墨汁とベタと焼き鳥と 第1話:椎名町の木造アパート
作者のかつをです。
本日より、第二章「墨汁とベタと焼き鳥と ~トキワ荘、まんが道が生まれた部屋~」の連載を開始します。
今回の主役は、伝説のアパート「トキワ荘」に集った、若き漫画家たち。
彼らの青春が、いかにして、未来の漫画界の礎を築いたのか。その奇跡の物語です。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
2025年、東京。
とある漫画家の仕事場で、若いアシスタントが、黙々とペンを走らせている。
彼の仕事は、キャラクターの背景に、緻密な街並みを描き込むこと。師である漫画家の絵柄に完璧に合わせながら、物語の世界観を構築していく、専門性の高い仕事だ。
漫画家一人では、週刊連載という過酷な戦場を生き抜くことはできない。
彼らのようなアシスタントの存在が、現代の漫画制作を支えている。
私たちは、その師弟関係を、当たり前のものとして受け入れている。
しかし、その「当たり前」の原点が、かつて東京の片隅に存在した、一軒の古びた木造アパートにあったという事実を、知る者は少ない。
これは、後の巨匠たちが、一つの屋根の下で貧乏暮らしをしながら、夢とインクを分け合った、奇跡のような日々の物語である。
物語の始まりは、1953年。
「漫画の神様」手塚治虫が、仕事場を求めて移り住んだ、東京都豊島区椎名町。
そこに、新築の木造二階建てアパートがあった。
その名は、「トキワ荘」。
しかし、神様は、あまりにも多忙すぎた。
鳴り響く電話、ひっきりなしに訪れる編集者。静かな執筆環境とは、ほど遠い。
わずか一年で、手塚はトキワ荘を去ってしまう。
神様が去った後、その部屋に、最初に入居した男がいた。
漫画家の、寺田ヒロオ。
誠実で、温厚な人柄の、若きリーダー的存在だった。
そして、翌年の1954年。
一本の電話が、トキワ荘の歴史を、大きく動かすことになる。
電話の主は、富山で共同生活をしながら、漫画を描いていた、二人の青年。
藤本弘と、安孫子素雄。後の、藤子不二雄である。
「手塚先生が住んでいた、トキワ荘が空いているらしい。僕らも、東京へ行こう!」
大きな夢と、少しの不安をカバンに詰め込み、二人は夜行列車に飛び乗った。
彼らがたどり着いたトキワ荘。
そこは、お世辞にも、立派な建物とは言えなかった。
ギシギシと音を立てる、急な階段。
共同の炊事場と、共同のトイレ。
壁は薄く、隣の部屋の咳払いさえ聞こえる。
四畳半一間の、狭い、狭い城。
しかし、二人の目には、その古びたアパートが、希望の城のように、輝いて見えた。
敬愛する手塚治虫が、確かに、ここにいた。その残り香が、まだ、部屋の空気に漂っているようだった。
この、椎名町の木造アパートに、やがて、まだ何者でもない、若き才能たちが、吸い寄せられるように、集い始める。
日本漫画の、奇跡の数年間が、始まろうとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第二章、第一話いかがでしたでしょうか。
トキワ荘は、もともと、学習院大学の学生向けのアパートとして建てられたそうです。まさか、そこが、漫画の聖地になるとは、大家さんも夢にも思わなかったでしょうね。
さて、若き才能が集い始めた、トキワ荘。
しかし、そこは、ただの共同住宅ではありませんでした。
彼らの創造性を育んだ、ある「空気」が存在したのです。
次回、「テラさんのルール」。
トキワ荘の、知られざる精神的支柱に、光を当てます。
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