鉄腕アトム、お茶の間へ 第4話:徹夜とリテイクの嵐
作者のかつをです。
第十二章の第4話をお届けします。
日本のアニメ制作現場の過酷さ、そのすべての原点がここにあります。
今回はその伝説の壮絶な舞台裏と、それを支えた作り手たちの純粋な想いを描きました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
1963年1月1日。
記念すべき『鉄腕アトム』の第一話が、ブラウン管に映し出された。
視聴率は驚異の27.4%。
日本中の子供たちが動くアトムに熱狂した。
しかしその華々しい成功の裏側で、虫プロのスタジオはまさに地獄の様相を呈していた。
週一、30分のアニメ制作。
リミテッド・アニメという魔法の武器があっても、それはやはり狂気の沙汰だった。
スタジオは24時間明かりが消えることのない不夜城と化した。
若いアニメーターたちは机の下に段ボールを敷いて仮眠を取り、目が覚めればまた鉛筆を握る。
徹夜は当たり前。三日、四日家に帰れないことも珍しくなかった。
彼らをさらに苦しめたのが、総監督である手塚治虫の悪魔のようなこだわりだった。
彼は神様であると同時に、決して妥協を許さない完璧主義者だった。
放送日の前日。
すでに完成間近だったフィルムをチェックした手塚が突然叫ぶ。
「ダメだ、これじゃ! アトムの表情が死んでいる!」
「全部、描き直せ!」
その鶴の一声。
それはスタッフにとって死刑宣告にも等しかった。
そこから放送時間までの数時間、スタジオは修羅場と化す。
原画マンが血を吐くような思いで新しい原画を描き上げる。
動画マンが震える手でそれをセルにトレースする。
仕上げの女性たちが猛烈なスピードで色を塗り、撮影スタッフがそれを一コマ一コマフィルムに収めていく。
完成したフィルムの缶はまだ生温かいままバイク便のライダーの手に託される。
彼は首都高速を法定速度無視で爆走し、放送局へとそれを届ける。
放送開始数分前にフィルムがテレビ局に到着する、などという綱渡り。
それが毎週毎週繰り返されていたのだ。
なぜ彼らはそこまでして戦い続けたのか。
それは手塚治虫という一人の男が放つ異常なまでの熱量に当てられていたからだ。
彼は誰よりも眠らず誰よりも描き続けた。
その鬼気迫る背中が若いスタッフたちの最後のプライドを奮い立たせていた。
そして何よりも、テレビの向こう側で目を輝かせながらアトムの活躍を待っている子供たちの顔。
その顔を裏切ることだけは絶対にできなかった。
彼らはまさに命を削って、毎週ブラウン管の向こうに夢を届けていたのだ。
この狂気と情熱の記憶。
それは「徹夜は文化」「リテイクは愛情」という日本のアニメ制作現場の歪んだ、しかし確かに存在するDNAとして、その後の半世紀にわたって受け継がれていくことになる。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
放送開始にフィルムが間に合わず放送事故寸前になったという逸話は、数えきれないほど残されています。有名なのは手塚治虫自身が原画をタクシーで運び、放送局の廊下を全力疾走したという話ですね。
さて、まさに火の車だった虫プロ。
しかし手塚治虫にはこの赤字をひっくり返すための秘策がありました。
次回、「赤字を埋める方法」。
神様のもう一つの経営者としての顔に迫ります。
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