60.古樹森林戦①
ここから数話は戦闘シーンなので、それなりに血とかの表現があります。苦手な方はお気をつけを。
古樹森林帯は、南側以外の3方を切りたった崖に囲われた地域である。
その立地のおかげで、基本的には、ワイバーンでも出ない限り、森の南側以外から魔物が外に溢れてくることもない。
逆に言えば、森に入った人間も、南側から出るしかないと言う地形だ。
森の南側の入り口に車がつくと、監視の兵士たちの詰め所があった。
その前で整列して並ばせると、前に立つリングダール大佐は声を張った。
「私はここで待機する。想定より極端に強い魔物が出たなどの有事の際は赤い花火か狼煙をあげて知らせてくれ。有事の際、全体の指揮はフェルディーン大尉が取る」
イルヴァの名前が呼ばれた瞬間、ヴァール率いる第1研修部隊の面々が一斉に顔を上げた。
ヴァールも信じられない様子でこちらを見ている。
「大尉からも有事の際の動きについて何かあるか?」
「スティエルナ中尉とノールベリ少尉は、有事の際は、帰還を最優先に。帰還後は魔物が森の外に出ないかの監視を。リンデル大尉とレンダール少尉は、私の見る部隊を含めて3部隊で合流することを優先に。状況によりますが、合流後は、おおよそ、リンデル大尉に3部隊を率いて森林脱出を試みていただき、私とレンダール少尉が殿で、有事判定する要因となった敵を抑えます」
「私とレンダール少尉の役割は意図が?」
リンデルに問われて、イルヴァは彼が何を気にして質問したか分からず目を細めた。
「単純に、リンデル大尉が経験が豊富なので、隊員の命を直接預かる重責を担っていただこうかと。レンダール少尉は実戦経験は多くないと思われるので、誰かを守りながら戦うのには向かないでしょう」
反論はあるかとエリアスを見るが、エリアスは頷いたので問題ない。
リンデルも、一瞬、固まった後に、腑に落ちたのか、わかったと呟いて黙った。
「他に質問は?」
リングダールが問いかけるか、声を上げるものはいなかった。
「では、魔物討伐作戦を開始してくれ。各部隊の隊長は、隊員に指示するように」
リングダールの言葉に一同は敬礼をして、隊列を崩し、部隊長の元へと向かった。
ヴァールは、切り替えたのか、最低限の敬意を持って、イルヴァに部隊員を紹介した後、作戦の話を始めた。
「第1研修部隊は、森の奥までは不要な戦闘は避ける。基本的に森の北側、つまり最奥が担当範囲で、無闇に戦うと他の部隊の邪魔になるからだ」
「不要なと言うことは、襲われたら反撃するか?」
質問したのは淡茶色の髪をラフに束ねた男性だ。
名前を失念したが、家名はストランドと言っていた。
「ああ。さすがに襲ってきた魔物を無視はできない」
「とは言っても、それなりに戦闘が発生しそうだよなぁ」
ストランドがぼやくと、一歩前に進み出た女性がいた。
「あ、あの、戦闘を避けたいなら、支援魔法で少しはお手伝いできるかと」
先ほど質問してきたサーラ・ヴィクストレムだ。
「どんな魔法だ?」
「認識阻害です。部隊員全員に相対座標で魔法をかければ、動いても阻害できます」
サーラはかなり高度な魔法が使えるようだ。優秀な魔法師なのだろう。
「できるのか?」
「はい! ……あ、えっと、フェルディーン大尉はご自身でされますか? 私がやったほうがいいでしょうか?」
基本的には支援魔法は使うなと言われているが、イルヴァが部隊員にかけることを想定した話だ。
身体強化が良いのであれば、他人に影響しない範囲の魔法は良いのではないだろうか。
ーーーただ、勝手な判断は、軍規を乱しかねない。聞いてくるか。
「後でリングダール大佐に質問してきます。禁止されている魔法の範疇ではないのであれば、自分でやるから気にしないでください」
「承知しました」
「では、森の最奥までは、ヴィクストレムの魔法で気配を殺しつつ、身体強化で進む。討伐方針は森に入ってからどこかで休みがてら立てる。フェルディーン大尉は、リングダール大佐への質問は今行ってきてください」
イルヴァは部隊から離れると、離れた位置で立っていたリングダールの側に寄った。
「どうした?」
「私の魔法の使用禁止の程度を知りたいのです。先ほど、ヴィクストレム上等兵に作戦行動で使う認識阻害の魔法を、私にもかける必要があるか聞かれました。私自身に影響するものであれば、自分でやってかまいませんか?」
「ふむ……まあ、いいだろう。身体強化魔法と、それ以外の魔法も、部隊員に影響しないものであれば許可する」
「探知の魔法などは、どうでしょうか?」
「有事の際以外では、探知した内容を隊員に知らせないのであれば、構わない」
「ちなみに、作戦に対する意見を求められたら、それは話しても?」
「ヴァール上等兵が聞いてきたら構わない。各部隊長には、各自の判断で監督官を頼っていいと言っている」
「承知いたしました」
「では、武運祈る」
話し終えて戻ると、サーラが全員に認識阻害の魔法をかけていた。
彼女の額には汗が浮かんでいる。
彼女にとっては負担が大きい魔法なのだろう。
魔法式を見る限りだと、気配を少なくするぐらいのものだが、弱い魔物には効果的だ。
サーラが魔法をかけ終わると、隣にいたもう1人の女性隊員であるエリサ・ハルドソンが、魔力回復用のポーションを渡す。
サーラはそれを受け取ってぐいっと豪快に飲んだ。
そしてそれを飲み干した後、イルヴァに気づいた。
「どうでしたか?」
「自分でやっていいと言うことだったので、やりますね」
イルヴァはそういうと、手早く自分に認識阻害をかけた。
途端に部隊員が騒ぎ出した。
「フェルディーン大尉?」
「え?消えた?」
かなり弱めにかけたつもりだったが、部隊員の意識からも阻害されてしまったようだ。
全員がキョロキョロと周囲を見回している。
「私はここです」
言葉を発すると、サーラの視線の焦点がイルヴァにあった。
彼女はイルヴァと目が合うと、ちょっと興奮した様子で言った。
「今の一瞬で認識阻害を?」
「ええ。ちょっと強すぎたようですね。弱めます」
認識阻害のレベルを下げると、部隊員を見回した。
「全員、私が見えますね?」
各々が頷いたので、準備はできたとばかりにヴァールに目線を送る。
彼は正確にその後を理解したようで、森に入るよう指示を出した。
そこからの道のりは、魔物に出会っても気づかれず快適だった。
サーラの防衛魔法の技術は見事だ。全員分を彼女がかけたようだが、魔物に全く気づかれる様子がなく、森の奥へと順調に進んでいけた。
会話をしてしまうと、サーラがかけた認識阻害は弱まってしまうので、一同は静かに森を抜けた。
身体強化を使いながら時には駆け抜けたり、歩いたりと緩急をつけながら、森を進軍し、おおよそ、配置の場所まできたところで、ヴァールが全体に指示を出す。
「ここで一度休憩して、討伐作戦に移る」
その声を聞いて、イルヴァは近くを適当に探知してみた。
森の北西側には反応がないが、イルヴァ達がいる北部中央付近にはそれなりの数の魔物がいるのがわかった。
それを隊員には伝えられないので、ヴァールの指示をイルヴァも大人しく聞いておくことにした。
「過去の討伐記録を見る限り、古樹森林帯の北部に多い魔物は影狼や霧蜥蜴の出現が多い。光魔法か火魔法が相性が良いことが多いが、森の中なので光魔法を優先して使うように」
ヴァールの話を聞いて、なんとなく嫌な予感がした。
イルヴァが探知した魔物の方が明らかに上位の魔物のためだ。
影狼や霧蜥蜴はフェルディーン領には弱すぎて出ないレベルの魔物だが、イルヴァが探知しているのは魔装狼である。
アルファウルフよりは下位であるし、有事判定するほど強いわけではないが、戦いに慣れていないとやや苦戦するかもしれない。
魔装狼は弱点をついて攻撃できるかで、劇的に討伐難易度が変わる。
これはほとんど知識があるかないかなので、この部隊がどれだけ魔物に詳しいかの勝負だろう。
「全員、警戒を!」
突如、サーラが叫び、部隊員は全員、警戒体制に入った。
次の瞬間、木々の奥から魔力を伴った紫の光が弾けた。
「魔装狼!?」
混乱の中、勢いよく跳躍した魔装狼が、イルヴァの頭上から降ってきた。
真横に飛んで回避すると、着地の隙を突き、魔装核がありそうな首を狙って剣を振り抜く。魔装核を砕いた手応えと共に血飛沫が勢いよく吹き出した。
返り血を浴びながらも、他の魔装狼の姿を確認する。
視界の左前方でヴァール達4人が押し留め、右奥では2人組が一体に追い詰められていた。
4人側は問題ない。問題は2人側。
そう思った瞬間、白い閃光が迸った。
魔法銃だ。
その魔法弾は魔装狼の腹に命中するが、弾かれた。
「くそっ!」
魔装呪符で強化された魔装狼の肌に、傷をつけることは叶わない。
【光の精霊よーーー】
エリサも詠唱しているが、間に合いそうにない。
イルヴァは身体強化で全力で跳躍した。
エリサに今にも襲いかかりそうな魔装狼を、剣を両手で持ち、横殴りにするようなイメージで振り抜いた。
ぐっと重みがかかる。
身体強化をかけていても、腕が重いが、気合いで振り抜き切る。
剣に弾かれた魔装狼は、地面を回転して転がった後、すぐに立ち上がる。
「魔法銃なら、目を狙って!」
魔装狼がもう一度跳躍したところで、再び閃光が走った。それは、魔装狼の右目に綺麗に着弾する。
「ぎゃうぅぅっ!」
魔装狼が唸りながら地面に落ち、右足で目をかいた。
「光魔法を!」
右目に気を取られている今なら詠唱は間に合う。
そう思い叫ぶと、エレナが頷いてロッドを掲げた。
【光の精霊よ。我に力を。彼のものの守護を無効化せよ】
詠唱と共にロッドから眩い白と金の光が溢れ出し、真っ直ぐに魔装狼を貫いた。
「くうぅぅんっ!」
切なげな声と共に、体に刻まれた魔装呪符が弾け散った。
こうなれば、もはやただの狼だ。
パァンという乾いた音ともに、魔法銃から放たれた魔力の弾が魔装狼を貫いた。
今度こそ肌が裂け、血が吹き上がった。
鈍い音と共に、その体は地面に横倒れになった。
「あ、ありがとうございました!」
礼を言ってきたエリサの後ろから、新たな個体が飛び出してきた。
「後ろ!」
イルヴァが剣を構えると、背後から光の矢が真っ直ぐ飛んできた。おそらくサーラだ。
その光の矢軌道を邪魔しないように気をつけながら、光の矢にあたり、落ちてきた魔装狼の首を切り捨てた。
そしてそのまま、新たに茂みから現れた個体に斬りかかる。
首を狙ってみたが、魔法核が首にない個体だったようで、剣は弾かれた。
その場合は、おおよそ足首か心臓だ。
イルヴァはそのまま右足首に剣を打ち込んだ。
スパッと足先が飛んでいく。
振り抜いた方向と逆に剣を引き戻し、魔装狼の首を落とす。
「みなさん! 一度、防衛魔法の中に!」
サーラの声が聞こえた。
どうやら体制を整えたいようだ。
ざっと探知するとまだまだいそうだ。
作戦を立てた方がいいかもしれない。
イルヴァはエリサともう1人が防衛魔法の圏内に入るまでの間に、3体始末した。
そして全員中にいることを確認して、イルヴァもその中に入る。
サーラの防衛魔法はしっかりしているので、魔装狼に取り囲まれていても、しばらく一息つくのは問題なさそうだ。
認識阻害もかけているようで、防衛魔法の中に全員が入れば、魔装狼も散っていく。
「汚れたわね」
血が全身についていたので、まずは手早く浄化する。
他の隊員のもやってあげたいが、他者への魔法は禁じられているので、ぐっと堪えた。
「……ありがとうございました。マティアスです」
魔法銃を扱っていた短い黒髪の青年だ。言葉数少なめだが、彼は礼儀正しく頭を下げた。
「礼を言われるようなことは何も。私の仕事は、みなさんの護衛なので」
「それと、申し訳ありませんでした」
次いで謝罪されたが、こちらは本当に身に覚えがない。
「顔を上げてください。特に何かされた覚えもありません」
すると、マティアスは顔をあげ、困ったように言った。
「アンドリス含めて、フェルディーン大尉の実力を疑ったことです」
「いえ。気にしないでください。研究員のくせに魔法なしで監督官をすると言われたら、不安に思うのは当然です」
「まさか、光魔法で魔装呪符を剥がす前に、身体強化だけで、あの硬い皮膚を切り捨てられるほどお強いとは」
「えっと、念のため補足しておきますが、魔装狼は必ず魔法核が体内のどこかにあるので、それを狙えば、光魔法がいらないだけです。力で叩き切ってるわけではないですよ」
納得したような表情を見るに、やはりイルヴァが怪力だと思われていたようだ。
魔法核の話は一般的ではないのかもしれない。
フェルディーン領ではおおよそこう言う形態の魔物の特徴として語られているので、当たり前だと思っていた。
「その魔法核はどうやって探すのですか?」
マティアスとの話を隣で聞いていたエリサが質問してきた。
「首、足首、心臓にあることが多いので、とりあえず首を切るようにしてますが、失敗したら、あとは勘ですね」
「フェルディーン大尉は普段は魔法で戦われているのですよね?」
「ええ。ですが、魔装狼は霧光の鹿とセットで出ることも多くて、剣で戦うこともーーー」
イルヴァは質問に答えながら、さあっと血の気が引くのを感じた。
王都は弱い魔物しかほぼでない。そんな先入観から、フェルディーン領であれば必ず警戒することを失念していた。
イルヴァは森の広範囲に探知を広げた。
先ほどは、森の北西部に魔物の反応がない地帯があった。しかし先ほどまでは反応のなかった範囲には魔物がそれなりの数確認できる。
今は、その探知できない地帯が南下してイルヴァたちに近づいてきている。
探知できていないのだから、完全に確信できるわけではない。
ただ、イルヴァの探知を無効化するとしたら、そんな魔物の選択肢は多くない。
「ーーーフェルディーン大尉?」
声をかけてきたエリサ、それから他の隊員の怪訝そうな表情が目に入った。
イルヴァの仕事は部隊員の命を守ること。
自分の懸念が外れたなら、自分が笑われればいい。
「落ち着いて聞いて。もしかすると有事を宣言するかもしれない」
あえて敬語を取り払って告げると、ヴァールが目を細めて問い返した。
「有事をですか? どんな魔物がいると?」
「……霧光の鹿よ」
ヴァールとサーラだけが息を呑んだ。残りの隊員は、その脅威がピンときていないようだ。戸惑いの表情を浮かべている。
「別名、魔法師殺しとも呼ばれている。霧光の鹿の一定の距離の範囲では、身体強化以外の魔法が使えなくなる。この防衛魔法も解除されるわ」
「そんなっ! 私たち、魔法がなかったらほとんど戦力になりませんよ!」
ことの次第を理解したエリサが悲鳴を上げた。
「どの程度、確信があるのですか?」
「6割程度ね。フェルディーン領なら8割で動くけれど……王都で出るのは信じ難い魔物だから、自信がない」
「では、どうしますか?」
問われて、行動を伝えようとしたその瞬間だった。
魔力が歪められた不快感と同時に、サーラの防衛魔法が派手に砕け散った。
「きゃあぁっ!」
「総員、身体強化を!」
イルヴァの叫び声と同時に、それは姿を現した。
銀と青の境を漂うような毛並みに、発光しているかのような角を持つ、幻想的で美しい鹿。
霧光の鹿だ。




