商業主義に背を向けた伝説の雑誌 第2話:長井勝一の嗅覚
作者のかつをです。
第十六章の第2話をお届けします。
今回は、『ガロ』の魂そのものであった、伝説の編集長・長井勝一の驚くべき才能に光を当てました。
彼の「嗅覚」がなければ、日本のサブカルチャーの歴史は全く違うものになっていたでしょう。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
『ガロ』の編集部は、青林堂の社屋の一角にあった。
いや、編集部と呼べるような立派なものですらなかった。
そこは、編集長である長井勝一の机が一つぽつんと置かれただけの、小さな空間だった。
長井の仕事は、編集長であり、営業であり、経理であり、そして電話番でもあった。
彼はたった一人で、この小さな雑誌のすべてを切り盛りしていた。
そんな彼の元に、毎日、全国の漫画家志望の若者たちから分厚い封筒が届いた。
郵送されてくる、持ち込み原稿の山である。
長井の仕事は、その原稿の山に目を通すことから始まった。
商業誌の編集者のように、絵の上手さやストーリーの分かりやすさで原稿を判断することはなかった。
彼が持っていた物差しは、たった一つ。
「面白いか、面白くないか」
ただ、それだけだった。
彼の「面白い」の基準は、独特だった。
荒削りでもいい。稚拙でもいい。
しかしそのペン先に、作者の「魂」が宿っているか。
既存の漫画の常識を打ち破ろうとする、新しい「何か」が込められているか。
彼のその審美眼は、神がかり的とさえ言えた。
彼は、何百枚という原稿の山の中から、キラリと光る才能の原石を驚くべき嗅覚で見つけ出していく。
ある日、彼の目に一枚の奇妙な絵はがきが留まった。
そこに描かれていたのは、緻密で、どこか病的なタッチで描かれた奇妙な風景画だった。
長井は、その一枚の絵に得体の知れない才能の輝きを感じ取った。
彼はすぐさま、その絵はがきの送り主に連絡を取った。
「君は天才だ。ぜひ、うちで漫画を描かないか」
その若者こそ、後の『ねじ式』で漫画界に衝撃を与えることになる、つげ義春だった。
またある時、彼は一本のナンセンスな4コマ漫画に心を奪われた。
その、シュールで不条理な笑いのセンス。
「これは、新しいギャグの形だ」
彼は直感した。
その作者こそ、後に「ヘタウマ」という一大ムーブメントを巻き起こす、根本敬だった。
花輪和一、鈴木翁二、蛭子能収……
長井勝一というたった一人のフィルターを通して、商業誌では決して拾われることのなかったであろう、あまりにも個性的で、あまりにも異質な才能たちが、次々と世に送り出されていった。
『ガロ』は、もはや単なる漫画雑誌ではなかった。
それは長井勝一という稀代の目利きの、美意識そのものが結晶した一つのアート作品だったのかもしれない。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
長井勝一は、持ち込まれた原稿をその場で封筒から出して、すぐに読み始めることを信条としていたそうです。作家の熱が冷めないうちにその魂を受け止めたいという、彼の優しさと編集者としての誠実さが伝わるエピソードです。
さて、異質な才能たちの揺りかごとなった『ガロ』。
しかし、その揺りかごを支えていたのは、一本のあまりにも太い柱でした。
次回、「カムイ伝という柱」。
『ガロ』の、もう一つの顔に迫ります。
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