46. 婚約お披露目前日の王女の来襲
レンダール家で膨大な量の招待人データをもらったあとからの日々は、イルヴァにとって目まぐるしく過ぎていった。
水魔法による治癒魔法の体系化論文を研究所に提出した以外は、ほとんど魔法に触れることはできなかった。
公爵家との婚約お披露目は、とにかくやることが多かったのだ。
イルヴァは学業成績は優秀だが、淑女としてのマナーが秀でているかというと、そうでもない。
魔物討伐で戦闘慣れしているので、身体を使うことは得意だが、話法関連の作法はかなり不得手だった。
今まではある程度、両親に看過されてきたところがあったが、母を怒らせたからなのか、あるいはレンダール公爵家との婚姻では足りないとの判断なのか、話法に関わる練習も相当させられた。
母お手製の、嘘ではない貴族的な言い回し集をみながら、日中はマリア相手に練習して、夜は母に成果を発表した。
あまりにやることが多すぎて、招待人のデータを覚えきれそうになかったイルヴァは、そこだけは魔法で解決することにした。
ローレンツに教わった、検索の魔法と空間魔法を組み合わせて、この紙から直接検索することにしたのだ。
エレオノーラに指摘されたらやめようと思っていたが、口頭でのテストの時にバレた様子はなかったので、この方法でいけると確信し、覚えるのを放棄した。
テストではカンニングは御法度だが、社交でのカンニングは構わないだろう。
「お嬢様、職人に依頼した照明器具の加工部品が10セット分届きました」
マリアが部屋に台車とともに持ってきたのは、リタと約束している、起動に魔力が不要な照明器具の部品だ。
イルヴァの手に余る部分は職人に任せて、魔法的な機構を組み込むのはイルヴァがやる気でいた。
「本当? リタとの約束があるから、それだけは早くやってあげたいわね」
「このスケジュールの中でそれもやりますか?」
「時間は捻出するしかないわね」
連日のマナーの練習もだが、婚約お披露目の仕上がった衣装合わせや、宝石選び、当日のテーブルにセッティングする装飾品などの選定など、やることは多岐にわたっていた。
この照明作りをする時間がない、というのは簡単だか、良い息抜きにはなりそうなので、着手したい。
「とりあえず、今は時間があるから、試しましょう。魔封じの腕輪も用意してくれた?」
「こちらに」
質の良い箱に置かれたそれは、普通の腕輪にしては無骨な出来栄えだ。
うっかり間違ってつけないように、ファッションとしては見栄えのしないデザインになっているという。
イルヴァはひとまず、事前に加工しておいた魔石を取り出して、照明器具の下部に取り付けた。この魔石に物理的な振動を与えて起動させ、この魔石が、もう一つの魔石の中にある明かりの光魔法を発動させる仕組みだ。
問題は、物理的な振動をスイッチでコントロールしたいのだが、わずかな揺れなどでも魔石の起動と終了が入れ替わってしまう恐れがあるため、どの程度の振動を受け入れるかの調整が難しい。
慎重に魔力を流し込みながら、魔石二つをセットして、照明を組み上げた。
時間としては30分ぐらい経っただろうか。
テーブルの上にそれを置き、辺りを見回した。
「さて、試作品第一号を試してみますか」
イルヴァはテーブルの上に置いてあった魔封じの腕輪を手に取りかけて、マリアに横から奪取された。
そしてマリアは、躊躇わずに魔封じの腕輪を自分で身につけてしまう。
「マリア?」
「お嬢様が一時でも魔封じ状態になるのは、この屋敷の防衛に関わりますから、おやめください。私がこのスイッチを押してみればよろしいですか?」
「ええ。お願いするわ」
マリアがそっと、スイッチに触れた。
次の瞬間、ふわりとした輝きとともに、照明の中の魔石が起動して、あたりを優しい光が包んだ。
ただ、問題は照明器具の傘の下で光るのではなく、なぜか照明器具の上の空間で光ってしまっている。
座標がずれたようだ。
「これは……こういう仕様ではないですよね?」
「これを正規仕様にしたら、職人が泣くでしょう? せっかく光を拡散する傘をつけてるのに、それを無視して光るだなんて。調整が必要ね」
イルヴァはため息をつくと、照明を分解して、中に入れていた魔石を取り出した。
問題があるのは起動の方か、明かりの方か。どうせなら魔力の流れがどのように動いているかを体感したいが、それには魔封じで自分の魔力を封じた方がノイズは少ない。
「マリア」
「ダメです」
名前を呼んだだけなのに、マリアに即答で断られた。
「ダメ?」
「はい。お嬢様が戦闘不能になった瞬間に、敵が来襲するかもしれません」
「いやいや、そんなわけーーー」
「ーーー失礼します!」
そんなわけないでしょう、と言いかけたら、珍しく慌てた様子の侍女が3人、雪崩れ込んできた。この慌てぶりはエリアスの来訪以来だ。
「どうしたの? 敵襲かのように慌てて」
「ある意味ではそうです!」
部分的に肯定されて、イルヴァは眉をひそめた。
フェルディーン家で敵、と称される家はそう多くない。
「誰が来たの?」
「第三王女殿下です!」
どうやら、本当に敵襲だったようだ。第3王女アマルディアが、後継者お披露目の前日にやってくるだなんて、予想もしていなかった。
「前触れもなしに来たの?」
「はい。とにかくお嬢様は会うにせよ会わないにせよ、身支度していただきます」
「会わない選択肢はないでしょう」
彼女の狙いは間違いなくイルヴァだ。
アマルディアはとても相性が悪い相手だが、致し方がない。
彼女の望みを邪魔しているのだから、目の敵にされても当然と言えば当然である。
「でも、今日はもう身支度してるけど?」
夕方にエリアスが来て、最終調整する予定だったので、すでに身なりは整っていた。
「もっとエリアス様の色を使います。お嬢様は黄色は嫌がっておいででしたので、こうしました」
侍女たちが抱えていたドレスは、なんと金のドレスだった。金糸で作られたレースが全身にあしらわれていて、魔法の加工もしてあるのか、なんだかキラキラしている。
色の彩度は黄色より落ち着いているものの、トータルのキラキラ度は黄色いドレスを着るより派手な仕上がりだ。
ただ、まあ確かに赤髪に金のアクセサリーは映えるので、金のドレスのほうが着こなしはできるだろう。
「これは相当、喧嘩を売ってる仕上がりになるけど良いの?」
ここまで全身にエリアスの色をまとったら、それはアマルディアに対する明確なマウントだ。
しかしイルヴァの心配をよそに、マリアと他の侍女3人は、何をおっしゃっているのやら、ぐらいの表情をして言った。
「お嬢様が喧嘩を売るのではなく、売られた喧嘩を買うのです。どうやら、王女殿下はお嬢様の後継者就任のお祝いをしにきたようなので」
どうやら王家はイクセルの所在をつかめないまま今日まで来たようだ。だから、勝利を確信してやってきたというとこだろうか。
「そういえば、お兄様は?」
「殿下を応接室に案内する前に、隠蔽魔法を強化して、現在は自室にこもっていらっしゃいます」
ここまで来たら、最後までイクセルの所在を隠し切って明日を迎えたい。
兄がすでに隠蔽魔法を使っているなら大丈夫だとは思うが、こっそり魔法を強化しておく。
「さて、お召し替えしていただきます。髪と化粧はそのままで」
王女を長時間待たせるわけにはいかないので、せめてドレスだけは戦闘服にしたいということのようだ。
侍女4人がかりでドレスを着替えさせてもらうと、髪飾りの位置などや多少の化粧直しだけして、アマルディアの待つ応接室に向かった。
部屋の前に到達する前に、執事なり護衛なりなんなりが声をかけてきて、おおよその状況を把握できた。
どうやら両親はすでに挨拶をしたが、イルヴァを指名されたとのことのようだ。
イルヴァの侍女の同席を許す代わりに、王女殿下の護衛と侍女も同席するとのことだ。
そのため、応接室にはマリアを伴って入ることにした。
部屋に入ると、王家の血統を示す紫の瞳をした美少女が座っていた。ふわふわとした癖のある金髪を優雅に巻いてセットしていて、見た目だけだと温和に見える。
しかしイルヴァは、彼女が温和ではないことを身をもって知っていた。
「おまたせいたしました。イルヴァ・フェルディーンでございます。王女殿下とこのタウンハウスで相見えるとは思ってもみませんでした」
本来であれば、訪問の感謝を述べるべきだが、感謝してないことに感謝できないのがイルヴァである。喜んでいるようにも見えるが、イルヴァの本心とも相反しない言葉を慎重に選んだ。
すると、アマルディアはぴくりと眉を動かした。
しかしすぐに表情を取り繕うと、まるでこの屋敷の主人であるかのように向かいのソファに手を差し出しながら言った。
「座りなさい」
「承知いたしました」
イルヴァはソファに腰掛けると、王女の後ろに控えている護衛と侍女を確認した。護衛は当然帯剣もしているが、侍女も暗器を隠し持っていそうだ。
とはいえ、今の所は彼らに敵意はなさそうに見える。
「あなたのそのドレス、真昼の照明かのごとく眩しいわね」
「眩しいですよね……。エリアスの色を選んだらこうなってしまいました」
額面通りに言葉を受け取って、素直に王女の感想に返事をすると、王女が片眉を釣り上げた。そこで、ふと、イルヴァは直近で学んでいるシュゲーテル貴族の話法を思い出した。
これは本当に眩しいことを言っているのではなく、昼間に輝く照明のように無駄なあがきだと言われたのだ。だから、イルヴァの返し方は、貴族としては頓珍漢な返事になってしまった。
しかしアマルディアはどうやら勝手にイルヴァの言葉に含みがあると理解したようだ。
「今日は、あなたの幸運を祝福しにきたの。成功とは、時に運の良い偶然を美しく飾り立てて成されたものでしょう? それとも、あなたは才色兼備だと聞いたから、多くの方に愛されて成し遂げたのかしら」
イルヴァはアマルディアのその言葉に、本当に困ってしまった。
意味がわからなかったのだ。
彼女の言葉を額面通りに受け取ってはいけないということは分かるが、彼女が言いたいことの真意がわからないため、どう言葉を返せばよいかわからない。
イルヴァは優雅に微笑みながら、ハーブティーに口をつけて時間を稼ぐことにした。
ハーブティーを味わうふりをしながら、屋敷内を水鏡と探知の魔法の合わせ技で捜索した。そして、目当ての人物を見つけると、イルヴァはいちかばちか、物理で声を出さずに通話の魔法を起動する。
『お母様、聞こえますか?』
自分にだけ見える水鏡に映った母は、飛び上がらんばかりに驚いている。しかし声は届いたようだ。通話のときは物理的に話す必要があるかと思ったが、以外と、表層思考を伝えることも可能らしい。
『今日は、あなたの幸運を祝福しにきたの。成功とは、時に運の良い偶然を美しく飾り立てて成されたものでしょう? それともあなたは才色兼備だと聞いたから、多くの方に愛されて成し遂げたのかしら、と王女に言われたのですが、どういう意味でしょうか? こちらに物理的な声が漏れることはありませんから、教えてください』
母はようやく事態を飲み込んだようで、すっと目を細めて回答する。
『運良く当主後継者の座に収まったようね。よほど運がよいのか、それとも色目を使って成し遂げたのかしら と言っているのよ』
『なるほど。申し訳ありませんが、しばしこのまま通話は繋がせていただきます。殿下の言葉の意味を全く理解できそうにないので』
水鏡にうつった母が了承したのを見て、イルヴァはハーブティーの香りを楽しんでいたフリを辞めると、できるだけ強気な笑みを浮かべた。
「私が幸運であることは疑いようもない事実です。この国で最も人気の高い独身男性であったエリアスに、結婚を申し込まれたのですから」
当主後継者の座には収まっていないので、そうだと勘違いさせるような誘導はイルヴァには難しい。だから、彼女の話をすり替えて返答することにしたのだが、これが想定以上にアマルディアの癇に障ったようだ。
彼女のハーブティーを持つ手がやや震えている。
しかし、その紫の瞳は、まだ冷静さを完全には失っていなかった。
「お幸せそうで何よりですわ。今、この瞬間のあなたを見ていると、まるで永遠が約束されたようですわね。あの方にプロポーズされただなんて、夢見心地でしょう。でも、理性の人かと思ったのに、甘い花の香りには弱いところもあるようだから、いつだって新しい花々を求めるのではないかしら。あなたの夢が、月下美人のように崩れてゆくものでないとよいけれど」
『あなたの幸せは続かないわ。彼は新しい女をすぐに求めるし、どうせあなたの幸せも一夜で散る花のごとく散っていくに違いない、という意味よ』
アマルディアの声を飛ばしておいたおかげで、今度はほとんど同時に母の声がながれこんできた。母の解説は端的でわかりやすい。
「彼は浮いた噂一つなく、私の元にやってきました。それだけが私にとっての現実であり事実です」
とりあえず、エリアスが新しい女を求めるに違いない、というところについては否定しておいた。エリアスはそういうタイプではない。もし彼が軽薄ならば、イルヴァと出会う前に他の誰かと婚約していたはずだ。
『そこは、王女の夢の表現に合わせて、月下美人のごとく儚い夢とおっしゃりましたが、私は現実だけを重視しております、というのを冒頭につけられるとよかったわね』
母と通話をつなぎっぱなしにしていることで、リアルタイムで母から話法の指導が入った。思考が散ってしまうからどうか静かにしてほしい。
「愛とは、炎のようなものですわ。いくら勢いが強く、薪があろうとも、燃やし続けられはしませんもの」
「炎は薪をくべ続けたら燃え続けると思いますが」
イルヴァは反射的にこの世の摂理について返してしまったが、もちろんアマルディアはそういう意味で言ったわけではないだろう。
『良い返しだわ。努力し続ければ愛は保てるという意味だと伝わったはずよ』
母になぜか褒められてしまったが、母の勘違いである。イルヴァは物理的に薪を絶やさなければ、炎は維持できるという現象について述べただけで、そんな意味は全く込めていない。
しかし、母に誤解されたということはすなわち、アマルディアにも同じ意味で伝わったようだ。
アマルディアはイルヴァとの応酬が続くに連れて、苛立ちを隠せなくなってきていた。よく考えると、彼女は王女であるから、ここまで言い返されることはあまり経験がないのかもしれない。
ふと気がつくと後ろにいた護衛と侍女の表情も固くなっている。
「当主という責務と、甘い夢は両立しないわ」
今回のアマルディアの言葉は、かなり直球に近かったので、イルヴァにも意味がわかった。母も流石にこのぐらいは分かれということなのか、翻訳もしてくれない。
「存じ上げております」
「一時的なものであれ、あなたが後継者となれば、月下美人のごとく夢は散り、霞のごとく輝かしい未来は消えてゆくでしょう。私にも、あなたと同じだけの幸運を掴む機会が巡ってくるわ」
『かなりわかりやすい表現だけれど念のため。あなたが後継者になれば、婚約を解消している間に、王女が婚約を再度申し込み、あなたの元からエリアス様は離れていくという意味よ』
イルヴァも今回の言葉はだいたい把握できたが、母のおかげで理解は深まった。次はどんな言葉を返そうか、と思っていると、アマルディアが言葉をさらに重ねた。
「あなたはエリアスの愛を盲信しているようだけれど、あなた自身はどうなの? あなたはエリアスを愛しているの?」
それは王女の純粋な疑問だったからなのか、急に直球表現になった。今まで回りくどい応酬が続いていたのに、どういう風の吹き回しだろうか。
しかし、その問いには、正直に答えられる感情があった。
「エリアスは、私が人生で、唯一、結婚したいと思った相手です。それ以上でもそれ以下でもありません」
イルヴァが静かに言い返した瞬間、突然、部屋の扉が空いた。
侵入者かと思って魔法を打ちかけて、すんでのところで思いとどまった。
扉のところに立っていたのは、金髪に碧眼の美青年かつイルヴァの婚約者である、エリアス・レンダールだったからだ。




