劇画、さいとう・たかをの静かなる宣戦布告 第3話:劇画工房、宣戦布告
作者のかつをです。
第三章の第3話をお届けします。
ついに「劇画」という新しい概念が誕生しました。
それが単なる画風ではなく、一つの明確な思想を持った芸術運動の始まりだったという熱気を描きました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
2025年、東京。
テレビのバラエティ番組で、タレントが大げさな表情を浮かべて叫ぶ。
「今の、めっちゃ劇画タッチでしたね!」
「劇画」という言葉はもはや誰もが知る、一つの画風を指す一般的な言葉となった。
影が濃く、線が太く、人物の表情がやけにリアルなあのタッチ。
しかしその言葉が、かつては一つの熱い思想を掲げた革命のスローガンだったということを、知る者は少ない。
1957年。
大阪の貸本漫画界で頭角を現し始めていた一人の若き漫画家、辰巳ヨシヒロ。
彼は自分たちが描いている新しいスタイルの漫画が、世間からひとくくりに「漫画」と呼ばれていることに強い不満を抱いていた。
「俺たちが描いているのは、子供向けの夢物語じゃない」
「もっと映画のように、ドラマチックでリアルな絵物語だ」
彼は自分たちの作品に、新しい名前を与えることを決意する。
ドラマチックな絵。
それを縮めて、「劇画」。
この新しい言葉の旗の下に、同じ志を持つ同志たちが集い始めた。
さいとう・たかを、松本正彦、佐藤まさあき……
貸本漫画界の、若き才能ある反逆者たちだった。
そして1959年。
彼らはついに、自らのアジトとなる共同仕事場を設立する。
その名は、「劇画工房」。
それはトキワ荘のような、和気あいあいとした青春のアパートではなかった。
プロのクリエイターたちが互いの才能をぶつけ合い、新しい表現を貪欲に探求する、緊張感に満ちた実験室だった。
彼らは毎晩のように熱い議論を交わした。
手塚治虫が発明した流れるような擬音の描き文字。
それを彼らはあえて拒絶した。
代わりに無機質な活字のような描き文字を使い、乾いた非情な世界観を演出した。
コマ割りもまた、手塚とはまったく違っていた。
映画の計算され尽くしたカメラアングル。
光と影の強烈なコントラスト。
登場人物の息遣いや沈黙といった、「間」を巧みに描き出す。
彼らは一枚の絵の完成度を、極限まで高めようとした。
「我々の仕事は、漫画ではない。劇画である」
それは漫画界の絶対王者、手塚治虫に対する若者たちのあまりにも大胆で無謀な宣戦布告だった。
彼らはペンを剣のように握りしめ、自分たちだけの新しい王国を築き上げようとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
「劇画」という言葉を生み出した辰巳ヨシヒロは、海外でも非常に評価が高く、彼の自伝的作品『劇画漂流』はフランスのアングレーム国際漫画祭で賞を受賞しています。
さて、熱い理想を掲げて結成された「劇画工房」。
しかしその理想だけでは、若者たちは生きていくことはできませんでした。
次回、「ペンはナイフに変わった」。
工房は崩壊。しかしその灰の中から、さいとう・たかをが新たな革命的なシステムを生み出します。
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