7.友人との昼食
レンダール公爵ことアウリスと、その息子でありイルヴァの婚約者たるエリアスと話をした翌日。
約束通り、友人であるユーフェミアとランチを楽しむために、イルヴァは予約された個室を訪れていた。
昨日とは別の個室だが、こちらも明らかに高位貴族が利用する用途であしらわれた部屋だろう。
昨日と違うのは、部屋全体のトーンが明るめで統一されており、装飾品もどこか若く可愛らしい。明らかに若い令嬢向けに設えられたような部屋であることだ。
部屋に入ると、すでに緩やかなウェーブのかかったプラチナブランドの髪を持つ美女が席についていた。彼女はイルヴァに気がつくと、柔らかな笑みを浮かべた。
「おはよう、イルヴァ。待ってたわ」
「お待たせ、ユフィ」
イルヴァがユーフェミアの向かいの席に着くと、彼女は机にあったハンドベルを振った。物理的には鳴らないそれは、魔力を通して、昼食の準備をするように合図を出す。
どこからともなく現れた使用人がずらりと皿を並べていくのを横目に、ユーフェミアは本題を切り出した。
「婚約の話、聞かせてちょうだい。突然、レンダール様と婚約だなんて驚いたわ」
「私も驚いたわよ。この前のダンスパーティで初めてまともに話したぐらいだもの」
ユーフェミアはその言葉にとても驚いたようで、深く腰掛けていた椅子から身を乗り出して、興味津々な表情で尋ねた。
「2回踊ったと聞いたけど、あの時は婚約は決まってなかったの?」
「ええ。もう一曲、と言われたのも驚いたのよね」
「学校中が大騒ぎだったわ。そもそもレンダール様ってほとんど踊らないんだから」
「そうなの?」
驚いた。
まさか、エリアスがダンスをほぼしない男だったとは。ほぼ初対面のイルヴァに2回連続のダンスを誘うぐらいだから、彼にとってダンスは気軽な社交の一環だと思っていた。
社交の噂に疎いと、そういう基本的な情報も押さえられないので、相手の取った行動がその人にとって普通のことなのか特別なことなのかも判別できないのだ。
ユーフェミアはそんなイルヴァの性質を承知しているが、それでもイルヴァの反応には彼女も呆れた様子を見せた。
「レンダール様の噂なんて、ただ息をしているだけで集まるようなものなのに、本当に知らないのね」
「自分とは関係のない世界の人だと思っていたもの」
「イルヴァの基準で家族を除いたら、イルヴァと関係のある人物って誰なの?」
その質問は痛いところをつかれた。
つまり、噂レベルでもその人のことに興味を持って、情報を仕入れる価値のある人間ということだろう。元来、大して他人に興味がないイルヴァとしては、ほとんどの人間について知らない。
その上、知っていたら知っていたで嘘がつけないという制約もある。余計な情報を仕入れると、他人のために嘘をついてあげるということをできないので、黙るか、話を逸らすことしかできないので、知らない方がいっそ楽なのだ。
だから、ユーフェミアの問いにはこう答えるしかない。
「うーん……ユフィとユフィとユフィ?」
「私以外にも友達作りなさい……」
精一杯おどけて答えて見せたが、イルヴァが正直すぎるほど正直なことを知っているユーフェミアは、大きくため息をつきながらそう言った。
そんなふうに雑談をしていると、あっという間に美味しそうな料理が並べられた。昨日のエリアスの用意した食事の気合いの入り方を知っているのか、ユーフェミアが用意した料理も豪華だった。
昨日の今日で、これがカフェで提供された料理だと考えるほどイルヴァは愚かではない。間違いなくユーフェミアが、ライスト侯爵家の威信にかけて用意したのだ。
形式こそ、軽食と言われる部類のもとはいえ、ライスト家のシェフによって作られた料理は、レンダール家の料理に劣らず手の込んだものだった。
「どれも美味しそうね」
「そうでしょう? レンダール家に負けてないのよ。昨日はレンダール公爵領の名産の品々を使った料理と聞いたから、今日はライスト領の名産品で用意させたわ」
ライスト領はレンダール領と並ぶほど豊かな土地で、様々な食材の産地として有名だ。中でも広大な土地で作られる米と高地での酪農が有名で、今日の料理にもいくつも用意されている。
中でもイルヴァの目を引いたのは、テーブルの真ん中に置かれたタワーのようなものから溢れ出すチーズだ。上からとめどなく溢れているのに、受け皿となる部分からチーズが溢れないのが不思議だった。
「これは?」
「チーズファウンテンよ。魔石一個で動く優れものなの。受け皿にあるチーズを吸い上げて上から流れ出すような仕組み」
「どうやって食べるの?」
「パンや野菜を串に通して、チーズの中にくぐらせるの」
ユーフェミアはそう言いながら、チーズファウンテンの近くにあった皿に用意されていた串を手にとり、手ぎわよくパンや野菜を刺していく。そして、数個刺したら、その串を躊躇いなくチーズの中に潜らせた。
とろりとした溶けたチーズが串に刺した食材の外側を伝っていく。ユーフェミアは程よいところで串を回転させて、食材のすべての面にチーズをつけた。
そして、チーズの滝から串を外し、そのまま口元に運び、一口食べた。
もぐもぐと咀嚼しながら、ユーフェミアは幸せそうな笑みを浮かべた。
見るからに美味しそうだ。
しかし、その美味しさよりも気になることが、イルヴァにはあった。
「意外と庶民的な食べ方をするのね」
てっきり串から外して皿に置いたものをナイフとフォークで食べると思っていたイルヴァは思わず正直な感想を漏らした。
貴族のマナーとして、ナイフとフォークを使わないで食べていいものは、パンなど手で食べる一部の食材ぐらいだ。串に刺さったパンや野菜にかぶりつくのは、ライスト侯爵家のような格式のある家ではやらないだろうと思っていた。
咀嚼を終えたユーフェミアは、ゆっくりと口に合ったものを飲み込むと、にっこりと笑って言った。
「もちろん、正式な社交の場では、串から外すのよ。というより、そもそも串にさしてチーズをまとわり付かせて、串から外して皿におくところまでを使用人がやるわ」
「そうよね」
おおよそ、イルヴァの予想通りだ。
しかし、ユーフェミアは、でも、と話を続けた。
「この食べ方が1番美味しいの。お上品にかかったチーズより、自分の満足いくまでかけたチーズの方がいいでしょう?」
「それもそうね。私もそうやってみるわ」
彼女の得意げな表情に押されて、イルヴァも自分で串をつくってみることにした。チーズに合いそうな野菜をいくつか串に指して、おそるおそる、チーズの流れ出る中へ串を差し込んだ。
指に重みがつたわり、チーズが串にさした野菜にまとわりついてくる。先程のユーフェミアの動きにならってまんべんなくチーズに潜らせると、そのまま串にかぶりついた。
途端、口の中に広がるチーズの塩味と野菜の甘みが溶け合って、絶妙な味のバランスとなっていた。チーズは口に運ぶまで気づかなかったが、おそらく白ワインなども入っていて、純粋なチーズではないようだったが、それがまた野菜とよく合う。
「このチーズ、白ワインと他にもなにか?」
「ハーブとニンニクも入っているわ。味つけをしたチーズに潜らせるのが美味しいの」
「美味しいわね……チーズにつけている野菜も、甘みが合って絶妙」
「どんどん食べて。……って、食事に夢中になりすぎると、会話が止まってしまうわね」
この美味しい食べ物の前では仕方がない。
イルヴァはそう思ったが、ユーフェミアはイルヴァに聞きたいことがあるからか、おすすめの食事をイルヴァに教えながらも、本題を忘れずに話すことにしたようだ。
そうして、ユーフェミアの尋問のような質問の嵐に答えきった時には、ユーフェミアはダンスパーティでの会話から、フェルディーン家での出来事までほとんどを把握することになった。
婚約までのほぼ全ての成り行きを聞いた彼女は、なぜか胡乱げな人を見るような目でこちらを見た。
「どうしてそんな顔を?」
「ダンスパーティでそんなにはっきり好意を示されて、気づかなかったの? 自分はそんなに率直なのに、相手の正直さは疑うんだから……」
なんだか似たようなことをエリアスにも言われたが、イルヴァにだって言い分はある。
ほとんど話したこともない男で、しかもそれが学校中どころか王都で1番人気の独身男性が、自分に好意を寄せていると思う方が不自然な思考だろう。
イルヴァはとくになにか好かれるようなきっかけを作った覚えはないし、記憶力に自信があるタイプなので、実は昔に縁があるということもないと言い切れる。
「あれだけの美青年に言い寄られて、素直に受け取る方が愚かでしょう?」
「それはそうだけど……でも、率直なところが良いって言ってもらったなら、相性抜群じゃない」
「うーん。でも、何か、本当の理由を隠されている気がするの。あまりにも突然わりに、なんだか……」
「なんだか?」
イルヴァは率直なコミュニケーションをとるタイプだが、羞恥心はある。
そのさきを続けるか悩んで、興味深々とばかりに続きを全身で催促してくる友の視線に負けて、イルヴァは言葉を続けた。
「なんだか、とても私のことを好きみたいに感じるの」
「素敵! イルヴァのそういう話を聞いてみたかったのよ」
はしゃいだ雰囲気を出すユーフェミアを前に、イルヴァはうーんと唸りながら先を続けた。
「どうして私のことを気にいったのかが、腑に落ちなくて気持ち悪いのよね」
「一目惚れという主張は信じられないと?」
「ユフィ、あなたなら信じるの?」
からかい混じりに問われた問いに、逆に問いかえすと、ユフィは何度か瞬きをしたあと、首をコテンと傾げた。その動きと同時に柔らかそうなプラチナブロンドの髪が肩からこぼれ落ちて揺れた。
「信じない理由がある? あなたも美しい顔立ちしてるじゃない。顔には自信があるでしょう?」
彼女の言っていることは理解できる。
自分でいうのもアレだが、性格に難があっても、見た目には自信があるタイプだ。普通の男に一目惚れだと言われたら信じるかもしれない。しかしそれはおおよそ、相手よりも自分の方が美しいと自信を持っていえる場合のみである。
エリアスは明らかに良い香りがしそうなサラリとした金髪に、深い海を思わせるような青色の瞳が印象的な美青年である。
その整った顔立ちと、それに見合う低すぎず高すぎない甘やかな声が、出会ったどんな女も魅了しそうな色香を放っている。
「エリアス様が一目惚れって、そんなことあると思う?」
「あなたは十分並び立てる美貌よ?」
「並び立てるかもしれないけれど、あの美貌の男に一目惚れと言われても疑ってしまうのは仕方がないと思わない?」
「もしかして、ユフィ……レンダール様の顔、好みなの?」
図星を指されて、イルヴァは体温が急激に上がっていくのを感じた。言葉に詰まったイルヴァを、ユーフェミアは見逃さなかった。彼女は身を乗り出して顔を近づけると、イルヴァの瞳をじっと見つめた。ユーフェミアの煌めく緑の瞳の中に自身の動揺した顔が映り込んだ。
「あの顔を好みじゃない女がいるの?」
「美青年だとは思うけど、私はもっと男らしい人の方が好みだわ」
照れ隠しでそう言ったが、あっさりと言い返される。
確かにユーフェミアは体格の良い、鍛え上げられた体躯をもつような大男が好みなのだ。つまり、エリアスは好みから外れている。彼女であれば、エリアスに言い寄られても、素直に信じられるのかもしれない。
「イルヴァにもそんな一面があったなんて……! でも、素直に好意は受け止めるべきよ。あなたのために魔法契約書を作成してまで、自由に話をさせてくれるだなんて、あなたに好意があるのよ」
「そうかもしれないけれど……」
まだ納得いかないイルヴァをなだめるように、ユーフェミアはそっとイルヴァの手の上に自身の手を重ねた。
「まあいいわ。お互いのことをよく知れば、信頼も積み重なっていくものよ。学校生活もまだ一年以上あるのだから」
ーーーしまった。早期卒業のことをユフィに言ってない!
イルヴァは、先ほどとは違う汗が背中に伝うのを感じた。すると、ユーフェミアはすぐにイルヴァの顔色の変化に気づいたようだった。
さきほどまでのイルヴァをからかうような雰囲気から一転、目を細めてじっとこちらを見つめてきた。そして、彼女は確信している口ぶりで言った。
「まだ話してないことがあるのね?」
ここまではっきり問われたら、ごまかすことはできない。イルヴァ自身も、ユーフェミアに隠そうと思っていたというよりは、単純に共有すべき話題が多すぎて忘れていたのだ。
「早期卒業することにしたの」
「早期卒業? 急にどうして?」
イルヴァは、ここで事情をどこまで話すべきか悩んだ。嘘をついてごまかすことはできないが、かといって、第三王女から縁談の横やりを入れられている話は、レンダール家の家庭の事情だ。
まだ結婚しているわけでもないイルヴァが漏らしてしまうのは、まずい気がした。
「理由は言えないの。レンダール家もかかわることだから」
「……なるほど。それは仕方ないわね」
ユーフェミアの良いところは、イルヴァが正直に話すことはできないと伝えれば、それ以上訪ねてこないことだ。あまり強引に質問されるとイルヴァは困ってしまうのだが、彼女は引き際をわきまえている。
「あなたが卒業したら、退屈しちゃうわ」
「私は卒業したら正式に研究所に所属するし、研究のために学校にも顔をだすと思うから、来るときは連絡するわ」
「本当に? 約束よ?」
彼女の言葉に真摯にうなずくと、ユーフェミアは安心したように笑みを浮かべた。