『COM』、手塚治虫が若者に託した夢 第4話:ぐら・こんという名の広場
作者のかつをです。
第十七章の第4話をお届けします。
『COM』の真価は、この投稿コーナーにありました。
今でいうSNSやコミケのような機能を、雑誌という紙媒体で実現しようとした手塚治虫の先見性には驚かされます。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
『COM』が漫画史に遺した最大の功績。
それは、「ぐら・こん」と呼ばれる読者投稿コーナーの存在だった。
正式名称は「グランド・コンパニオン」。
手塚治虫は、雑誌を単なる読み物ではなく、漫画家を目指す若者たちの修練の場にしようと考えたのだ。
従来の雑誌の投稿コーナーとはわけが違った。
そこには厳密な審査システムがあり、投稿された作品はプロの目線で批評され、点数をつけられた。
そして優秀な作品は、プロの漫画と同じように誌面に掲載された。
さらに画期的だったのは、投稿者同士の交流を推奨したことだ。
「ぐら・こん」には地域ごとの支部が作られ、漫画家志望の若者たちが実際に集まって同人誌を作ったり、合評会を開いたりするようになった。
孤独に机に向かっていた少年少女たちが、初めて「仲間」を見つけたのだ。
「君の漫画、面白いね」
「ここはもっとこう描いた方がいいよ」
日本中のあちこちで、漫画に青春をかける若者たちの熱いコミュニティが生まれた。
この「ぐら・こん」という広場から、後に日本を代表することになる数々の才能が巣立っていった。
あだち充、高橋留美子、諸星大二郎……。
彼らは皆、この場所で腕を磨き、互いに刺激し合い、プロへの階段を駆け上がっていったのだ。
手塚治虫は、彼らの作品を誰よりも熱心に読んでいた。
時には厳しく、時には温かく。
彼は自らの子供たちを見守るような目で、新しい才能の芽吹きを喜んでいた。
「漫画家になりたい」という漠然とした夢が、具体的な目標へと変わる場所。
『COM』は、巨大な漫画学校であり、才能の交差点だった。
このシステムは、後のコミックマーケット(コミケ)の精神的支柱ともなった。
プロもアマチュアも関係なく、ただ漫画を愛する者たちが集い、表現を競い合う。
その「同人誌文化」の源流は、間違いなくこの「ぐら・こん」にあったのだ。
手塚が作ったのは雑誌だけではなかった。
彼は、漫画の未来を担う「人」を育てようとしていたのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
「ぐら・こん」の会員証を持っていたことは、当時の漫画少年少女たちにとって一種のステータスでした。そこには、「自分たちは特別な場所にいる」という誇りがあったのです。
さて、数々の才能を育んだ『COM』。
しかし、その夢のような時間は長くは続きませんでした。
次回、「早すぎた理想」。
理想と現実の乖離が、雑誌を追い詰めていきます。
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