神様と呼ばれた男 第3話:コマという名のフレーム
作者のかつをです。
第一章の第3話、お楽しみいただけましたでしょうか。
コマの形を自由に変える。今では当たり前のこの表現も、手塚治虫が発明した、偉大なテクニックの一つです。
彼の頭の中では、常に、映画のスクリーンがイメージされていたのかもしれませんね。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
「時間の流れ」を生み出すことに成功した手塚治虫。
しかし、彼の探求は、さらに、その先へと向かっていた。
彼は、漫画のページを構成する、最も基本的な要素――「コマ」そのものに、疑問の目を向けたのだ。
当時の漫画のコマは、ほとんどが、同じ大きさの、行儀の良い四角形だった。
それは、物語を区切るための、単なる「枠線」でしかなかった。
しかし、手塚は、映画館の暗闇の中で、気づいていた。
映画監督は、カメラの「フレーム」を巧みに操ることで、観客の感情を、揺さぶっている、と。
ならば、漫画のコマもまた、単なる枠線であってはならない。
それは、読者の視線を導き、感情を演出するための、能動的な「フレーム」であるべきだ。
その日から、彼の原稿用紙の上で、コマは、まるで生き物のように、自由自在に、その姿を変え始めた。
主人公が、衝撃的な事実を知るシーン。
彼は、そのキャラクターの顔を、ページ全体を覆い尽くすほどの、巨大なコマで描いた。
読者は、否応なく、その驚愕の表情に、釘付けになる。
キャラクターが、過去を回想する、感傷的なシーン。
彼は、コマの角を丸くし、まるで古い写真のように、描き出した。
そして、激しいアクションシーン。
彼は、コマの形を、鋭い三角形や、不安定なひし形に歪ませた。
まっすぐな線が一つもない、そのページは、見るだけで、スピード感と、混乱が伝わってくる。
極めつけは、「見開き」の大ゴマだ。
左右のページを、一つの巨大なキャンバスとして使い、壮大な風景や、クライマックスの対決シーンを、圧倒的な迫力で描き出す。
それは、もはや、革命だった。
コマは、もはや、物語の容れ物ではない。
コマそのものが、物語を語り始めたのだ。
この、変幻自在のコマ割りは、当時の編集者たちを、さらに困惑させた。
「おいおい、これじゃあ、どこから読めばいいのか、分からんぞ!」
しかし、子供たちの反応は、違った。
彼らは、理屈ではなく、感覚で、その新しい漫画の文法を、理解した。
コマの形や大きさが、自分たちの心のドキドキと、完璧にシンクロすることを、知っていたのだ。
手塚のペン先から生み出される、新しい漫画の宇宙に、読者は、抗いがたい力で、引き込まれていった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
手塚は、後年、「漫画は、コマとコマの『間』を読ませる芸術だ」という言葉を残しています。読者の想像力をかき立てる、その見えない部分にこそ、漫画の面白さがある、と考えていたのです。
さて、時間と、コマの形を、手に入れた手塚。
彼の映画的表現は、さらに、深まっていきます。
次回、「ズームイン、クローズアップ」。
ついに、彼のペン先は、キャラクターの「心の中」にまで、迫っていきます。
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