41.いつか好きになれれば
衣装のデザインを詰めてぐったりした日の翌日、イルヴァは今度はレンダール家のタウンハウスにお邪魔していた。
婚約のお披露目の打ち合わせをするためだ。
お披露目そのものはフェルディーン家で行うが、お披露目の進行と準備はレンダール家が担当することになった。フェルディーン家はイクセルのお披露目の準備もあるのでその配慮と、単純に婚約のお披露目は男性側の家が取り持つことが多いので、その慣例に乗っ取る形である。
フェルディーン家の車でレンダール家のタウンハウスまで送ってもらうと、今日はエリアスとエレオノーラが出迎えてくれた。
エリアスがエレオノーラの隣に立っているのをみると、ふと、顔の造形は似ていないもののふとした瞬間の表情がエレオノーラに似ていることに気がついた。
「今日はお招きいただきありがとうございます」
「こちらこそ、来てくれてありがとう。夫は昼食には戻ってくるわ」
エレオノーラが答えると、それに続いてエリアスが言った。
「今日は、昨日の反省を生かして、打ち合わせの前に食事をしようということになったんだ。準備があるから、ちょっと庭園で散策でもどうかな?」
「いいわね。そうしましょう」
昨日は朝10時から集まったというのに、イクセルの服を決めるのに4時間かかったせいで、昼食開始は15時近かった。さすがに昼食と呼ぶには遅い時間だったが、レンダール公爵家の方々がいるのに軽食で済ませることはできない。
おかげで空腹の中、いつもより気合いの入った夜の聖餐並みの食事が提供され、中途半端な時間にお腹がいっぱいになって夜に困ることになったのだった。
「イルヴァはどんなお花が好きなの?」
散策の前にエレオノーラに問われて、イルヴァはパッと思い浮かんだ花を反射的に答えた。
「青い花は好きなので、プリムラなどでしょうか」
「プリムラ……この時期のタウンハウスでは難しいかしら……」
エレオノーラの考え込む様子に、ようやく、タウンハウスの庭園にあって嬉しい花を問われたのだと気づく。フェルディーン家は高冷地にあるので、つい、寒さに強い花が浮かんでしまったが、気が利かない回答になってしまった。
「タウンハウスで育てるようなお花は領地では咲かない花も多いので、私はあまり詳しくなく、困らせてしまい申し訳ありません」
「あら、フェルディーン家のタウンハウスの庭園はお母様が管理されているの?」
「はい」
「可愛らしいお花がたくさんだったから、イルヴァの趣味なのかと思ったわ」
「いえ。母の趣味です」
「そうなのね。じゃあ、タウンハウスの庭園をお任せしようと思っていたのだけれど、困らせてしまうかしら?」
その質問のされ方は本当に困ってしまう。
困らせてしまうかに正直に答えるなら、はい、だ。
イルヴァは庭園の管理に興味も知識もない。しかし、レンダール公爵家の時期女主人としては、やるべき仕事であることは理解している。つまり仕事としては引き受ける意欲はある。
「知識もなく不安ですが、せっかくですので挑戦しようと思います」
悩んだ末に、質問にストレートには答えない形で返答することにした。
「あらあら真面目ね。大丈夫よ、庭師が作業はするのだから、あなたは方向性だけ決めればいいの。エリアスと庭を回って、少し考えてみてね」
エレオノーラはにっこりと笑ってそういうと、優雅に礼をして屋敷の中に戻って行った。彼女は歩き姿も美しい。母も侯爵家の出身で所作は優雅で無駄がないが、エレオノーラの所作には母とは違う丁寧さが感じられる。
エリアスと2人でエレオノーラの姿を見送ると、エリアスが行こうかと言ってゆっくりと歩き出す。
通常であればこういう時に手を取られることが多い気がするが、エリアスはそういうことはしない。紳士的に見える分、それが違和感にも感じられる。
イルヴァはそんなことを考えてエリアスの手を見つめていたら、少し距離を離されてしまった。
追いつかないと、と思った矢先にエリアスが振り返って、目を丸くした。
「どうしたの? 足でも痛めた?」
エリアスはわざわざイルヴァの方に歩いてきたので、イルヴァも慌ててエリアスのように歩み寄った。
「足は平気。考え事をしていたの」
「考えこと? 僕のことだったり?」
「ええ」
反射的に肯定すると、エリアスは肯定されると思っていなかったようで、驚いた様子で問い返してきた。
「具体的に何のことか聞いても?」
「あなたと手を繋いだことがないと思って」
そう言った瞬間、エリアスがしまった、という顔になった。自分の行動が貴族としての一般常識から外れていることは自覚があったようだ。
「イルヴァはその……手をつなぎたい?」
青い瞳と目があい、そう問い返されて、急にエリアスが自分の好みの美青年であることを思い出した。
この美しい青年と手をつなぐのなら喜んで、という気持ちもあるし、ちょっと照れてしまうかもしれないという自分もいる。
手を繋いでも良いと思っているが、手をつなぎたいかと言われると、難しい。
「難しいわね」
正直な感想を漏らすと、エリアスが目を見開いた。そして、一歩近寄り、そっとイルヴァの手を包み込んだ。彼は明らかに不安でいっぱいの表情でこう聞いてきた。
「え? つなぎたくないってこと?」
「え?」
急に何に不安になったのかが分からず、イルヴァは間抜けな声で問い返しつつ、思考を巡らせた。
ーーー手をつなぎたいかって質問に回答するのは難しいって言ったら、シュゲーテルの貴族には、手をつなぎたくないと思われるのが一般的かしら? 私の知らない婉曲表現だった? でも、能動的に手をつなぎたいかと言われると、手は自由の方が楽よね。利き手が空いている方が、有事にも備えられるし。
混乱しているイルヴァに、じっとこちらを見つめていたエリアスが、先ほどより少し柔らかな表情になって、再度尋ねた。
「僕が触れるのは嫌じゃない?」
「嫌じゃないわ」
「手をつなぐのも嫌じゃない?」
今度の質問に答えるのは難しくない。嫌か嫌ではないかと言われたら答えは決まっている。
「私は嫌じゃないわ。むしろ、あなたが嫌なんじゃないの?」
「そんなことない。僕は長らくエスコートの類を率先してやってこなかったから、自然にできなかっただけだよ」
そういうと、エリアスは自然にイルヴァの左手をとった。
シュゲーテルでは、攻撃魔法時に利き手を使う人も多いことから、男性が右を歩くことが多いが、エリアスは慣れていないのか、それともわざとなのか、イルヴァの左側に立って歩き始めた。
レンダール公爵家の庭園は、広大すぎてとても昼食前に周り切れる規模ではない。
だから池のような小さい湖のような水辺と、その後ろにある森の方までにはいかず、手入れされた花壇と生け垣で作られたエリアを散策することにした。
花の種類に疎いイルヴァでも、最高品質だとわかるような花々が咲き乱れ、散歩をしていても良い香りが漂ってくる。
しかし今、イルヴァはあまり花に集中できていない自分がいることに気づいていた。
先ほど繋いだ手からエリアスの体温が伝わってくるためだ。
ーーーやっぱりちょっと恥ずかしいかもしれない。
貴族女性としてエスコートされることはあるが、正装していないので互いに手袋もしていない。自分で言い出したことなのだが、体温が上がってきてしまった。
「イルヴァも少しは僕のことを意識してくれてるのかな?」
エリアスの美しい顔がすっと近づいてきた。覗き込まれるように見つめられると、その距離の近さにたじろいでしまう。
しかし持ち前のポーカーフェイスを活かして、務めて冷静に問い返した。
「どうして?」
「ちょっと顔が赤い気がしたけど、気のせいかな?」
思わず、右手でパッと頬に触れた。確かに体温が上がって暑いから火照っているかもしれない。
そんなイルヴァの様子を見たエリアスはどこか嬉しそうだ。
「からかわないで」
「ごめんごめん。でも、嬉しかった。婚約者だと認めてくれていそうに見えつつも、やっぱり壁はあるように思ってたから」
「私にしては打ち解けている方なんだけど……」
「打ち解けてはいるけど、恋人としてではないよね?」
「こ、恋人?」
なんだか婚約者よりハードルの高い単語が聞こえてきて、イルヴァは思わずおうむ返しで問い返した。
「貴族の婚約も結婚も愛がなくても成り立つけど、愛ある家庭の方がいいじゃないか」
ーーーなるほど。婚約者としての義務的な関係ではなく、恋愛関係になりたいということね。友達も作れない私にできるかしら……。それに、そもそもエリアスでさえ、私のことを恋愛として好きかといったらそうでもない気もするわよね。エリアスこそ、私のことを好きになれるのかしら。
そんなことを考えていたら、繋いでいるエリアスの手がピクリと動いた。爪でも当たっただろうかと手の力を緩めると、エリアスにぎゅっと握り直される。
エリアスは下を向くと、恐る恐る、というように問いかけてきた。
「それともイルヴァは、義務的な関係の方がいいの?」
「特にそういうつもりはないわ。愛ある関係に憧れてもいないけれど……」
貴族の結婚は家同士の利害の一致で成り立つことが多い。恋愛結婚だって少なくはないけれど、イルヴァがあまりに人気がなかったので、恋愛結婚はできないだろうと思っていた。
そういう意味では、エリアスとの婚約は、エリアスがイルヴァを気に入ってくれたから成り立っていて、家同士の利害の側面は実は多くない。2人の婚約は、恋愛結婚の過程を踏みながら、しかし互いにやや政略結婚のような理由を抱えているという絶妙なバランスで成り立っている。
「じゃあ、どちらでもいいなら、僕の希望を叶えてくれる?」
エリアスは顔をあげて、じっとイルヴァの目を見つめた。彼の美しい顔が思ったよりも近くにあって、その瞳の中にいる自分の姿を確認できそうだ。
「まずは、僕がもっと君を好きになるから、君もいつか……僕を好きになって?」
その宣言は、思ったよりもイルヴァの心を動かした。友情でさえ築くのに困っている自分が、彼を恋愛感情として好きになれるかは現時点では不透明である。
ーーーでも、好きになれたらいいな。
こんな自分に好意を伝えてくれるエリアスに、イルヴァも同じ気持ちがいつか返せればいい。
そんな、祈りにも似た気持ちを込めながら、イルヴァは曖昧に微笑んだ。
好きになるという宣言は、懐疑的な今の自分ではできそうにない。いつか、その宣言ができるぐらい確信を持てたら、言えればいい。
イルヴァは微笑んでいただけだったが、エリアスはそれをポジティブに捉えてくれたようだ。安心したように、彼もまたほほえみ返してくれた。
庭園に吹く風が、イルヴァの長く赤い髪をなびかせた。それを空いた右手で抑えながら、ふと、先日の兄との会話を思い出した。
「そういえば、これを渡しておくわ」
イルヴァは繋いでいる手を離して、彼の右手に通話の魔石を置いた。
大きさは米粒ぐらいのサイズの玉なので、宝飾品に加工しやすいだろう。
「これは?」
「通話の魔石よ。アンクレットか腕輪か、身につけやすいものに加工して」
婚約者であれば、石のままではなく、加工して渡すほうが良かったのだろうが、王国軍の魔法師団に入るのであれば、装飾品にも規定があるだろう。そう考えて魔石のまま渡すことにしたのだ。
受け取ったエリアスは、最初は驚いたのか、言葉を失っていた。しかししばらくして、はっと我に帰ったように、右手におかれたその魔石を大切に持っていたハンカチで包んで懐にしまうと、イルヴァの方を向いた。
「ありがとう。大切にする」
エリアスの笑顔があまりにも無邪気で、嬉しそうで。
その笑顔がしばらく脳裏に焼き付いて離れなかった。




