9.早期卒業試験②
「ーーーうちの研究員を引き抜こうとするとは、油断なりませんね。リングダール大佐」
話に割って入ったのは、これまた見知った顔だった。
話しかけてきた彼女は、腰まである藍色の長い髪を三つ編みにして左肩から前に流し、研究員の証である白地に青い糸で刺繍されたローブを纏っている。女性にしては背が高い彼女は、踵の鋭いヒールを履いているので、さらに背が高く見え、リングダール大佐に負けない迫力があった。
「オーケルバリ卿。彼女はまだ学生では?」
「あなたが先ほど言ったように、彼女はすでに研究所所属の少尉です」
「すでに少尉といえど、進路を固めるのは時期尚早でしょう」
おそらく、今回来た魔法師団のトップはリングダールで、研究所の方は所長であるオーケルバリがトップである。その部下たちは、2人が言い争いを始めてしまったので、止めるべきか、それともほとぼりが冷めるまで待つか悩んでいる様子だった。
イルヴァも普段ならば放っておくが、今日は卒業試験である。他に2人の試験も必要だから、イルヴァの進路でもめて時間を浪費するのはいただけない。
現に、軍部でもそこそこ高い位の2人に対して、学校の教授たちも困っているようだった。
「リングダール大佐、オーケルバリ所長。今は卒業試験中です。私以外の生徒もいるのですから、試験に関係のない議論は後にしてください」
イルヴァがはっきりとそういうと、2人の反応はそれぞれだった。
普段からイルヴァと親交のあるオーケルバリ所長は苦笑いになり、リングダール大佐は驚きからか目を見開いた。大佐は美しい顔ではあるが威圧的な雰囲気の男性なので、意見を真っ向から言われるのは珍しいのかもしれない。
しかし、今はそんなことに気遣っている場合ではない。
「それとも、お二人は私の試験の発表に意義を申し立てたいのですか?」
「「まさか!」」
今度は2人とも勢いよく首を横に振りながら、綺麗なユニゾンで否定した。
「では、後にしてください」
キッパリとそう言うと、やりとりの途中になっていたリューブラント教授の方を向き直った。彼はしばしの間待たされていたが、軍の中でもそこそこ高位の2人の言い争いに割って入ることはできなかったようだ。明らかにホッとした表情でこちらを見ていた。
「お話の途中で失礼しました。他に質問はありますでしょうか?」
「卒業試験という意味では、正直十分すぎるほどです。……ただ、一つだけ個人的な興味で質問が」
「どうぞ」
「水魔法による氷生成と、氷魔法による氷生成では、消費される魔力量は違うかどうかについて、調べたことはありますか?」
良い着眼点だ、とイルヴァは思った。
属性魔法は得意不得意によって扱いやすさが変わり、苦手なものほど魔力を消費しやすいと言われている。消費量次第では、水魔法が得意な人は、氷魔法を使わない方が良いという話になるだろう。
「消費魔力量は厳密には計測していません。しかし、魔力操作に長けている人ならば、消費量は変わらないと推察できます。少なくとも私は特に差を実感はしていません」
「つまり、基礎消費の魔力量は変わらないが、魔力操作がうまくいかないことによる魔力浪費があるということですね」
「ええ。魔力操作が標準的な技能であれば、氷魔法よりも水魔法が得意なら試せばよいですが、逆の場合は大人しく氷魔法を使ったほうが良い気がします」
「なるほど。ありがとうございました。試験は以上です。ですが、フェルディーン嬢も他2人の試験が終わるまではここにいてください」
さすがのイルヴァも自分の番が終わったからといって、即座に帰ろうとはしていなかったため、うなずいて了承の意を伝えた。
試験担当の教授が並ぶ席の右後ろに、先ほどイルヴァに勧誘をかけてきた軍部の観客たちが屯していた。反対側の左後ろには、エリアスとさきほどの黒髪の青年が立っていた。イルヴァがその2人に近づき並んで立った。2人は明らかにイルヴァに話しかけたい様子だったが、イルヴァがそこに並んだ途端、次の候補者の名前が呼ばれた。
「ジルベスター・アルムガルド卿」
その名前を聞いて、ようやく黒髪の青年が何者かを思い出した。
彼は隣国のリズべナー公国の公子だ。彼は交換留学生としてこの国、シュゲーテル王国にやってきている。シュゲーテル王国からは第四王女が留学しているので、交換留学生は同盟国の象徴とも言える存在だ。
文化も違うだろうから、国内の貴族以上に、失礼があると取り返しがつかないので関わらないようにしていたのだが、関わらないようにしすぎて存在そのものを忘れていた。
本来であれば公子は、この国で研究成果をこの国で発表する必要はないのだが、公子の交換留学期間が今年で終わるため、区切りとして早期卒業試験に挑戦するのだろう。多少の情報漏洩は同盟国であるからか許容してでも、公子の能力の証明をした方が得ということなのだろうか。
実利よりも名誉を取るのは、実に高貴なものらしいところである。
ーーーどんな魔法を披露するのかしら。
リズべナー公国はシュゲーテル王国とは違った魔法の発展を遂げている国だ。公国の魔法は第四王女が学んで持ち帰ってくれることを期待したいところだが、その前に、公子の魔法が見れるのであればそれは興味深い。
「私の研究は、360度探知のための魔法理論です。通常、探知魔法は発動者本人が向いている方向のみに発揮され、距離と適応角度は技術によって広がっていくものとされていました。私の研究では、探知する物体を制限する代わりに、角度を指定する変数を強制的に設定することで、360度の探知を可能とします」
ジルベスターの説明に合わせて、その場の全員に論文を紐で束にしたものが配られた。イルヴァの研究はすでに公式で発表しているもののため割愛したが、この場で初めて発表する理論の場合、このように論文そのものを参加者に配る必要がある。
イルヴァは論文をぱらぱらとめくって、根幹となる理論のところのページで手を止めた。
ーーー探知魔法の探知範囲は技術そのもの以上に、本人の情報処理能力に依存している……か。なるほど。人間の防衛本能が働いて、脳が処理できない情報量を集めないようにしているというわけね。だから、探知するものを限定すれば、情報量が適切になり、どの方角にあるものも探知できるようになる、と。
これだけ聞くと、かなり有用な研究のように思える。自国で発表するならまだしも、名誉のために他国で発表するには勿体無い内容だ。
しかし、さらに読み進めると、どうしてこれを発表してよいと判断したのかがわかった。
「現時点では、探知魔法の前に探知するものに触れる必要があること、探知できる範囲が本人から1メートル以内と狭いことが課題です。必要があれば実演に助手を用意して良いとのことでしたので、助手にこれから準備してもらいます」
ジルベスターの助手がジルベスターをぐるりと囲むように、12個の不透明のつぼをひっくり返して置いていくのを見ながら、イルヴァはこの論文の最大の課題について考えていた。
おそらく最も致命的な点は、事前に探知するものに触れる必要があるという点だ。普段、探知を使う場合は、周囲に人がいないかを確かめるために魔力を探知したり、武器を隠し持った人間がいないかを確かめるために金属を探知したりと、あいまいなものを広く探知する使い方が多い。
そして、事前に探知するものに触れる必要があるわりには、探知できる範囲が狭い。これで探知範囲が広ければ、もしかすると応用の幅も出てくるかもしれない。
ーーーでも、この研究の最も面白いところは、探知魔法の限界は情報処理能力で決まると結論づけたところよ。逆に言えば、情報処理能力の補佐ができれば探知の使い方は自由になるのだから。
イルヴァはそう思ったが、ジルベスターはわざわざそういうことはこの場では言わないだろう。彼なりに名誉と国益のどちらも保つ最善策として、未完成にも見えるこの理論を発表しているのだ。
これは早期卒業要件を満たすのには十分だが、このシュゲーテル王国に利益をもたらすには足りないものだ。そしてそれは、ジルベスター本人もわかっているし、教授たちもわかっているだろう。彼は本当の大発見をここで発表するわけにはいかないのだから。
「それでは、実演させていただきます。やることは単純で、このハンカチをどのつぼに入れたかを探知で当てます。360度どのツボでもよいことを示すために、複数回繰り返します」
助手がツボの下にハンカチを隠し、それをジルベスターが当てる、ということらしい。物理的に見ていないことを示すために、目隠しをして実施するようだ。
イルヴァは集中してジルベスターの周りの魔力の動きを見た。
確かに通常の探知魔法と違い、魔力の広がる方向性はジルベスターを中心とした円を描くように広がっている。ただし、本人の申告通り、その範囲は狭く、半径1メートルあるかどうかぐらいだ。
ジルベスターは難なくハンカチの位置を当て、助手が場所を移動させるということを何度か繰り返した。そして、もちろん、彼は後方にあるツボでも場所を言い当てている。
それを何度か繰り返し、ジルベスターは目隠しをとった。
「以上ですが、質問はありますか」
「理論は素晴らしいと思いました。探知魔法の全方位展開は、かなり実用面で期待できます。とはいえ、実用化するためには、範囲を広げたいところかと思います。探知範囲をひろげていくには、何が必要だと思いますか?」
「探知をするときに、物理的に見えない方向性に魔力を広げるのが抵抗があり、魔力操作による魔力浪費が生まれていると感じます。ここを解消することが必要かと」
この問答は、卒業試験上は必要だが、学術的には意味のない問答だ。
なぜなら、すでにどうやって物理的に見えない方向性に魔力を広げるかについてはほとんど答えがでているにひとしい。脳の処理の問題だというのならば、それを解消すればいいのだ。
イルヴァはこっそりと自分の周りに魔力を展開した。バレる人にはバレるだろうが、かなり薄い膜にしたので、よほど注視しなければわからないだろう。イルヴァは探知を発動させながら、同時に水鏡の魔法を使った。後ろが見えないことが問題ならば、前を見ていても後ろを見れるようにすればいい。
水鏡の魔法は、水を通じて物理的に離れた場所の景色を窺い知れる魔法である。それを応用し、空気中の水分を利用して、うしろの景色を自分の目の前に魔力で構築することで、探知の問題である、視認するという条件はクリアになる。
水鏡自体も他人に見えないようにしながらやるのは少し手間だが、おおよそ、探知を広げるのは簡単にできた。もう少し練習すれば、十分実践レベルになるだろう。試しに近くにいる人間の気配を探ってみたが、魔法演習場の外まで知覚できている。
ふと、質疑応答の時間が終わり、こちらに戻ってきたジルベスターと目があった。彼はじっとこちらを見つめて、そして何かに気づいた顔をした。
イルヴァは慌てて、魔力を霧散させ、視線をそらした。こっそり試したつもりだが、おそらくジルベスターには気づかれてしまったのだろう。ジルベスターの演じた茶番を台無しにする意図ではなかったので、イルヴァはこのまま黙り込むことを選んだ。
ジルベスターはイルヴァの隣に立つと、ぼそっとつぶやいた。
「疑って悪かった」
「……? ああ。秘匿していたのは私ですから、お気になさらず」
一瞬、何について謝られているか分からなかったが、少し遅れて、最初の挨拶の時に本当に研究者のY・Fなのかと疑った件だと思い出した。
「おかげでシュゲーテルの最先端の魔法を見させてもらった」
「私の論文は既知のものですが……」
最先端、が何を指すのかはわからないが、イルヴァの論文は正式に王立研究所でも認められ、国外にも発表済みのものなので、目新しさはないと言える。
「実演の内容は論文化してないよね?」
「論文を読めば誰でもできることですから、既知と言って良いでしょう」
「君、それ、本気で言ってたの……? あれをーーー」
「私の研究はーーー」
ジルベスターはまだまだ話し足りない様子だったが、エリアスが話始めたので、2人は会話をやめ、エリアスの発表に意識を向けた。
「ーーー魔法の連射速度の改善理論です。具体的には、魔力の変換方式を変更するというものです。通常、一回の起動に必要な魔力を集めてそれを魔法として変換しますが、複数回分の魔力を事前に変換し、打つことで、技術によらずに、より高速な連射が可能になります」
エリアスはそういうと、手のひらを上に向けた。そして炎を3発連続で打った。
おおよそ1秒間隔ぐらいで打たれていく。
「方式を変えると、こうなります」
その宣言とともに放たれた炎は、ほぼ同タイミングといってもよいぐらいの速さで三連続の炎が天に放たれた。正確には分からないが、10倍ぐらいの速度はありそうに見える。
速射は熟練度に比例するというのが通説の中、方式を変えればより効率的に連射や速射ができるというのは、攻撃魔法を扱う人にとっては有用な事例だろう。おそらくエリアスであれば、最初からあの速さでも打てると思うが、まだ魔法の技術が未熟でも速射できるなら、もっと速くすることも可能だろう。
「今後の研究課題としては、魔力を変換する量を推し量るのが感覚に頼ることになっていて、結果として技術が必要なため、ここを解消すれば、経験の浅い魔法使いでも扱いやすくなると思われます」
発表を終えたエリアスと、目が合った。エリアスがかすかに笑んだので、イルヴァも微笑み返した。
「質問はありますでしょうか?」
「魔力変換しておける量は、最大瞬間出力魔力よりも小さい量でしょうか?」
「おそらく、いいえです。私自身は比較的、最大瞬間魔力が大きい方ですので、最大でやったことはありませんが、魔力転換の段階で自身の魔力量以外で限界を感じることはありません」
ーーーということは、最大瞬間魔力が小さい人の攻撃力の補助として良い技術ね。速射は訓練すればなんとかなるけれど、最大火力はどうしても最大瞬間魔力に依存するから、攻撃魔法の使い手としては絶対に抑えたい理論になりそう。
魔法は鍛錬で培うことができるものと、そうでないものがある。どれだけの魔力を放出できるか、つまり最大瞬間魔力は、ほとんどの才能に依存する。
そしてこれは、特に魔法を使った戦闘の強さに直結してしまう。だから、基本的に魔法師団でどんどん昇進できるような人間は、軒並みこの最大瞬間魔力が大きい。
他にも生まれ持った才能がものを言うことはあるが、新たな魔法理論でより多くの人に可能性が開けるのは良いことだ。
全員の試験が終わり、試験担当の教授が試験の終わりを告げたところで、イルヴァの周りにリングダール大佐とオーケルバリ所長が2人揃ってやってきた。
他の研究員や魔法師団の人は、エリアスとジルベスターを囲んだ。
どの3人もそれぞれ見所があったので、進路について探りを入れておきたいのだろう。
「それで、やはり卒業後の進路は研究所なのか? 魔法師団なら今すぐにでも大尉になれそうだが」
「彼女は研究所員でも大尉は確定してます。新規魔法理論の論文5本があれば大尉昇格できますから」
「なるほど。では少佐に」
勝手にイルヴァの昇格について話し始めた2人に、イルヴァは小さく息をついた。
特に素早い昇格を希望していると言うわけでもないので、それを理由に引き抜こうとしてもイルヴァにとっては意味がない。
それに、イルヴァが魔法師団を選ばないのは明確な理由があった。
「それだけの魔法技術、魔法師団の方が活きるのでは?」
リングダール大佐の問いかけに、今度こそイルヴァは答えた。
「他の人にできないことをやる方が価値が高いかと」
「他の人にない魔法技術がありそうに見えるが」
「魔法を体系化する方が、魔法を使うより難しいです。当然、私も魔法を使う方が得意ですが、魔法理論の分野を伸ばす人間がいなければ、魔法は停滞してしまいます。だから私は研究員になるつもりです」
「当然、魔法を使う方が得意、か……」
イルヴァの返事に何かひっかかりがあったようだが、それについて質問する前に、大佐はその研ぎ澄まされた威圧的な雰囲気を少し和らげ、尋ねた。
「実務で理論家の人間が欲しい場合がある。研究員として、そういう要請なら、受けるか?」
表情を見る限り、どうやらこの問いの方が本命のようだ。もとから魔法師団に勧誘できるとは思っていなかったのかもしれない。
「仕事ならば、もちろんお引き受けします」
「魔物が湧く現場に出るのは躊躇いがないか?」
「はい」
「けっこう。フェルディーン少尉、また任務で会えることを祈っている」
「リングダール大佐のご武運をお祈りいたします」
一般的な見送りの言葉を口にして礼をすると、リングダール大佐は、踵を返して去っていった。
後に残ったオーケルバリ所長は、去っていくリングダール大佐の背中に、塩を巻くような動作をしたあと、イルヴァに向き直って笑顔を浮かべた。
「さっきも言ったけれど、正式に研究員になるから、大尉昇格は確定よ」
「5本と言っても、規模の小さいものもありますが……」
「あら。なんでもかんでも歴史的発明を求めていたら、誰も昇格できない組織になるわ。とにかく、あなたが正式に来てくれるのを楽しみにしているわ」
彼女はそういうと、ヒラヒラと手を振って去っていった。
イルヴァが2人と話している間に、エリアスとジルベスターの周りからも人がはけていた。話はだいたい終わったのだろう。
イルヴァの視線に気がついたエリアスは、にっこりと笑ってこちらに駆け寄ってきた。
「約束の食事に行きましょう。どこか希望はありますか?」
「今回は私のおすすめのお店をご紹介します」
前回はエリアスにかなり準備をさせてしまったので、今度はイルヴァが手配する方が良いだろう。
よく訪れている静かなカフェがあるので、そこにエリアスを連れて行こう。
「イルヴァ・フェルディーン」
歩き出そうとしたら声をかけられ、イルヴァは視線を声の方向に向けた。
気がつくとジルベスターがすぐそばにいて、イルヴァは思わずパチパチと瞬きした。
「どこかで魔法理論について質問したいから、後日、時間をもらえない?」
「……それなら、これからエリアス様と食事ですが、ご一緒されますか?」
ジルベスターの話は気になるし、婚約している手前、男性と2人になるのも外聞が悪そうだからちょうど良いだろう。
そう思って誘ったが、なぜか、気まずい沈黙がその場に落ちたのだった。