少年マガジンとサンデー、奇跡の同時創刊 第6話:運命の1959年3月17日
作者のかつをです。
第六章の第6話をお届けします。
ついに歴史が動いた運命の一日。
今回は二つの雑誌がいかにして日本の子供たちの心を掴み、新しい文化の扉を開いたのか。その熱狂の始まりを描きました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
1959年3月17日、火曜日。
その日の早朝の空を、まだ覚えている者は少なくない。
夜明けと共に、全国の書店や駅の売店の前に、真新しい二種類の雑誌がうず高く積み上げられていった。
片や力強いロゴが躍る、『週刊少年マガジン』。
表紙を飾るのは、当時絶大な人気を誇った大相撲の横綱、朝潮太郎。
その圧倒的な存在感が、雑誌の骨太なイメージを象徴していた。
片やポップなイラストが目を引く、『週刊少年サンデー』。
表紙を飾るのは、読売ジャイアンツの若きスター、長嶋茂雄。
その爽やかで華やかな笑顔が、雑誌の明るいイメージを象徴していた。
相撲の講談社。
野球の小学館。
両誌は表紙の時点から、すでに激しい火花を散らしていた。
学校の授業を終えた子供たちが、なけなしの小遣いを握りしめ、一斉に書店へと走った。
彼らは、歴史の最初の目撃者だった。
ページをめくる。
そこには、まだ誰も見たことのない熱狂の宇宙が広がっていた。
マガジンには、高野よしてるの汗と涙の柔道ロマン。ちばてつやの明朗快活な野球漫画。
サンデーには、手塚治虫のSFミステリー。寺田ヒロオのスポーツ根性ドラマ。
どちらも面白かった。
どちらも子供たちの心を鷲掴みにした。
その日、日本の出版界に新しい歴史が刻まれた。
週刊少年漫画誌、誕生の瞬間である。
創刊号の売れ行きは、両誌ともに好調だった。
マガジンが30万5000部。
サンデーが28万部。
数字の上では、わずかにマガジンの勝利。
しかしこれは、長い長い戦争の始まりを告げる最初の号砲に過ぎなかった。
この日から、日本の子供たちの一週間は変わった。
次の火曜日と水曜日が、待ち遠しくてたまらない。
教室では、マガジン派とサンデー派に分かれ、どちらが面白かったか熱い議論が交わされた。
月刊誌ののどかな時代は、完全に終わりを告げた。
ここから日本の漫画界は、毎週読者の人気を競い合う熾烈なサバイバルレースの時代へと突入していく。
そしてその過酷な競争こそが、日本の漫画を世界でも類を見ないほど多様で質の高い、巨大なエンターテイメントへと進化させる原動力となっていくのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
表紙を飾った朝潮と長嶋。まさに昭和を代表する二大スターでした。この表紙の人選からも、両誌がいかに本気でこの創刊に臨んでいたかが伝わってきますね。
さて、無事に大成功のスタートを切った二つの週刊誌。
しかし彼らは、すぐに新しい「神の声」に支配されることになります。
次回、「アンケートという名の神」。
現代にまで続く、漫画雑誌の宿命の物語です。
物語は佳境です。ぜひ最後までお付き合いください。
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