63.古樹森林戦④
「婚約者としては、この行動をとるしかない。僕は何度やり直しても同じことをする。たとえ味方の全軍を敵に回してもね」
エリアスの言葉が、すっと腑に落ちた。
彼は、一軍人の立場は捨て、イルヴァの婚約者としてここに来たのだ。
つまり、エリアスにとって、イルヴァには他を投げ捨てて助けに来る価値がある。
そのエリアスの感情をようやく受け止めることができた。
彼は、きっと何度でも、イルヴァを助けに来てくれるだろう。
イルヴァが何度でも1人で囮になろうとするのと同じように。
「婚約者として、と言われたら何も言えないわね。事実、私は助けられたから」
思わず微笑んだイルヴァを、エリアスは意外だと言わんばかりの表情で見た。
「軍命が絶対だと言うかと思ったよ」
「まさか。軍命を捨てても守るべきものはあるわ」
「……そうだね。少なくとも、僕にとっては君はそうだよ」
エリアスの目は、澄んだ海を思わせるような青さだった。その眼差しに乗る感情を、イルヴァは初めて正面から受け止めた。
それがあまりに気恥ずかしくて、視線を逸らす。
まだ息が整っていないのか、それとも動揺か。心臓が早鐘を打っている。
エリアスにそれを悟られないように、イルヴァは少しだけ話しをずらすことにした。
「……軍命よりも優先すること自体が正しいかはわからないけれどね。現に、私はあなたを巻き込んで魔孔を閉じに行こうとしている」
「? 有事の際の指揮官として、魔孔を閉じに行くのは軍命に則る行動じゃないの?」
「私が任されたのは、今回の部隊員を監督官も含めて全員生還させることよ。王都の防衛ではないわ」
ここから先の行動は、今回の指令の範囲を超えている。大人しく撤退しても誰もイルヴァを責めないだろう。
それでも、イルヴァはそうしない。
自分が引いたら消える命があると分かっているからだ。
「軍命に反しても、2人で魔孔を閉じるべきだと思う理由は?」
「霧光の鹿が出現する魔孔は距離が遠ければ遠いほど、閉鎖難易度が上がるわ。王都の脆弱な兵で対応したら、街にまで取り逃がして、おびただしい数の死者が出てもおかしくない」
「……やっぱり、王都の兵だと処理できなさそう?」
エリアスも思うところがあったようだ。驚くというよりは納得したような表情をしている。
「この国の軍は魔法師を重視しすぎているから、難しいと思う」
霧光の鹿戦で大切なのは歩兵軍の動きだ。彼らが魔装狼に邪魔されながらも、どれだけ霧光の鹿を早く討伐するかによって、魔法師が戦えるか否かが決まる。
「僕たち2人で閉じることの勝算はどの程度あるの?」
「エリアスのおかげで、私は魔法銃で戦いやすくなったし、8割ぐらいはある見込みよ」
魔法銃をひらひらと見せながらいうと、エリアスはハッと目を見開いた。
「思い出した。魔法銃を霧光の鹿のテリトリーで使っていたよね?」
「リタの研究を手伝う中で、魔封じも多少、攻略の余地があると分かったのよ」
簡単に経緯を説明したところで、空を切り裂く音共に、青色の花火が南方に立ち上がった。
「青色?」
事前の打ち合わせにはない色だ。
「リンデル大尉たちと合流できたら青を打ち上げてもらうように頼んでおいたんだ」
合流できたならよかった。リンデルと一緒であれば、部隊員達の生存率は上がるだろう。
イルヴァが胸を撫で下ろしていると、エリアスは徐に手を空にかざし、魔法を放った。
美しい青色の花が空に咲き、その残像が消えるかどうかぐらいのタイミングで、赤色の花火も空を賑やかせた。
「こちらも合流できたから青を、そしてまだ行動を続ける必要があるから赤を」
どうやら簡単な合図を決めておいてくれたようだ。
「戦う準備はいい? ちょうどエリアスも魔法を使ったから、今から、霧光の鹿を誘き寄せるわ」
「いいけど、どうするの?」
イルヴァは戸惑うエリアスの前に進み出た。
探知をすると、霧光の鹿は3箇所に別れているようで、探知できない地域が円のようになっている。
魔法銃を使うなら、遮蔽物をたくさんつくったこの地形はそんなに防衛拠点として使いやすくない。
ーーーだから、作り変えるしかない。
イルヴァは炎を出して、自身が打ち立てた氷の柱を溶かすことにした。
あたり一体に火柱が立ち上がる。煌々と燃える赤は、周囲の気温を一気に上昇させた。
その炎によって溶かされた氷の水分は、熱風に乗って吹き抜けていく。
「イルヴァ……まさか、森を全焼させる気じゃないよね?」
エリアスに疑いの眼差しで向けられ、思わず苦笑した。
何も言わずに周囲一面を炎で燃やしたら疑われるのも無理はない。
「一応、炎の外周は氷魔法で覆ってるし、これは魔力で燃えてる炎だから、霧光の鹿がくれば消火されるわ」
イルヴァはそういいながら、ある程度燃やし尽くし終わった箇所の魔法は、魔力を送るのをやめて消していく。
それと同時に、土魔法を発動させた。
即座に地面が盛り上がり、2、3mほどの高台が形成される。
魔装狼の跳躍の前では防衛という観点では意味がない。しかし、魔法銃で狙うには視界を確保するという点で大きな利点がある。
「魔力を送り続けなくていいものなら、霧光の鹿のテリトリーでも維持できるんだね」
エリアスが土で作られた高台に触れると、感心したように言った。
彼は一歩前に出て、その場にしゃがみこんだ。そして地面に手をつけた。
詠唱はなかった。
しかし、エリアスの手のひらに集まった魔力が魔法式に変わっていき、地面に何かしらの変化を与えた。
見た目ではわからない。しかし、土に何かをしたのだけはわかった。
「地面を加工したの?」
「踏み込みやすいようにちょっとね。それと、土埃が舞いづらいように固めてある」
「ありがとう」
「ただでさえ、霧がーー出てきたね」
魔力を乱される独特の不快感と同時に、霧が出てきた。今日何度目の霧だろうか。
戦いは繰り返され、魔物は減らない。
「次の一戦が終わったら、北西に移動しましょう。最初に現れた霧光の鹿はそちらの方向から来たから」
「分かった。……もうすぐ来るよ」
エリアスの声に、イルヴァは高台に登り、魔法銃を構えた。
もう、先ほどまでのような、死の予感はしなかった。
*****
赤い花火が打ち上がった時、リングダールは自分の目を疑った。
王都の古樹森林帯は、「有事」が起きることなどほとんどなかった、穏やかな森だ。
王都にしては珍しく魔物こそいるが、新兵の良い訓練場所だった。
「大佐。どうされますか?」
部下の声にハッと我に帰った。
イルヴァ・フェルディーンには現場を任せたが、この場の総責任者は自分だ。しっかりしなくては。
「出てきている魔物の情報が欲しい。偵察を頼む。魔物の種類が分かったら通話の魔法で知らせてくれ」
「拝命しました」
部下の後ろ姿を見送ったあと、リングダールは現場に指示を出した。防衛戦と救出のための指示を出した。
今日の戦力はアルファウルフ討伐戦という意味では心もとない。
いざという時のために連れてきた自身直轄の小隊は、精鋭だが数が少ない。
先ほど偵察に送った部下を除けば、この場に5人しかいない。
リングダールは一度、本部にも連絡を入れておいたが、古樹森林帯に強い魔物がでたという事実は受け入れがたかったらしい。
新兵が魔物を過大評価して打ち上げたのではないかと言われて一笑に伏しただけだった。
つまり他の部隊からは増援は見込めない。
本部のいうこともわかる。
王都でアルファウルフが観測されたのは、100年以上昔で、それすらも嘘だと断じるものがいるぐらいだ。
しかし、リングダールは自身の直感を信じることにした。
本部が相手にしない以上、自分の指揮下にある部隊を動かすしかない。
通話で指示を出し、王城に詰めている自分の部隊に召集をかけた。
現場にいる部隊には、森を監視し、飛び出てくる魔物がいればすべて討伐するように命じておく。
そうして慌ただしくしていると、2回目の赤い花火があがった。場所を移動している。
おそらく、あれは合流するためのものだ。
それはつまり、まだ討伐し切れていない魔物がいて、逃げているということなのだろう。
「大佐! 森の端に大量の影狼が出現しました!」
「炎魔法以外の魔法ならなんでも使っていい。殲滅しろ」
状況を整理している間に、この場所にも魔物が出現してしまった。
数十頭いるが、影狼であれば、討伐難易度はそこまで高くない。
影から影へと移動する魔法が厄介だが、あの程度であれば2人いれば殲滅できる程度だ。
実際、部下が風の魔法で影狼を切り裂き、死体を積み上げた。討伐時間はものの10分ぐらいだろうか。
影狼の動きが単調で、戦いやすかったのもあるのかもしれない。
いつもはもっと撹乱されるのだがーー。
「ーーどうして影狼は影に入らなかったのでしょうか?」
「……確かに、一度も入ってないな」
不振な動きについて考えていたところ、再び影狼が姿を表した。
よくよく観察すると、彼らはまるで森から逃げてきたかのような動きをしていた。人間を見つけたから襲うのではなく、まるで逃亡を邪魔するから襲ってくるかのように。
「森に影狼では太刀打ちできない魔物が出現しているのは間違いないな」
「まだまだ出てきそうですね……王城の応援は?」
「うちの部隊だけだ。20名ほど応援を呼んだが、本部はあの赤い花火を、新兵の恐れで過剰に反応しただけだと決めつけている」
「できれば歩兵軍ぐらいはよこして欲しかったですけどね……前衛が必要になるような魔物だと、我々もかなり苦戦するかと」
「いざとなれば、私が前衛で戦おう。何名かは前衛もできるはずだ」
魔法師に得意なのは中長距離戦で、至近距離での戦いには強くない。詠唱が間に合わず魔法式を描く前に攻撃を受けてしまうからだ。
だからこそ、前衛で時間を稼いでくれる存在が必要になる。
バラバラと追い立てられるように出てくる魔物を部下たちが討伐していると、3回目の花火が上がった。
場所は先ほどよりも南下してこちらに近づいてきている。
「青色?」
予定にはなかった色だ。その意味を考えていると、今度は森の最奥あたりで、青色の花火と赤色の花火が続けて上がった。
あれはあきらかに別の部隊が呼応するようにあげている。
「森の中で何かしらの取り決めが行われたようですね」
リングダールとともに、魔物が戦線を突破してきたときの最終防衛戦を張る部下が、花火を見てつぶやいた。
「青い花火と赤い花火が連続で上がった意味はなんだと思う?」
「青い花火は互いの生存、合流などを表している、ポジティブな解釈でよいかと」
「となると、赤は危険を知らせる色だ。つまり、危機はまだ続いているということだろうか」
「あのフェルディーン大尉が危機だと判断して打ち上げているというのが気になりますね。どんな恐ろしい魔物が出たのか……」
部下がやたらとフェルディーンの名前を強調して言うのが引っかかる。
「彼女の戦いぶりを知ってるのか?」
「はい。僕は彼女がダメにした研修で、監督官をしていました。幸いにも彼女の部隊ではありませんでしたが、あれはすごかったなあ……」
部下は遠い目をしながら、当時を思い返しているようだった。リングダールも記録上は知っているし、早期卒業試験で魔法技術も目の当たりにした。しかし実際に見た彼とは温度差がありそうだ。
「そんなにすごかったのか?」
部下は何を言ってるんですか、という様子でため息をつき、やや早口になって言った。
「はい。彼女は無詠唱で、瞬く間に魔物を高温の炎で蒸発させたんです! 死体は残らないほうが片付けが楽だと思ったとかなんとか……」
「蒸発? 本当に跡形もなく?」
「はい。蒸発しました。それに彼女がすごいのは、その場に巻き起こった熱風をちゃんと風の魔法で向きを変えて、その場にいた人間に直撃しないように配慮してたんですよね。まあ、熱風がなくとも瞬間的に出てきた炎で、その場は砂漠地帯ぐらいの暑さになりましたが。あのときの、灼熱の太陽が生まれたようなオレンジの光と、熱さは、生涯忘れられないかと」
リングダールはその光景を見たわけではない。
しかし部下の口から語られるその言葉から、現場に巻き起こった魔力の炎がありありと想像できた。
「とにかく、そういうわけで、彼女が有事だと思える魔物は数は多くないはずです。アルファウルフぐらいなら、瞬殺できそうな魔法を扱えるんですから」
「王城から部隊員が到着したら、私も前衛に出る準備をした方がいいな」
そんなことを話していると、森から人影が現れた。先ほど偵察に送った隊員と、あのイルヴァ・フェルディーンに喧嘩をうったヴァールの2人だ。
意外な組み合わせに目を丸くしていると、少し前にいる兵士たちに何か伝えた後、すぐにこちらに走ってきた。
身体強化を使って全力で駆けてきたのか、顔が赤い。息も切れている。
しかし彼らの身を心配している場合ではない。
「状況は?」
「はあっ…… はぁ……。る、る、霧光の鹿が、出ました!」
振り絞るように放たれたヴァールの言葉を、うまく飲み込めなかった。
「フェルディーン大尉、レンダール少尉は囮になり、森で戦闘を継続中のようです。私はこのまま、城に向かって、特殊任務部隊の魔物討伐チームと歩兵部隊員に協力要請を出してきますので、詳細はヴァール上等兵から報告を」
次いで、偵察に行っていた部下、ハルフェンが続けた。その言葉に頷くと、満身創痍のヴァールに向き直った。
よく見ると、彼の服は血まみれだし、ところどころ破けている。
「報告できるか? まず囮というのは?」
「問題、ありません……! 霧光の鹿は高い魔力を検知して現れる特性があるようでして、フェルディーン大尉はテリトリー外に出るたびに大規模魔法を使って誘き寄せているようです。魔装狼も大量にいるので、かなり苦戦を強いられているとは思いますが……」
「魔装狼も? 光魔法もない中で、攻撃が通ったのか?」
「フェルディーン大尉の受け売りですが、魔法核を砕けば魔装呪符を解除できます」
次から次に語られる聞いたこともない魔物の特性に、彼女が、あのフェルディーン家の出身だということを感じさせられる。
「それは他の隊員にも共有しておくべきだな。ただ、魔法は使えないのだから、物理的に壊す必要があるということだな?」
「はい。基本的には剣などで、魔法核がありそうな、首、心臓、足首などを狙います」
この場に霧光の鹿と共に現れたら、自分が対処するしかない。
「ちなみに、他の隊員はどうした?」
「3名はリンデル大尉に伝令を、残りはレンダール少尉に伝令した後、自分だけ伝令のために森を抜けてきていたところ、ハルフェン少佐と出会いましたので、共に参りました」
「青い花火の意味は聞いているか?」
「無事に合流できた場合は青を、重傷者や死者がいて合流した場合は黄色をという合図にしていました。また、レンダール少尉は合流後、戦闘継続が必要な場合は赤を打ち上げるという話でしたので、おそらくまだ霧光の鹿が残っていると思われます」
「森の手前にいた部隊とは会わなかったか?」
「一部隊会いましたが、魔物の数が多く撤退に手間取っていたようです」
「森の手前側もそんなにいるのか?」
「平常時の3倍近くはいるかと」
思っていたより事態は重い。
仮に霧光の鹿が森の外まで出てこなかったとしても、ここを突破されれば、市街まで魔物の侵入を許してしまう。
ーーーなんとしてもここを死守しなければ。
それには圧倒的に人手が足りない。
いつのまにか固く握りしめていた手には汗が滲んでいる。
この少ない人数でどう防衛するべきか。
森の中で戦うか、それとも開けたこの地で大規模魔法を展開すべきか。
「お忙しいところ失礼します。リングダール大佐でしょうか?」
突然、声をかけられて、後ろを振り向いた。そこにいたのは、思いもよらない人物だった。




