5.午後の授業に
率直な気持ちを打ち明けた後、二人での食事は和やかに進んで行った。
昼食を食べ終え、イルヴァは次の時間には授業がなかったので、エリアスに礼をいって解散しようとしたら、エリアスが予想外のことを言った。
「次の授業は、一緒ですね」
「次……?」
「モンテリオ教授の魔法応用概論です。厳密には午後の1番ではなく2番目の授業ですが、イルヴァも私も次の授業はないので、もう少しゆっくりしてから一緒に授業に出ましょう」
イルヴァはそう言われて、初めてエリアスが同じ授業をとっていたことに気づいた。そしてそれをエリアスが把握していることにも驚いた。
「申し訳ありません。私、気づいていなくて……」
「謝らないでください。本当に私のことを何一つ知らないのだということをしみじみ実感しました」
エリアスの言葉はどことなく悲しげだったのだが、なぜか、少し嬉しそうにも見えた。
その複雑な心の動きの理由が読めなくて、イルヴァは理由を問おうとしたが、なんと質問して良いか分からずに、何も言えず、食後のお茶を誤魔化すように口にした。
「今日の授業はモンテリオ教授の授業で終わりですよね? よければ授業のあと、少しだけ時間をいただいても良いでしょうか? 婚約にあたってレンダール公爵家としてお願いしたいことがありまして」
「はい。もちろんです」
何をお願いされるのかは分からないが、イルヴァはその言葉にほっとした。レンダール公爵家から、婚約にあたって本当に何も条件をつけられなかったので、父も困惑している様子だったのだ。
貴族間での借りは怖い。
相手が公爵家であれば、できるだけ小さく借りを返していく方が賢明だろう。むしろお願いされることが多ければ多いほど、父のことも安心させられる気がした。
他愛のない話をエリアスした後、二人してモンテリオ教授の授業のある講義室に入った。この講義は、人数が少ないのと、魔法応用理論は、実用的な授業とは言い難い高度な理論の話のため、研究者気質なものも多い。
だから、エリアスとぶしつけな視線を浴びることなく講義室に入ることができた。
「イルヴァ! 本当に婚約したのね! おめでとう」
講義室に入った瞬間に、ふんわりと緩く巻かれたプラチナブロンドの髪が可愛らしい美少女が嬉しそうに話しかけてきた。イルヴァの数少ない友人であり、イルヴァの性格を熟知しているユーフェミア・ライストだ。
「ユフィ、ありがとう。ついこの前、婚約したの。エリアス様、いつもユフィといっしょに受けているので、席はここでも?」
「もちろんです。お二人がいつもこの授業を一緒に受けているのは知っていますから。ライスト嬢こそ、私がご一緒していいでしょうか?」
「ええ、もちろんです」
イルヴァが知っている浅い噂の知識でも、ユーフェミアは男性人気no1の美少女だ。彼女の実家は侯爵家で、縁談には困らないのだが、ユーフェミアが当主になるかどうかが曖昧な立場なため、婚約を決められずにいる。
だからこそ、エリアスと並んでユーフェミアは婚約者のいない異性人気で首位を取り続けていた。エリアスはイルヴァに対して一目惚れだといったが、どこか冷たい印象のあるイルヴァよりも、可愛らしさのある美しさをもつユーフェミアに一目惚れする方が納得がいくのだが、なぜかそうはならなかったらしい。
ーーーそういえば、授業が一緒だったなら、そもそもダンスパーティで一目惚れというのはおかしい話な気がしてきたわね。ますます怪しいわ。
イルヴァがユーフェミアの隣に座ると、エリアスは続いてイルヴァの隣に腰掛けた。
「ところで、学校中の噂になっていますが、お二人の婚約はどのように成立したのですか? なんでも雄大な鷹が空中だけでなく強かな黒兎が息巻く地上すら掌握しようとしたとか、黒兎の方が雄大な鷹に憧れてみずから地上の覇権をひっさげて出向いたとか、さまざまな噂が面白おかしく広がっているようですが……」
貴族というものはどうしてこう、ストレートな表現を嫌うのだろうか。
もちろん、解釈の余地をもたせることで、発言が問題になった時に言い訳できるようにだろうが、婉曲的すぎて面倒だ。そもそも家紋に使われている動物で会話したら、どのみちどの家かは推測できるのだから、ストレートに家名を言えばいいものを、貴族という生き物はそうしないのだ。
ユーフェミアの言葉はそういう意味で、貴族のお手本のような表現だった。
「噂は噂に過ぎません。単純に鷹が可憐な紅薔薇色のうさぎに惚れこんで婚約を申し込んだのです。無粋な意図はありません」
それに応えるエリアスも実に貴族的な回答をした。イルヴァと話す時は、気を使ってできるだけシンプルに話してくれていたようだ。
「まあ!素敵! 私はそうなのではないかと思っておりました。書面だけではなく、レンダール様がわざわざフェルディーン家に足を運ばれたのですものね」
この授業にいる生徒は本人の前で噂話をしたり、不躾な視線をぶつけてきたりするほど品性の低いものはいない。しかし、だからといって置物ではないのだから、ユーフェミアとエリアスがわざわざそこそこの声量で繰り広げている会話を、全く聞いていないというわけでもない。
つまり、この講義室の中にいる生徒の中から数人が友人にこの会話をささやくだけで、明日には学校中が真実を知ることになるだろう。
ユーフェミアはおおよその事情をわかっていないがら、わざとこの茶番を繰り広げてくれているのだ。
「でも、本当に恋情だけでの婚約なのですか? 実はレンダール様がイルヴァに求めているものがあるのでは?」
「一つだけお願いしましたね」
「お願いを?」
ユーフェミアが首を傾げて問い返すと、エリアスはイルヴァを見つめながら言った。
「お互いを名前で呼びましょうと」
「レンダール様は情熱的なんですね!」
隣にいるユーフェミアの視線が痛い。にこにこと笑いながらこちらに視線を向けている彼女は、イルヴァ視点の話をもっと詳しく知りたそうに見える。
「少しでもはやく距離を縮めたくて、そうお願いしてしまいました」
イルヴァは無表情を装っていたが、二人のはしゃぎように恥ずかしくなってきてしまっていた。エリアスはなぜそんな良い笑顔で砂糖を吐きそうな甘いセリフを恥ずかしげもなく言えるのだろうか。
少し早めに着いたからまだ授業が始まるまでに時間がある。この茶番を、この2人は授業が開始するまで続けそうだ。
「ユフィ。講義室であまり騒ぐと迷惑になるわ」
二人のおしゃべりを止めたくてそういうと、ユーフェミアがからかうような視線を向けつつも、仕方がないわね、とばかりにうなずいた。
「それもそうね。この後は何か予定が?」
続きは個別にお話ししましょう、という意味だとイルヴァにもわかるが、今日はその願いを叶えることができない。
「用事があるの。明日の昼食を一緒に取るのはどう?」
「ええ!もちろん。私が個室を予約しておくわ。料理は二人分でいいわよね? ライスト侯爵家の威信にかけて、イルヴァが気にいるような料理をたくさん用意するわ」
「ユフィったら……」
さきほどの出来事なのに、エリアスが料理を用意したことを知った上で、イルヴァをからかっているのだ。彼女がイタズラっぽい笑みを浮かべてエリアスの方を見た。その視線に合わせてエリアスの方を見ると、なぜか彼はちょっと不満そうな表情をしている。
「私が明日もお誘いしようと思ったんですが」
「明日もというより、学校に来ている日がかぶっていれば毎日誘う気だったのでは? 明日ぐらい譲ってください」
ユフィがその愛らしい顔に似合わないはっきりとした口調でそう言い切ると、エリアスは渋々といった様子で頷いた。どうやら二人の間で話はまとまったようだ。
ーーーところで、いつの間に、エリアス様と毎日食事を取ることに?
イルヴァの心の中の疑問を口にするより前に、教授が講義室に入ってきた。
3人は雑談をやめて、前を向いた。
モンテリオ教授はあきらかにイルヴァと隣にいるエリアスを見て、何かを言いたげな表情を見せたが、すぐに通常運転に戻って授業を淡々と開始した。
彼の授業はこの学校の中でも最も高度と言われる部類の学問だ。概論、という名前にふさわしくない、かなり具体的で先進的な理論が含まれる授業だが、モンテリオ教授からすれば、これは単に魔法理論の「触り」であるということだろう。
イルヴァからすれば、魔法理論の中で彼の授業が最も価値ある「基礎」であるのだが、あまりにも「理論」すぎるところが学生にウケない理由だろう。魔法に精通していればこの授業は、実用的に活かす方法を見出す思考の一助となるが、そもそもの魔法に対する理解が低い場合は、実践的な魔法実践学を学んだ方が効果を見出しやすい。
いつの時代も、魔法を体系化する魔法使いよりも、体系化された魔法を扱い活躍する魔法使いの方が数は多いのだ。そして後者にとって、この授業は最も価値のない授業となる。
ーーー新たな魔法を体系化できるということは無限の可能性があるのだけれど、それをやるのは面倒だということなのでしょうね。
エリアスのレンダール公爵家、ユーフェミアのライスト侯爵家は魔法を体系化する魔法使いの名家である。フェルディーン家も、代々とまでは言わないが、どちらかといえば理論に強い魔法使いを排出してきた家だ。
基本的にこの授業をとるのは、そういう魔法の名家の家の出身で、本人に資質があるものか、家を継ぐ可能性がないが資質があり研究者を目指しているものかである。
今日の会話の流れからするとエリアスは成績上位者であるだろうし、レンダール公爵家の長子としても求められている学問だろう。その妻であるイルヴァにもその素養は求められるが、それについては問題がない。
なぜなら魔法理論は、イルヴァの最も得意とするところだからだ。
いつもよりも授業に集中しきれていなかったが、考え事をしていたせいか、あっという間に時間が過ぎた。
気づくと授業が終わっていて、3人で席を立った。
「では、また明日」
「ええ。明日のお昼に」
ユーフェミアと簡単な挨拶を交わして彼女を見送ったあと、エリアスに向き直った。すると、エリアスは小さく着いてくるようにいうと、どんどん講義室の前に歩いて行って、モンテリオ教授に話かけた。
「手紙でお送りした件ですが、この後時間を頂戴してもよろしいでしょうか?」
「その件ですが、部屋を用意しております。レンダール公爵にもお話ししたいもので」
なぜかモンテリオ教授はそのブルーグレイの目をこちらに向けた。どことなくイルヴァを非難するような表情をしている。
普段、モンテリオ教授とは親交がある上に、特に何かした覚えのないイルヴァは、理由がわからずに首を傾げた。しかしエリアスの手前、モンテリオ教授にその疑問をぶつけるのは避けて、おとなしく着いていくことにした。
モンテリオ教授がイルヴァとエリアスを連れてきたのは、彼に与えられている研究棟の中にある応接室だ。中に入ると、金髪に碧眼の壮年の男性が座っていた。その姿があまりにもエリアスに似ているので、ほとんど接点はないイルヴァでもすぐにその人物が誰か検討がついた。
「お待たせいたしました。ご子息とフェルディーン嬢を連れてきました」
「忙しいところすまないね。初めまして、アウリス・レンダールだ」
「初めまして。イルヴァ・フェルディーンと申します。この度は、当家にはもったいないほどのご縁をいただきまして、父にかわり感謝申し上げます」
まさかこんなところで会うとは思わなかったが、無難に縁談に関する感謝を述べた。モンテリオ教授とのやりとりを見ている限り、エリアスが言っていた用事はアウリスの要望なのだろう。
全員がテーブルを囲むように並べられた1人がけソファに着席すると、どこからともなく現れた侍女らしき女性が手際よく紅茶を出した。全員にお茶が提供されたところで、モンテリオ教授が切り出した。
「さて、ご依頼いただいた件ですが、少々……認識に相違がありそうでして」
「認識に相違が?」
「レンダール公爵は、この度ご子息と婚約されたフェルディーン嬢に、魔法理論および体系魔法において優秀生と同等の知識をつけてほしいため、私に特別講義をとご要望いただきましたね」
イルヴァはそこで、モンテリオ教授がなぜさきほど非難の目を向けてきたかを完全に理解した。
優秀生とは、学校で30位以内に入る成績優秀生のことをさす。イルヴァはその境地はとっくに達しているので、モンテリオ教授は困ったということだ。
「それに何か問題が? 学校に掲示されている順位表にフェルディーン嬢の名前はなかったが……総合テストはと
もかく魔法に秀でているのかい?」
「そうですね……さて、フェルディーン嬢。私が君に何を求めたいか、わかるね?」
「あら、教授は教授であるかぎり、守秘義務は絶対ではありませんか?」
教授が何を言いたいか理解しているものの、イルヴァは肩をすくめて誤魔化して見せた。するとモンテリオ教授はすごく嫌そうな顔をした。
「私の時間が無駄に消費されることになんとも思わないのか?」
「茶番さえ演じれば、優秀な助手を確保できて、むしろ研究が進むのではありませんか?」
「……フェルディーン家のみならずレンダール家も敵に回す勇気はない。そもそも公爵の前でこの会話をしている時点で、煙に巻けると思っているのか?」
イルヴァは正面切って質問されれば嘘はつかないが、濁したり黙ったりすることは得意だ。しかし、この状況になっては隠し続けることはできないだろう。
イルヴァと教授の押し問答を静かに見守っていたアウリスも、興味深々といった様子でこちらを見つめている。
「先ほど、レンダール公爵がおっしゃった、私の名前が順位表にないというのは事実ですが、それは私が30位以下であることの証明ではありません」
「……というと?」
「私は成績非公開を希望しておりまして、常に名前は伏せられ、掲示されています」
そこまでいうと、アウリスとエリアスが同時に息を呑んだ。
順位表にのる好成績で成績開示をしていない生徒の順位は、一つしかない。噂に疎いイルヴァでも「謎めいた主席」の存在が噂されていることは知っていた。
「お察しの通り、私は入学して以来1位ですから、優秀生のレベルで良いのでしたら、正直に申し上げて、これ以上、特別講義を受ける必要はないかと思います」