日本初の漫画単行本「虫コミックス」の挑戦 第2話:アトムを本棚に
作者のかつをです。
第七章の第2話をお届けします。
どんな偉大な理想もそれを実現するためにはお金が必要です。
今回は神様・手塚治虫が抱えていた経営者としての知られざる苦悩と、その中で見出した未来への光明を描きました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
手塚治虫の理想は高かった。
「どうせ作るなら海外のコミックにも負けない、最高の品質のものを」
彼は本の判型、紙質、印刷のクオリティ、そのすべてに徹底的にこだわろうとした。
しかしその高い理想の前に、あまりにも厳しい「現実」が立ちはだかった。
当時の彼が率いる「虫プロダクション」は、深刻な経営難に喘いでいたのだ。
1963年から放送が始まった日本初の連続テレビアニメ『鉄腕アトム』。
それは社会現象ともいえる大ヒットを記録していた。
しかしその裏側で制作現場は火の車だった。
手塚はテレビアニメという新しい文化を日本に根付かせるため、常識外れの低予算で番組制作を請け負ってしまっていた。
作れば作るほど赤字が膨れ上がっていくという、悪夢のような自転車操業。
そんな会社の台所事情を社員たちは誰よりも理解していた。
「先生、正気ですか!」
「ただでさえアニメで火の車なのに、これ以上赤字の事業を抱え込むなんて!」
会議室で経理担当の社員が悲鳴のような声を上げた。
しかし手塚は頑として首を縦に振らなかった。
「分かっている。だがこれはやらなければならないんだ」
「今僕たちがやらなければ日本の漫画は永遠に子供向けの使い捨ての娯楽のまま終わってしまう」
彼の目には確固たる未来へのビジョンがあった。
テレビで毎週『鉄腕アトム』を観て熱狂している子供たち。
彼らはもっとアトムの世界に浸りたいと願っているはずだ。
その熱狂を受け止める皿が今の日本には存在しない。
もしアトムの単行本があれば。
子供たちはそれを自分だけのお小遣いで買い、宝物のように何度も読み返し友達と貸し借りをするだろう。
テレビの放送が終わっても物語は子供たちの本棚の上で生き続けることができる。
そしてその単行本の売上がアニメ制作の赤字を補填してくれるかもしれない。
キャラクターという資産を多角的に活用する。
現代でいう「メディアミックス」の壮大な構想が彼の頭の中にはすでにあったのだ。
「僕に考えがある。絶対にこの事業を成功させてみせる」
彼のそのあまりにも自信に満ちた、しかし何の根拠もない言葉に社員たちは押し切られるしかなかった。
こうして虫プロの出版事業部はわずか数人のスタッフで産声を上げた。
潤沢な資金もノウハウもない。
あるのは漫画の神様が描いた壮大な夢と、アニメ制作の現場から聞こえてくる悲鳴のような赤字の数字だけだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
テレビアニメ『鉄腕アトム』の制作費は一本あたり55万円だったと言われています。これは当時の相場の三分の一以下という破格の安さでした。この時手塚が作った「アニメは安い」という前例がその後長く日本のアニメ業界を苦しめることになるという皮肉な側面もあります。
さて、無謀な船出を決意した虫プロの出版事業部。
彼らはいかにして前例のない「単行本」を作り上げていったのでしょうか。
次回、「赤字からのスタート」。
知られざる試行錯誤が始まります。
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