57.婚約者との街歩き?
シャルロッテとのお茶会も終わり、イルヴァが王立研究所の正式な研究員になるのにあと2日というところで、エリアスから街歩きをしないかとお誘いが来た。
エリアスもまた、イルヴァと同じタイミングで魔法師団に入隊するので、仕事が始まる前の遊びのお誘いということのようだ。
歩きやすさを重視して、ジャケットとシャツにくるぶしまであるスカート、それにブーツといった服装にした。
エリアスのお誘い文句からしても、ドレスを着ていくような場所ではなさそうだったためだ。
そして今、イルヴァは学校近くの駅でエリアスが来るのを待っていた。
駅までは家の車で送ってもらったが、早く着いたので、車には先に戻ってもらい、駅の前の噴水近くにあるベンチで本を読んで待つことにした。
ブックカバーをかけた本をカバンから出し、パラパラと続きまでめくる。
今読んでいるのは、ユーフェミアに貸してもらった恋愛小説だ。
ユーフェミアは定期的に、イルヴァの情緒を養うためといって、恋愛小説を貸し付けてくる。
小説は嫌いではないのだが、ヒロインの性格がイライラすると受け付けないことも多い。
そもそもシュゲーテルの恋愛小説で出てくる女は、アマルディアみたいな女性が多いのだ。
本音隠して言葉を飾り、言葉だけでなく視線で会話する。
これが典型的な貴族の淑女で、最も共感されやすい人物像であることは理解できる。
ただ、自分で言葉を濁しておいて、相手に意図が正しく伝わらなかったら落ち込んだり、ひどいと相手のせいにしたりするのは、いかがなものだろうか。
その点、今読んでいる小説のヒロインは、前向きで元気なタイプで、貴族だがそこまで回りくどくないので、比較的、共感できる。
ただ、このヒロイン、毎週のように友人とお茶をしたり、観劇したり、街に行ったり……。どれだけ交友関係が広いのだろうか、と考えさせられてしまう。
イルヴァは最近でこそ、予定が増えた。しかし、エリアスと婚約するまでは、ユーフェミアと1、2ヶ月に1回、学校の外で会うぐらいで、ほとんど友人との予定がないタイプだった。
だからこんなに友人と、しかも、色々なコミュニティの友人と遊んでいるヒロインが出てくると、驚嘆させられるのだ。
これが共感される人物像ということは、世の中の貴族の淑女はこのぐらいの生活を送っているのが標準的ということなのだから。
「お姉さん、1人なんですか?」
小説についてあれこれ考えていたら、声をかけられて顔を上げた。
話しかけてきたのは、おそらく年下の男だった。にこにことしていて、顔はどこか子犬っぽさを感じる顔立ちだ。
恋愛小説だったら、ここから恋が始まるか、この男を当て馬に、ヒーローとの恋が盛り上がるのが定石だ。
「人を待ってるの」
「こんなにきれいなお姉さんを待たせてるんですか? 悪い人ですね」
なぜか彼はそういうと、イルヴァの隣に座ってきた。
どうやって追い払おうかと考えながら、とりあえず本を閉じてカバンにしまう。エリアスの手を煩わせる魔でもない。彼がくるまでに追い払わねば。
「私は隣に座るのを許可してないけど?」
「そんなこと言わないでください」
イルヴァは名前だけは学校で有名な自覚があったが、顔はそこまで知られていないのかもしれない。
大抵の男はイルヴァに声をかけずに勝手に諦めていくのだが、こうして真正面から声をかけられるのは珍しい体験だ。
「お姉さん、魔法師ですか?」
「……ええ」
「魔法がもっと上手くなりたいと思いませんか?」
ここら辺で、イルヴァはこの男が何者かについて真剣に考え始めた。
キルトフェルムの学校前で尋ねる質問としては怪しさ満点だ。最初はナンパかと思ったが、どちらかというと詐欺か誘拐の類だろう。
ナンパならどうあしらおうか考えていたが、詐欺ならば、もう少し情報を引き出しておきたい。
「上手くなりたいわね」
「そうですよね! 上手くなりたいですよね! 魔法の練習にうってつけの場所があるんですが、行きませんか?」
エリアスと待ち合わせなので、イルヴァは流石にこの男に付いていく訳にはいかない。
しかしこの男のいう魔法の練習にうってつけの場所は、違法薬物を扱っているか、はたまた人攫いの巣窟であるに違いないので、場所は気になる。
「ここからどのぐらいの時間でいけるの?」
「車ですぐだよ」
イルヴァは人の感情に聡いわけではないが、今の男の言葉が嘘なのは分かった。
「練習に向いているなら、開けた場所なの?」
「どちらかというと、練習相手がたくさんいるから練習に向いているという感じかな」
この男は嘘と本当のことを織り交ぜながら話している。完全に嘘だと見破れるわけではないが、おそらく人がたくさんいるのは嘘ではない。
「そう。でもまあ、今日は無理ね。約束があるから」
これで引くなら、泳がせてもいい。
そう思っていたが、隣に座っていた男は懐から短剣を取り出し、イルヴァの横腹あたりに突きつけた。
「悪いけど、おとなしく着いてきてもらえる?」
おそらく周囲にいる人間に悟られないように脅したいのだろうが、座ってるとは言え、中途半端な位置だ。
腹部なら短剣がささっても、そのまま逃げれば治癒魔法でなんとかなる。
魔法と合わせ技なのかもしれないが、そもそも防衛魔法も張り放題だ。
イルヴァはとりあえず体の周りに薄く防衛魔法を張っておいた。
あまり手慣れている人間の行動ではない。これでは相手に簡単に反撃されてしまう。あまりにもお粗末な脅しだ。
ーーーもしかして、普通はこのぐらいでも、あっさり誘拐される?
先ほどの本と一緒で、イルヴァの価値観の方が歪んでいるのだろうか。
そんなどうでもいいことを考えていたら、一台の車が目の前に止まった。
ーーーなるほど。この車に押し込むだけだから杜撰なのね。
「立って」
とりあえずイルヴァは言葉に従って立った。
摘発するために乗り込むか、それともここで大胆に攻撃魔法を放つか、どうしようかと考えていたら、急に、隣にいたはずの男が、彼の持っていた短剣とともに吹き飛んだ。
打撃音とともに男はベンチの後ろにあった噴水にたたきつけられ、激しい水飛沫と共に噴水に沈んで動けなくなった。
イルヴァの目の前に止まった車は逃げようとしたが、こちらもタイヤが急激に凍りついて身動きが取れなくなる。氷漬けにした意図を組んで、ついでにタイヤをパンクさせるために魔法で穴を開けておいた。
逃亡防止のためか、氷は車全体を覆って、扉そのものも開かなくなった。
「イルヴァ! 大丈夫?」
混乱の中声をかけてきたのはエリアスだ。エリアスは今日も美しい出立ちだが、その表情には焦りが見えた。
タイミングの良さも、颯爽と駆けつけて相手の動きを封じてくれるのも、恋愛小説さながらだ。
「イルヴァ?」
再度声をかけられて、イルヴァはハッとして現実世界に意識を呼び戻した。恋愛小説のことを考えていたら、ぼんやりしてしまっていたようだ。
「問題ないわ」
「短剣を突きつけられてなかった?」
「すぐに制圧できる相手だったから、放置してたの。それに、この車が向かう先が気になったから」
「まさか、乗り込むために誘拐されるつもりだった?」
エリアスはイルヴァの肩に手をのせ、まっすぐな瞳でこちらを見つめた。その瞳から心配してくれている気持ちが伝わってきて、なんとも気まずい気持ちになる。
ーーー誘拐されてみようかと思った、って答えたら怒られるわよね。
返事を考えていると、肩を掴んでいるエリアスの手に力が入り、顔色も変わった。
沈黙は肯定だと受け取られたようだ。こうなれば白状するしかない。
「根城に乗り込んで制圧しようと思ってたわ。その後、町の衛兵に通報して後処理してもらおうかと」
「1人で乗り込もうとするなんて……いくらイルヴァが強いと言ったって、魔封じの腕輪でもつけられたらどうするの?」
「私は物理でもそれなりに強いんだけど……」
「そういう問題じゃない。心配なんだよ」
エリアスの青い瞳がまっすぐにこちらを見ている。彼の髪は、先ほど走ってきたからなのか、やや乱れている。それを整えるように手を伸ばして、跳ねているところをすいて元に戻した。すると、エリアスは表情を少しだけ和らげて、視線をそらした。
「心配をかけたことは謝るわ。でも……学校近くでの誘拐騒ぎを放置はできない」
「……アストに通報と摘発の指揮は任せる。これでどう?」
エリアスの後ろにいたアストが、こくりと頷いて、ひとまず噴水に沈んだ男を回収した。男は勢いが強すぎて気絶しているようだ。
レンダール家が対応してくれるのであれば、人さらいも摘発されるだろう。イルヴァが自ら監督する必要はない。
「それで問題ないわ」
「……本当に怪我してない?」
エリアスが肩から手を話すと、イルヴァの左側の脇腹あたりを確認した。先ほど男に短剣を突きつけられていたあたりだ。
突きつけられていたと言っても、そこまでピッタリつけられていた訳ではない。特に切れたりした感覚はなかったし、服も破けたりはしていない。
「大丈夫」
「イルヴァならいつでも反撃できたはずなのに、反撃しないから……」
流石のイルヴァも相手がこちらを本気で傷つける気であれば、もっとはやく手を打っていた。
しかし声をかけてきた男からは、特にイルヴァをどうこうしようという気持ちは感じられなかったので好きにさせていたのだ。相手を絶対に制圧できるという自信があったというのもある。
ただ、エリアスの心配そうな表情を見ると、自分の判断が正しかったのか悩んできた。
目の前で誰かがさらわれているわけでもないのだから、イルヴァがこの場で解決する必要はなかったかもしれない。まずは男を制圧して、それから人手を使って調べさせるほうがスマートではあるだろう。
「心配をかけてごめんなさい。すでに誰かを攫っているのだったら、根城を突き止めておきたいと気が急いたの」
「……イルヴァが強いのは分かるけど、1人で解決しようとしないで」
「必要がなければ、そうするわ」
必要があればやる、という言外の意味はしっかりと伝わったらしい。エリアスは不満げな表情をしたが、深いため息をつくと、やれやれとばかりに首を横に降った。
「1人で解決する必要性に迫られないで欲しいけど……落とし所は大事だからね」
エリアスはそういうと、すっと手を差し出してきた。
ーーーこれは……手をつなごうということね?
そう思って、イルヴァはそっとエリアスの手を握った。
違ったらどうしようかとおもったが、エリアスはにっこりと笑って手を握り返してくれたのであっていたようだった。
「行こう」
「目的地は決まってるの?」
「ううん。ただ、イルヴァと街歩きしたいなと思っただけだよ。仕事が始まったら、慣れるまではお互いにバタバタしてしまうだろうから」
確かに仕事の休みが合わなければ、こうしてのんびりエリアスと街歩きするのは難しくなってしまうだろう。
研究者として務めるイルヴァの休みは規則的である予定だが、魔法師団に所属するエリアスは交代制の休みなので不定期だと思われる。
「こうして街を歩くのは、リズベナー公国以来ね」
「そうだね。リズベナーに行ってきたのがわずか数週間前だとは思えないぐらい昔に感じる」
「最近は忙しかったものね」
目的地は決まっていないと言っていたが、エリアスは学校近くで最も店が多い通りに向かっているようだ。買い物もできるし、疲れたらカフェでお茶もできるので、目的のない散策には向いている。
「そういえば、イルヴァはシャルロッテ様と会ったんだよね?」
「ええ。昨日ね」
「どんな話をしたの?」
どんな話、と聞かれて、イルヴァはシャルロッテに頼まれたことを思い出した。
ーーーユフィに相談しようと思ってたけど、エリアスに聞いて見てもいいかしら? エリアスはそもそも、2人のことを恋仲だと思っていたのだから、ちょうどいいかもしれない。
「リタ・シーレの理論を実現した照明を紹介した後に、シャロにお兄様との恋を応援してほしいと頼まれたの」
「応援……ということは、2人は恋仲ではまだないの?」
「そうだと思うわ。でも、一般的に応援って何をすべきなのかしら?」
「うーん……義兄上の好きなものを教えてあげるとかは?」
「好きなもの……? 魔法理論……?」
「いや、そういうことではないんだけれど……」
エリアスが苦笑しながら否定して、歩きながら例を挙げた。
「たとえば好きな食べ物とか、趣味のものとか?」
「そうね……お兄様の好きな食べ物……」
ーーーお兄様ってなんでも食べるけれど、何が特に好きなのかしら? 本人に聞いてみる? でも、いきなり私がそんなことを聞いたら怪しまれるかしら……。
「今度、ご飯を食べるときに観察するといいよ。直接聞いたらダメだよ。イルヴァの交友関係は狭いから、シャルロッテ様に何か言われたと勘付かれるよ」
「直接聞くのはやっぱりだめよね」
イルヴァは納得して、兄のことをもう少し観察してみようと決めた。
「それにしても、エリアスって私の考えてることわかるのね」
「えっ?」
「今も、ちょうどお兄様に直接聞くか悩んでたのよ」
「あ……そういうことか」
エリアスはふと立ち止まって、こちらを見た。繋がれた手が、すこし力んでいる。
大通りのど真ん中で立ち止まったので、行き違う人の視線が痛い。
しかしエリアスは周囲の視線などまるで気にならない様子で、深刻そうな表情をしていた。そして、躊躇いがちに問いかけてきた。
「イルヴァは、もし、他人に心を読まれていたとしたら、どう思う?」
「どういう理論か気になるわね」
「え? あ、いや……そういうことが聞きたいわけでは……。その、心を読まれてることに不快感を感じると思う?」
ーーー不快感……。特に感じない気がするわね。私は嘘はつけないから、思考を読まれても私にとってデメリットがないような……。あ、でも戦闘中に思考を読まれたら不利だわ。そもそも心を読まれるってどういう状態だと仮定して答えれば? 今、私が考えてることが普通の会話のように聞こえるってこと? 通話みたいな感じかしら? 人間の思考を完全にトレースするのは難しいはずよ。それは鑑定魔法で感じた。人間は他人の思考を受容できるほどの処理能力を持っていない。つまり、やっぱりこういう今考えてることが筒抜けってことよね。うーん、やっぱり戦闘中以外は困らないわね。
「イルヴァ。大丈夫?」
あまりに長く考えすぎて、エリアスに声をかけられてしまった。
イルヴァは聞かれている質問に端的に答えることにした。
「不快感は感じないけれど、戦闘中は困るわ。だから、やはり理論を解明して、妨害できる手段は考え抜くかしら」
「不快感、本当に感じないの?」
「感じないわね」
納得できないのか、エリアスが手を握る力が強くなった。どうしてこの仮定の議論に真剣なのか不明だが、イルヴァは率直な思いを打ち明けることにした。
「だって、エリアスが私の心情を察してくれるのだって、似たようなものじゃない? 私は、他者の気持ちに敏感なエリアスのことをすごいと思うし、私の考えていることを察してくれて嬉しいと思ってるから」
エリアスの手から力がふっと抜け、繋いでいた手が解かれた。
彼は目を大きく見開いた後、手の甲でパッと口元を覆って視線を逸らす。どうしたのかと思っていると、なぜかエリアスの耳が赤いのに気づいた。
寒いのだろうか。
「赤くなってるけど、寒いの?」
「……本当、勘弁して」
「私、何かした?」
「イルヴァって……案外、人たらしなんだね」
「人生で初めて言われた評価よ。本気で言ってる?」
はっきりとした物言いで、嫌われることはあれど、好かれることはあまりないと思っていた。
それなのに、まさか人たらしだと言われるとは。
「本気だよ。僕はいつだってイルヴァに本心しか伝えてないから」
だから、信じてほしい。
エリアスはそう言ったわけではないが、他人の心情に疎いイルヴァでも、この時のエリアスが真に言いたいことは、察することができたのだった。




