擬音を芸術にした男、石川球太 第1話:活字から手描きへ
作者のかつをです。
本日より、第五章「「ゴゴゴ」は誰が描いたのか ~擬音を芸術にした男、石川球太~」の連載を開始します。
今回の主役は、漫画の「音」をデザインした知られざる職人たち。
今では当たり前の「描き文字」がいかにして芸術の域にまで高められていったのか。その物語です。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
2025年、東京。
漫画喫茶の個室で、一人の学生が格闘漫画のクライマックスを食い入るように読んでいる。
主人公の拳がライバルの顔面に叩き込まれる見開きのページ。
その背景には、「ドゴォォン!!」というページが破れんばかりの力強い描き文字が躍っている。
私たちはその描き文字を見て脳内でその音を再生する。
爆発の轟音、斬撃の鋭さ、そしてキャラクターが放つ不気味なオーラ。
漫画の「音」は絵と同じくらい雄弁に物語を語る。
しかしその「当たり前」がかつては存在しなかった。
漫画の音がまだ声を持たなかった時代。
その音に形と魂を与えた名もなき職人たちの物語である。
物語の始まりは1950年代。
手塚治虫が漫画表現に革命を起こしていたまさにその時代。
彼はそれまでコマの隅に活字で小さく記されていただけだった「擬音」を、絵の一部として自らの手で描き込むという画期的な発明を行った。
「ドカン」「シーン」といった描き文字は物語に新たな臨場感をもたらした。
しかしその表現はまだ記号的なものだった。
そして手塚の後に続いた多くの漫画家たちにとって描き文字は悩みの種でもあった。
自分は絵を描くプロだ。しかし文字を美しく力強くデザインする訓練は受けていない。
自分の描く文字はどうにも様にならない。
そんな中、もう一つの潮流が漫画界の地下水脈で力強く脈打っていた。
「劇画」である。
さいとう・たかをや辰巳ヨシヒロといった劇画の旗手たちは、手塚漫画とは違う徹底的なリアリズムを追求していた。
そのリアルな絵柄の中で漫画家が描く素人っぽい描き文字はひどく浮いて見えた。
物語の緊張感を台無しにしてしまうのだ。
貸本劇画の世界では次第にある分業が生まれていった。
絵は漫画家が描く。
そして効果音の文字は文字専門の職人に外注する。
最初は看板屋や広告デザイナーといった外部の職人に依頼されていた。
しかし漫画という特殊な表現。
その独特の文法を理解し最高のパフォーマンスを発揮できるのはやはり漫画の世界の人間だけだった。
やがて漫画家の中から絵を描くことよりも文字をデザインすることに、類稀なる才能を発揮する者たちが現れ始める。
彼らは自らの漫画家としての道を諦め、他の漫画家の作品を影で支える専門家としての道を選んだ。
「描き文字職人」あるいは「レタリング・アーティスト」。
まだ名前すらなかった新しいプロフェッショナルが産声を上げようとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第五章、第一話いかがでしたでしょうか。
描き文字の専門家という職業は、日本の漫画がいかに高度に分業化され専門化していったかを示す象徴的な存在です。まさに世界でも類を見ない独特の文化でした。
さて、漫画家を影で支える新しいプロフェッショナルたち。
彼らは一体どんな魔法で紙の上に「音」を描き出したのでしょうか。
次回、「音に形を与える仕事」。
知られざる職人たちの驚くべき仕事場に潜入します。
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