55.リズベナーの公女の思わぬ告白
昼食を食べ終えたイルヴァは、シャルロッテの訪問を応接室で待っていた。
車のところまで出迎えようと思っていたが、シャルロッテ本人からそこまで大袈裟に出迎えなくて良いと言われたので、お言葉に甘えた形である。
今日のイルヴァは、シャルロッテを出迎えるということで、きちんとドレスを着ている。
屋敷でドレスを着ることは少ないのだが、さすがにカジュアルな服装でお出迎えするほどの親しさはない。
イルヴァの待つ応接室は続き部屋になっていて、護衛がたくさんいても別室で待てるスタイルになっている。
今日は流石のイルヴァも、シャルロッテの安全のためにマリアと護衛を1人部屋に伴っている。
「あなたは別室で控えていて。マリアは今は残ってもらうけれど、シャロにが全員下がるのであればあなたも下がって」
「この部屋には防衛魔法おかけになりますか?」
護衛の男はイルヴァが魔法をかけるか質問してきた。シャルロッテを守るのにあたり、イルヴァの防衛魔法があるかないかでは作戦が変わるだろう。
「ええ。認識阻害以外はかけておくようにする」
「では、私は別室で控えております」
護衛が別室に下がったのを見送った後、イルヴァは部屋に念入りに防衛魔法をかけた。
認識阻害をかけるとシャルロッテ一同が入って来れないので、認識阻害はやめておく。
「いつみてもお見事ですね」
「まあ、これは昔から得意だから」
マリアはしみじみと展開された魔法を褒めた。マリアは最もイルヴァの魔法を見ているのに、いつでも感心してくれる。
「そういえば、防衛魔法の中からの外部への魔法行使も論文にされるのですよね?」
「ええ。体系化論文だと分かるようにしないといけないから、表現には気をつけないといけないわ」
「魔法理論の先行研究が発表されているからですか?」
「そのとおりよ。リズベナーの論文の剽窃に見えてはいけない。もちろん、魔法理論はその論文を引用するから、そういう見え方にはならないと思うけれど……国内ではどう扱われるか、世論をコントロールしないといけないかもしれないわ」
シュゲーテルは戦闘系の魔法の研究と体系化に強い軍事国家である。
研究者も軍人であり、王立研究所は戦闘系と治療にまつわる魔法の研究を専門にしているものが8割を占めている。
イルヴァのこの論文は、シュゲーテルでは評価されやすい部類の論文だ。
しかも、これはレンダール公爵家の名前を使って出す論文になる。
レンダール公爵家にゴマをするためにも、国内の世論が、まるで自国で理論も開発されたかのようになるのは想像に難くない。
「お嬢様が戦闘系魔法の論文を発表されるのは珍しいですね」
「話の流れでお義父様に頼まれたの。だから、レンダールの名前で出ると思うわ」
「なるほど。処世術でしたか。お嬢様も成長されましたね」
マリアはほとんど歳は変わらないのに、まるで母のような口ぶりだ。
イルヴァはそのことを突っ込もうとしたが、同時に扉がノックされた。
マリアが扉まで歩いて行き、扉を開ける。
イルヴァはその場で立ち上がって、部屋に入ってきたシャルロッテを迎えた。
「今日はご足労いただきありがとうございます」
「こちらこそ、お招きいただきありがとうごさいます」
シャルロッテが部屋に入ると、彼女の侍女1人と護衛が3人共に入ってきた。
「こちらにどうぞ」
「ありがとうございます」
イルヴァが向かいのソファを勧めると、シャルロッテは笑顔で礼を言いながら座った。
彼女の席は控え室の扉からも廊下からも最も遠い位置で、上座に当たる場所だ。
それはすなわちもっとも護衛しやすい場所とも言える。
「あちらの続き部屋は、待機室でしょうか?」
「はい。ですが、4人ぐらいであれば、この部屋にいていただいても構いません」
シャルロッテはリズベナー公国の公女で、継承権も持つ人間だ。警備は強化したいだろう。
そう思って提案したが、シャルロッテは首を横に振った。
「ゆっくり話したいので、とりあえず護衛はあちらに下げさせますわ」
「シャルロッテ様、1人はこの部屋においてください」
護衛の1人が彼女の言葉に異を唱えた。
「あなたもこの部屋に張られた防衛魔法の見事さが分かるでしょう? 侵入者が入ってくるとは思えないわ」
「侵入者はいないかもしれませんが……」
護衛は最後まで言わなかったが、イルヴァが攻撃する恐れはある、ということを言いたいのだろう。
そのぐらいの警戒心は護衛にはあって然るべきなので、気にはならない。
「あなたたちが下がるのも信頼の証よ。エッダは残すから下がりなさい」
「承知いたしました」
渋々と言った様子だったが、シャルロッテの再度の命令に、護衛達は続き部屋へと移動した。
その間にいつのまにか紅茶を淹れたマリアが、シャルロッテとイルヴァに紅茶とお茶菓子を出した。
白い湯気とともにフルーティーな香りが立ち上る。菓子はバターの風味が豊かなフィナンシェとサクサクのクッキー、チョコレートが並べられていた。
「こちらの紅茶、良い香りがしますね」
「りんごのフレーバーティーです。気に入っていただけると良いのですが……」
シャルロッテは紅茶の香りを楽しんだ後、ティーカップを持ち口に運んだ。
そしてゆっくりと味わい、カップをソーサーに戻すと、にっこりと微笑む。
「美味しいです。一般で流通していますか?」
「フェルディーン領で生産しているものなので、お気に召したなら包ませます」
「ありがとうございます! 香りの良いものは好きなので、とても気に入りました」
シャルロッテはお礼と共に嬉しそうな表情を見せた。
双子の兄であるジルベスターと違い、とても愛想が良く表情豊かだ。物腰も柔らかい。
双子と言っても必ずしも性格が似る訳ではないらしい。
「そういえば、照明の作成はできましたか?」
「はい。ご覧になりますか?」
「ぜひ!」
シャルロッテが手を合わせて、声を弾ませた。
そのやりとりを見ていたマリアが、部屋の隅の机に並べていた照明を1つ取り、2人の間にあるテーブルに置いた。
魔封じの腕輪もセットで並べ、マリアが腕輪を身につけた。
「マリアがつけたのが魔封じの腕輪です。これで魔力欠乏症の状態を擬似的に再現しています。完全に魔力を封じる訳ではないので、リタの妹さんが使えるかは、本人に使ってもらわないと不明ですが……」
イルヴァが一通り説明を終えると、マリアが腕輪をした状態で照明のスイッチを押した。
すると、ふわりと照明が光を放つ。
「素晴らしいです! この短期間で作成してしまうなんて、技術力が素晴らしいですね」
シャルロッテは楽しそうに照明を眺めながら、にこにこと褒めてくれた。
「彼女の理論と設計図がかなりしっかりしていたのもありますし、生活に困っているでしょうから、お金を積んで職人を急かしました」
家にある生活用品を1人で扱えない不便さは想像に難くない。
リタのやる気を引き出すためにも、このぐらいは早めに送り届けたかったのだ。
「差し支えなければ、リタの研究に出資していただいた理由を伺っても?」
「彼女の理論を転用して作りたいものがあるからです。作りたいものについては秘密です」
「そうなんですね。それでもかなり、好条件で出資していただいたと伺いましたけれど……」
「平民で女性の彼女が研究を続けるには、資金源があった方が良いですから。私は国外貴族ですので、大して名前に力がありませんから、お金は援助しようかと」
「名前に力がないなんてとんでもない! リズベナー公国でのあの訓練の様子は知れ渡っていまして、リタにもかなりの出資の声がけがあったようですよ」
「それは良かったです」
この短期間のやり取りから察するに、シャルロッテは比較的、相手を立ててくれるタイプのようなので、この話がどの程度、本当なのかはわからない。
しかし、リタへの出資が増えているのであれば、それは良かった。
「こちらは、一つ持ち帰れば良いでしょうか?」
「10個作成しましたので、こちらで車に直接運ばせます」
「ご歓談中に確認させていただきたいので、先に車に運んでいただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろん構いません」
シャルロッテの横にいたエッダが会話に入ってきた。確かにシャルロッテと共に帰る車に積むのであれば、確認は必要だろう。
イルヴァはマリアを見ると、心得たとばかりに照明を持ち、部屋を出ていった。
「さて、お仕事の話はこのぐらいにして、個人的なお話をしても良いですか?」
「ええ、もちろん構いません」
個人的な話をするのは構わないが、友人とする一般的な会話とはどんなものだっただろうか。
イルヴァが会話のネタを探していると、シャルロッテはなぜか互いが座っているソファの範囲ぐらい、つまり、隣室を弾いて盗聴よけの防衛魔法を張った。
「すみません。驚きましたよね。でも、本当に個人的なことなので……」
「私は構いませんが、何のお話でしょうか?」
全く心当たりのないイルヴァは、シャルロッテの言葉の続きを待つ。
ついでに紅茶を飲もうかと手を伸ばしかけた時だった。
「先輩はどのような女性がお好きなのですか?」
イルヴァはその質問の意味がわからず紅茶を飲みかけ、一拍遅れて理解して、ティーカップを持つ手が震えた。
紅茶をうっかりこぼしかけたイルヴァは慌ててソーサーにカップを戻す。
ポーカーフェイスは得意なタイプだから、顔に動揺は出ていないだろうが、内心ではとても動揺していた。
「その、先輩とは、兄のことですよね?」
「あ、失礼いたしました! そうです。イクセル様です」
ーーー困った。お兄様の好みなんて全く知らないわ。でも、シャロには好意がありそうだったわよね。いや、大体こういうのは第三者が余計なことを言わない方がいいのよ。恋愛小説で拗れる時は、だいたい余計なこという馬鹿のせいなのだから。でも好意がないと思われるのももっとまずいわね。
頭の中でした思考をどうアウトプットするか悩み、イルヴァは一度紅茶を飲むことにした。
そしてなんとか思考をまとめ、自分に言える本当のことの範囲で、それとなく兄の好意を匂わせるぐらい
「お兄様の好みは分かりません。ただ、シュゲーテルで、服装に相手の髪や瞳の色を取り入れるのは、一般的に親愛や恋愛的な意味を想起するのが自然です」
兄は昼食会では全体的に黒をまとっていた。あれは意図的でないわけがない。
シャルロッテは、話の続きを促すかのようにじっとこちらを見つめている。
彼女の大きくて丸い目に見つめられると、もう本人を連れてきて直接話し合いをしたい気持ちに駆られるが、グッと堪えた。
「お披露目の日、夜の部の服装はレンダール公爵家と共同でのデザインですから、お兄様が独断で決めた訳ではありません。しかし、シャロとの昼食会の服装は、お兄様の意思で選んでいるかと」
シャルロッテはイルヴァの言葉に、兄の服装を思い返したようだ。そして、目を見開いて、はしゃいだ様子で言った。
「それはつまり……脈はあると思って良いでしょうか?」
ふと、シャルロッテがリズベナーの公女であることを思い出した。シュゲーテル貴族なら、イルヴァの先ほどの返でも直接的すぎると思われるかもしれないが、彼女は率直さを重んじるリズベナー公国の公女だ。
イルヴァの返答では間接的すぎたのだろう。
「恐らくは」
そのため、兄の意思を勘違いしていませんようにと祈りながら、イルヴァはシャルロッテの問いを肯定した。
すると、シャルロッテが満面の笑みを浮かべた。
「良かったです。望みがないわけではなさそうでしたら、頑張りがいがあります」
「それは、その……兄に好意が? それとも、何か政略的に利点があるのでしょうか?」
イルヴァはかなり直球な質問をしたが、シャルロッテ本人はもちろん、エッダも顔色を変えなかった。
リズベナーでは通常範囲のコミュニケーションのようだ。
「そうですね……もちろんその、先輩がリズベナーの貴族ではないというところも結婚相手としてちょうど良いという事情もあるのですが……どちらかというと、単純に私が先輩のことを好きなんです」
シャルロッテは笑顔でそう言い切った。その言葉に嘘はなさそうだ。
「あの、お兄様は当主になるのに妨げになる相手は選ばないと思いますが……」
「もちろん、私が嫁ぐつもりなので、問題ありません」
食い気味に返答された。どうやら本気のようだ。
身分差などは気になったが、シャルロッテがここまで好意を寄せているのであれば、なんとかなるかもしれない。
「……そ、そうなんですね」
思えば、イルヴァは生まれてこのかた恋愛話を誰かとするという機会にほとんど恵まれたことがなかった。だからどういう反応をするのが良いのかわからなくて、微妙な相槌を打つことになった。
そんなイルヴァの様子には気づいていないのか、シャルロッテはソファに座ったまま、少しこちらに身を乗り出して、言った。
「よろしければ、協力していただけませんか?」
彼女のキラキラとした黒い瞳がじっとイルヴァを見つめている。その役回りには自分の力量が足りないと言うべきか悩んだが、彼女の意図してか、そうでないのか、お願いするときの愛らしい様子を見せられると、そう言うことは言いづらい。
それにイルヴァだって、協力する意思はある。役に立つのかが不透明なだけだ。
「もちろんです」
「わあ、ありがとうございます! イルヴァが協力してくれるのなら、安心です」
こうして、イルヴァは生まれて初めて、恋のキューピッドになることになった。
自分の恋愛がおぼつかない身としては、荷が重いが。
ーーーユフィに相談しないと……。
協力してと言われて何をするべきか一つも思いつかないイルヴァは、友人が良いアドバイスをくれることを祈ることにした。




