは一度眉をひくつかせ、声のトーンを落として素っ気なく答えた。
「……お前はそのこまっしゃくれた質にぴったりな名前だな……」
「……」
一触即発の空気を感じたミロは、慌てて割って入った。
「あー、えっと……女海賊カレンさんにリンダちゃん……はじめまして!……俺はアテン星系から来たミロって言うんだ。よろしく!」
リンダはまじまじとミロの顔を見て尋ねた。
「……アテン星系ですって?……あの、物と話すヘンな人達がいるって奇妙な星系の?」
言ったそばから、リンダはよくない言い方をしたと後悔したが、ミロはリンダがアテン星系を知っていたことに驚きつつ、リンダとはじめて会った時のことを思い出しながら苦笑した。しかし、もしも自分が故郷を貶されたら問答無用で殴りつけるカレンは、少し呆れた声で尋ねた。
「おい……喧嘩売ってるわけじゃねぇよな?」
悪いと思っていたリンダは、すぐに頭を下げて謝罪した。
「ち、違いますワ!……ごめんなさい」
「いや、謝ることないよ!気にしないで。アテンがそう思われてるのは確かだからさ」
リンダに悪気がなかったことを感じたカレンは、一言多いのは天然だろうと思いながらミロに向き直って言った。
「あー……ミロ」
ミロがきょとんとカレンを見ると、カレンは耳をピクピク動かしながら一度目を逸らして、もう一度ミロの目を見て言った。
「あー……アタイは海賊だ。受けた恩義は必ず返す。なんだかよくわからねぇが……あんたはアタイの命の恩人だ。……なんでも言ってくれ。力になる」
カレンは、撃たれてから目覚めるまでのことは殆ど覚えていなかった。しかし誰かの温もりの中で身体の痛みが消えたことはおぼろげに覚えていて、自分を助けたのはミロに違いないと思っていた。ミロは傷を治したのは自分ではないと答えようとしたが、カレンはドラーゴを見ていないし話しても到底信じてもらえるとは思えず、ここは胸に伝わってくるカレンの素直な謝意を受けることにした。
「……うん、ありがとう……でも、恩とかは気にしないで」
「……」
カレンがにやりと口元を歪めたので、ミロはそれを了解と受け取ったが、この時のミロは「受けた恩義は死んでも返す」という「宇宙海賊の掟」を知らなかった。一方リンダは、カレンの話しは自分が気を失った後のことだと思ったが、カレンに放り投げられたのを思い出した瞬間腹が立ってきた。
「……そういえばネコさん?……ワタクシ、あなたに狼藉を受けたと思いますが、お忘れになって?」
(チッ、やっぱ覚えてやがったか)と思いつつもカレンは一応謝ろうとしたが、出てきた言葉は違っていた。
「あー……しゃーねーだろ。あんときゃあーするしかねぇし……大体おめぇがガーディアン出さねぇで素直に人質になってりゃ、すんなり博物館から出られたんだよ」
(……博物館じゃないんだけど)とミロは思ったが、リンダは口元をひくつかせながら冷静に尋ねた。
「……今はっきり思い出しましたワ。……ねえネコさん?あなた、博物館の船を要求してましたワね?」
(だから、生物館なんだけど……)とミロは思ったが、カレンは答えず無言でそっぽを向いた。そしてリンダが「…そう」と呟き右手を挙げると、まるで瞬間移動したかのようにリンダの両脇にガーディアンが出現した。
「いっ!?」
カレンは一気に壁まで退き、リンダを指さして言った。
「てめぇっ、そ、それは卑怯だぞっ!それからアタイはネコじゃねぇっつってんだろっ!」
「あら、卑怯なのはどちらかしら?ねえ、ミロさん?」
突然ふられたミロは、慌てて取り繕った。
「ええっ!?……いや、あの……リンダちゃん、も、もう済んだことだしさ!……ね?」
「そーだそーだ!済んだんだから、いーじゃ……ふニャあっっ!?」
目の前にガーディアンが迫り、カレンは壁に張り付きながら情けない声をあげた。
「わ、わかったよっ!……アタイが悪かったよっ!ごめんよっ!!」
リンダは左手を挙げてガーディアンを下がらせ、腰に手を当てながら満足そうに鼻を鳴らして言った。
「フンッ!……はじめから素直に謝ればよろしいのですワ!……でもミロさん?」
「……え?」
リンダはミロを軽く睨めつけて言った。
「……そもそもミロさんがワタクシを置いて行かなければよかったのですワ!」
「そーだっ!お前がテレパスなんか使わなきゃ、こんなクソ危ねぇガキんちょに手ぇ出さなくて済んだんだよ!」
よもや矛先を向けられるとは思いもよらず、ミロは両手を挙げて激しく狼狽えた。
「い、いや……そう言われても……」
しかし、リンダの矛先はまたカレンに向けられた。
「……ちょいとネコさん?今ワタクシを、何とおっしゃいました?」
「あ゛?……てめぇこそ、ネコじゃねぇって何回言わすつもりだ?」
「ちょっ、ちょっと待って!二人とも落ち着いてっ!」
しかし二人はミロを睨めつけ、口を揃えてを猛然と言った。
「おめぇは、黙ってろっ!!」
「あなたは、黙っててっ!!」
「あ……ハイ……」
ミロは後退り、身長差が五〇センチ近い二人の女性が睨み合う姿を眺めながら(もう……好きにして)と思いつつ……さてこれからどうしよう?……とりあえず食べる物が先かな?……でもまあ、どうとでもなるか……などと暢気なことを考えながら、足掛け五年も住んでいた惑星に心で別れを告げた。
つづく