『COM』、手塚治虫が若者に託した夢 第2話:神様の号令
作者のかつをです。
第十七章の第2話をお届けします。
「COM」という名前に込められた意味。
それは一方的な発信ではなく、読者との「交流」を重視するという、当時としては非常に先進的なコンセプトでした。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
1966年、虫プロ商事の一室。
手塚治虫は集められた若い編集者たちを前に、熱っぽく語っていた。
「新しい雑誌の名前は『COM』にする」
COMICS(漫画)、COMPANION(仲間)、COMMUNICATION(対話)。
そのすべての頭文字をとった名前だ。
手塚の構想は明確だった。
単にプロの漫画家が作品を発表するだけの場ではない。
漫画家と読者が、あるいは読者同士が、漫画を通じて語り合い、共に新しい表現を模索する「広場」のような雑誌にするのだ。
「『ガロ』が閉じた密室の熱狂なら、我々は開かれた広場の熱狂を目指す」
彼は、当時の商業誌では敬遠されがちだった実験的な作品や、個人的なテーマを描いた作品を積極的に掲載することを宣言した。
そして何より、彼自身がその先頭に立つ覚悟を決めていた。
「僕も描くよ。今まで少年誌では描けなかった、僕のライフワークを」
手塚のその言葉に、編集者たちは身震いした。
神様が本気だ。
あの手塚治虫が、売れることや人気取りを度外視して、本当に描きたいものを描く場所を求めている。
さらに手塚は、石ノ森章太郎や永島慎二といった、当時の若手実力派たちにも声をかけた。
彼らもまた、少年誌の枠組みの中では描ききれない何かを抱えていた。
「手塚先生がやるなら」
「ここなら、自由に描けるかもしれない」
トキワ荘出身の天才たちが、手塚の号令の下に集結し始めた。
編集部は熱気に包まれていた。
儲かるかどうかは二の次だ。
とにかく、漫画という表現の限界に挑みたい。
見たこともないような凄い雑誌を作りたい。
その純粋で危険な情熱が、雑誌作りの原動力となっていた。
1967年1月。
ついに『COM』創刊号が世に放たれる。
その表紙には、手塚治虫が描き下ろした、炎をまとった不死鳥の姿があった。
それは彼自身の、そして漫画という文化そのものの再生と進化を象徴する、力強い宣言だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
『COM』の創刊号は即日完売するほどの人気だったそうです。当時の漫画ファンたちが、いかに「新しい何か」に飢えていたかが分かりますね。
さて、手塚治虫がこの雑誌のために用意したライフワーク。
それは日本漫画史に輝く不滅の金字塔でした。
次回、「火の鳥という生命」。
神様が描いた壮大な生命のドラマに迫ります。
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