65.陰謀の序曲①
森の中の景色が流れては見えなくなる。
エリアスの背中の体温を感じながら、イルヴァはエリアスの足の速さに感動していた。
イルヴァも走るのは早いほうだが、身体強化をかけたエリアスの走りは、想像以上のものだった。
風に流れる髪を払いのけ、イルヴァは周囲の魔物を探知しつつ魔法で排除して、優雅に身を預けていれば良い。
「すごい楽だわ」
「ほんとにね」
楽なのはイルヴァなはずだが、なぜかエリアスも同意した。そして2人の声が揃う。
「ただ魔法だけ打てばいいなんて」
「ただ走っていればいいなんて」
2人は、一瞬の間を置いて笑った。
互いの仕事に感服していたようだ。
「ところで、どう? 霧光の鹿はまだいそう?」
すでに魔孔を閉じてから3頭ほどの霧光の鹿を探し出して討伐し、周辺にいた魔物も倒しておいた。
探知で探り続けているが、気配はない。
「さっきから探っているけど、それらしきものはないわね。魔孔も見かけないし、青い花火をあげて、南側に戻りましょうか」
エリアスは立ち止まってそっとイルヴァを下ろすと、青い花火をその場で上げた。
すると、森の南側から呼応するように、赤い花火が上がる。つまり、まだ戦闘中ということだ。
もう夕暮れの空に上がる花火を見つめるエリアスの横顔は険しい。
「イルヴァはどう思う? 森の南部が、一向に落ち着かないのは不自然じゃない?」
「霧光の鹿が出ないにせよ、他の魔物がでる魔孔があるか……リズベナーからの帰りの時のアルファウルフのように、恣意的にもたらされた魔物か、どちらかでしょうね」
魔物の発生のメカニズムは解明されていない。魔物被害の多いフェルディーン領は、かなり研究が進んでいる方であると思っているが、それでも分からないことが多い。
フェルディーン領は魔孔の数も多ければ、魔孔の出現頻度も高いので、魔物に溢れかえっている。
もし、それを意図的に開く手段があるのだとしたらーー
思考の沼にハマりそうになったイルヴァは、腕輪につけた魔石がふわりと光るのを感じた。
『イルヴァ?』
通話の魔石から流れてきた声は、兄、イクセルのものだ。
「お兄様? 今、ちょっと忙しいのですが……」
『無事で何より。霧光の鹿は倒し切れた?』
イクセルに心配をかけまいと通話を切ろうとしたところで、聞き捨てならないセリフが聞こえ、イルヴァは咄嗟に、イクセルの声をエリアスにも聞こえるようにした。
「霧光の鹿のことをどうして?」
『イルヴァのその腕輪の魔力が途絶えたから、心配で登城したんだ。だから今、古樹森林帯の南側で戦闘を手伝ってる』
イルヴァはすっかり忘れていたが、この腕輪にはさまざまな魔法の込められた魔石がはまっていて、その中の一つに、イクセルとイルヴァが互いにおおよその位置がわかるようにする魔法がある。
それが途絶えたので、霧光の鹿の近くにいるのだと踏んでやってきたのだろう。
「南側の状況は?」
『死人は出てないが、厳しい。魔力切れしそうな隊員は魔力回復薬を飲みながらなんとかしている状態だね』
死人は出ていないという報告に、イルヴァとエリアスは2人でほっと胸を撫で下ろした。
どうやら囮作戦は成功したらしい。
『イルヴァの状況を教えて』
「エリアスと2人で霧光の鹿やその他の魔物を倒しました。霧光の鹿が出る魔孔があったのでそれは潰し、おそらく今、森に霧光の鹿はいません。ただ、南部の魔物の増え方が不自然なのは気になりますね」
『悪いけど、一度戻って来れる? イルヴァが戻ってきてくれれば、僕が調査するよ』
「軍とは無関係のはずのお兄様がその場を離れられないほど状況が悪いんですか?」
『そうだね。王都に魔物が放流されてもいいなら離れるけど』
軽い口調だが、その言葉で南部の戦況が想像できた。
思っていたより状況が悪く、時間がなさそうだ。
「私が何のために囮になったと?」
『そういうと思った。ちなみに、さっきの魔法、もう一回やれる?』
「さっきの……ああ! 魔装狼の無効化ですか? それとも狼たちの間引き?」
『狼の間引きのほうかな。天から氷の矢が降ってきて、なぜか魔装狼や影狼だけを貫いたあの大技』
「わかりました。南部の入り口付近に絞って一度、殲滅します」
イルヴァは通話をつないだまま、森の南部に絞って探知を広げた。
「エリアス、今からちょっと集中するから、近くに来た魔物はお願い」
「分かった。さっきのアレをやるんだね。……イルヴァの魔力って無尽蔵なの?」
エリアスが最後の方に小さく呟いた声は聞き逃したが、イルヴァは集中して狼系の魔物を探知で捉えた。
鑑定魔法と探知魔法、それから水鏡の魔法の合わせ技をすることで、狼系の魔物がどこにどれだけいるかを正確に探り当てられるようになった。
イルヴァはそこに光と氷の矢をただ送り込んでいけばいい。
人間の座標が重なっている気配がある場合は、その個体は避けて矢を降らす。
さきほどは魔装狼を無効化するのを先にやったが、今度は無効化と討伐を同時にしておくことにした。
光を纏った氷の矢は夕暮れの空に向かった後、流星群のように地上に降り注いだ。
『何度見ても、すごいね』
「おおよそ片付きましたか?」
『うん、これならーーー』
「ーーーお兄様?」
不意に通話が切れた。
嫌な魔力の流れに、イルヴァは反射的に魔法銃を構え、エリアスが剣を抜く。
どこからともなく風が吹くと同時に、空間に突如、紫の光を放つ裂け目が出現した。
形容し難い歪みが、森の中に複数、無秩序に発生する。
最初は魔孔かと思ったが、魔力の流れ方が違う。
「魔法ね」
魔力の流れが構成する魔法式を読み解いていくと、イルヴァはその魔法の効力に気づいた。
「エリアス! 魔物が来るわ!」
「え?」
イルヴァの叫び声とほぼ同時に、地面を叩き割るような轟音と共に、巨大な影が出現した。
「岩熊!?」
着地と同時に、周囲の地面が陥没し、土と木片が宙を舞った。
だが、それだけでは終わらない。
別の歪みから、白い霧をまとった影が滑り出るように現れた。
霧光の鹿だ。
イルヴァは魔法銃で霧光の鹿の頭を即座に撃ち抜こうとしたが、岩熊に邪魔された。
霧光の鹿は敵意を感じたからか、森の方へ去っていく。
「エリアス! 霧光の鹿を追って!」
「イルヴァは!?」
「魔法さえ使えれば岩熊は私1人で何とかできるわ! 動きも遅いから、それまでは逃げておくから!」
エリアスは一瞬何かを言いかけ、飲み込んだ。
そして、霧光の鹿を追って走り出す。
「あなたの相手は、私よ」
岩熊を威嚇するように1発魔法銃を打ち込んだ。
脇腹を狙ったが、ダメージは通っていないように見える。
岩熊が太い腕を振り下ろした反動で地面が揺れる。
しかし、速度は速くないので、イルヴァは威嚇しながら攻撃を避けることにした。
今回は魔孔による出現ではない。
魔法式により呼び出された魔物であるなら、霧光の鹿のテリトリーにいる間は、これ以上魔物は湧いて来ないはずだ。
気がつけば、先ほど現れた不自然な裂け目は姿を消していた。おそらく、霧光の鹿の出現で魔法が無効化されたのだ。
ーーー魔法で魔物を呼び出すとなると、人為的なものであることは確定したわね。
岩熊の相手をしながら、思考を巡らせる。
魔孔と違い、魔法であるならば魔法師がいるはずだ。
自分よりも広域で魔法を打てる人間がそうそういるとは思えないので、おそらく探知範囲にいるだろう。
イクセルに調査を頼もうと思っていたが、イルヴァが探知してエリアスと共に魔法師を無効化した方が早そうだ。
「やっぱり森全域を焼き払ったほうが良かったかしら」
あまりの連戦で疲れ果てたイルヴァは、エリアスの手前、言わなかったことを1人ぽつりと呟いた。
現実的ではない空想に浸っても仕方がない。
しかし、そんなことを考えるぐらいには疲弊していた。
イルヴァは岩熊の攻撃を避けながら、どうやったらこの陰謀を終わらせられるかについて思考を巡らせたのだった。
*****
古樹森林帯の東部、その崖の上にローブで顔を隠した数人が立っていた。
「雲行きが怪しいのではなくて?」
シュゲーテル王家を象徴する紫色の目を細め、アマルディアは隣に立つ男に話しかけた。
男はアマルディアよりも目深にローブを被り表情は見えない。
「イルヴァ・フェルディーンがあまりにも強すぎました。まさか、森全域を覆うほどの魔法を展開できるとは」
男の言い訳に苛立ちながらも、アマルディアもその言葉には納得できるものがあった。
現在進行形で展開されている魔法が、その原因だ。
森全体を目もくらむような光の魔法が包んだかと思うと、続いて無数の氷の矢が森全域に降り注いでいく。
魔物を無慈悲に撃ち殺すその矢は、青い光を纏い、まるで空から降ってきた祝福の光のように美しくもあった。
しかもその矢は無差別にではなく、的確に魔物だけを射抜いていく。
あの量をあの範囲で完璧にコントロールしていたのだ。
それは、アマルディアが一生をかけても辿り着くことのない魔法の境地ーー。
その才能にひりつくものを感じながらも、美しいと認めている自分がいることも確かだ。
「もう、打つ手はないと?」
「申し訳ありませんが、せっかく設置した魔孔にも気づかれていそうです。おおよそ人間とは思えない魔力量と精度です」
アマルディアは重ねられた言い訳に、小さくため息をついた。
彼女が天才の名に相応しいことは知っている。
エリアスに冷たく振られ、怒りで放った魔法を反唱されてから、イルヴァ・フェルディーンという女のことについては事細かに調べた。
学校の成績や研究、軍の研修での出来事の全てが、イルヴァ・フェルディーンの才能を証明していた。
それでもなお、この場に来るまでは、ここまで魔法が得意だとは思っても見なかった。
あれだけの魔物を用意して致命傷すら与えられないとは、敵ながら天晴れである。
「幕は途中で降りたようね。開幕の支援は取り上げないけれど、芝居は終わっていないのだから、当然、投げ銭もなしよ」
「もちろんでございます。また、チャンスをいただけるのでしたら、出直して参ります」
「幕をもう一度開いても構わないわ。今度こそ、完結させてくれるのならば」
アマルディアの脚本では、イルヴァ・フェルディーンは死なねばならない。
彼女が生きている限り、アマルディアに平穏は訪れない。
イルヴァ・フェルデーンはシュゲーテル貴族の美徳を全て無視したような存在だ。つまり、アマルディアと正反対の存在だ。
彼女は率直で嘘もつかず、裏表がなく、社交性がなく人脈もない。
彼女の友人と呼べる者をほとんど見つけることすらできなかった。
しかし、彼女の魔法を間近で見たものは、誰もが彼女に心酔してしまう。
今日のこの古樹森林帯での出来事も、彼女の武勇伝の一つになってしまうのだろう。
アマルディアはそれが許せないのだ。
彼女が認められるということは、その対極にいる自分の価値が下がるようにすら思えてくる。
「エリアス・レンダールは物語から外されますか?」
その名を聞いて、アマルディアは肩を揺らした。
本当は、エリアスは巻き込むつもりではなかった。
イルヴァ・フェルディーンをこの場に引き込んだら、まさかエリアスまでいるとは。
「……いいえ。舞台に上がらせるわ。間近で物語の終焉を見届けてもらう」
自分の声が震えていないか、自信がない。
ハッタリも嘘も得意だが、エリアスへの執着に嘘はない。
「幕引きの時、彼は何の役を?」
「悲しみを超えて立ち上がるヒーローかしら?」
「……承知いたしました」
アマルディアは、本当はうっすら分かっている。
イルヴァ・フェルディーンが消えても、エリアスは自分を選ばない。
しかし、それでもなお、アマルディアはイルヴァを消したかった。
自分の存在価値の証明のために。
だから、アマルディアは魔法を使う。
魔法が得意ではないアマルディアが、唯一、他人よりも突出した才能がある分野の魔法。
召喚魔法を。




