擬音を芸術にした男、石川球太 第3話:静寂を表現する「シーン」
作者のかつをです。
第五章の第3話をお届けします。
当たり前すぎて普段はその意味を考えることすらない「シーン」という描き文字。
しかしその発明がいかに漫画の表現を豊かにしたか。
今回はその知られざる功績に光を当てました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
描き文字の革命は派手な轟音や鋭い斬撃音を描き出すことだけではなかった。
彼らが漫画表現にもたらした最も偉大な発明の一つ。
それは皮肉なことに「音のない状態」を描き出したことだった。
「シーン……」
このあまりにも有名な描き文字。
今では当たり前のように漫画のページに登場するこの表現。
しかしこれがいかに画期的な発明だったか想像できるだろうか。
それまでの漫画において「静寂」とは、「何も描かれない」ことによってしか表現できなかった。
効果音がなければそこは静かなのだ。
読者はそう解釈するしかなかった。
しかしある日一人の天才が気づいた。
現実の世界では完全な無音などほとんど存在しない。
静寂とはむしろ耳が痛くなるほどの圧力を伴った「何か」ではないかと。
その「何か」を紙の上に描き出すことはできないだろうか。
そして「シーン」という描き文字が生まれた。
キャラクターが息を殺して物陰に隠れている緊迫した場面。
その背景に細く震えるような線で「シーン……」と描き込む。
その瞬間、魔法が起きる。
読者はその文字を読むことで逆にその場の「音のなさ」をより強く意識させられるのだ。
キャラクターの高鳴る心臓の鼓動やかすかな衣擦れの音さえ聞こえてきそうなほどの濃密な静寂。
それはまさに逆転の発想だった。
音を描くことで無音を表現する。
この発明は漫画にまったく新しい心理的な表現の扉を開いた。
二人のキャラクターが無言で対峙するシーン。
その間に「シーン……」という文字を置くだけで二人の間の張り詰めた空気感が手に取るように伝わってくる。
主人公が衝撃的な事実を知り呆然と立ち尽くすシーン。
そのコマの隅に「シーン……」と添えるだけで、彼の時が止まったかのような内面的なショックを読者は追体験することができる。
「シーン」という描き文字はもはや単なる擬音語ではなかった。
それはキャラクターの感情に寄り添い物語の「間」や「リズム」を巧みにコントロールする高度な演出装置となったのだ。
音を描く職人たちはついに人の心の中に鳴り響く声なき声さえも、紙の上に描き出す術を手に入れた。
日本の漫画が世界でも類を見ないほど繊細な心理描写を得意とするようになった、その大きな理由の一つがこのあまりにも静かな発明にあった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
「シーン」という描き文字を最初に発明したのが誰なのか。これもまた特定の個人を指すことは難しく、劇画の黎明期に複数の作家によって自然発生的に生まれてきたと考えられています。まさに文化の集合的な知恵ですね。
さて、音のない音さえも表現する術を手に入れた描き文字。
その力はやがてキャラクターの内面そのものを描き出す究極の表現へと昇華していきます。
次回、「漫画家との共作」。
あのあまりにも有名な「ゴゴゴゴゴ」の秘密に迫ります。
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