39.another side_妹の本心と思わぬ援護射撃
イクセル視点です
「イルヴァは、本当に当主にならなくて良かったの?」
その問いかけをしたときの妹の顔は、魔石の付いたランプに照らされているものの、どこか不思議そうな表情をしているように見えた。
イルヴァは表情豊かとはいえないが、家族である自分の前ではそこまで表情管理を気をつけていない。
「私は当主になりたかったことは一度もありませんが……」
「本当に?」
その問いに意味がないことは良く分かっている。
イルヴァ・フェルディーンは嘘をつかない。
彼女は幼い頃に、精霊との契約を維持するために、そう心に決めてしまったから。
「お兄様、どうしたんですか? 私が嘘をつけないことを知っているくせに」
何を言っているんだという目でこちらを見た後、イルヴァは目の前に出されたローストビーフをフォークでさしながら言った。
「私は当主に向いていませんよ」
「あれだけ魔物討伐できるのに?」
「そんなことを心配しているんですか?」
イルヴァは呆れた、と言わんばかりの表情をしてため息をつくと、フォークで刺したローストビーフを口に入れた。
もぐもぐと咀嚼しながら満足げな表情をしていて、イクセルの不安などくだらないとばかりの態度だ。
イルヴァの長い咀嚼を待っていたら、彼女はごくりと口の中のものを飲み込んでから、赤ワインを手に取った。
そして赤ワインを堪能してーーー
ーーーもしかしてもう終わり?
続きがあるのかと待っていたが、イルヴァの意識はすでに赤ワインとローストビーフに奪われていそうだ。
このままだと、次は低温調理されたハーブ付きの鶏ハムを堪能し出してしまう勢いだ。
「イルヴァ?」
「あ、そうでした。つまり、魔物討伐なんて、当主が1番数倒す必要はないですよ。足手まといにさえならなければ大丈夫です」
「イルヴァの前だと皆、足手まといなんじゃないかと思えるけど」
イクセルは今まで生きてきて、イルヴァほど卓越した魔法師に出会ったことがない。特に魔物の殲滅と傷を負ったものの治癒にかけては右に出るものはいないだろう。
「極端に弱くなければ、という意味です。お兄様は強いですから、問題ありません。それに、そもそも当主の仕事のほとんどは、領地管理と社交じゃありませんか」
「イルヴァは領地管理もできそうだけど」
彼女は新規商品を開発して、商売するのはかなり得意な方で、フェルディーン家の商会で売っている商品も売れているし、個人でおこしている商会も成功している。
お金の流れを管理するという意味では領地経営も似たようなところがあるため、全く向いていないとは思えない。
しかしイルヴァは目を丸くした後、首を横に振った。
「興味がないんですよね。商会の仕事も商売部分は人に任せていますし、私は研究者や開発者のほうが向いています。そもそも他人に興味が薄い私が、領民の命を預かるというのもね……」
確かに能力としてどうかはともかく、イルヴァの興味のある分野ではない。それは分かっているはずなのに、イクセルは不安が拭いきれなかった。
「むしろ逆に聞いてみたかったのですが、お兄様こそ、当主になりたいと思ったことはなかったのですか?」
「なりたいと思ったことは……」
ない、ということはできるが、それは嘘になる。イクセルは嘘をつけないという業を背負っているわけではないが、この問いに嘘を着くのは悩ましい。
すると、そんな悩みを見抜いたかのように、イルヴァはくすりと笑って言った。
「なりたかったんですよね。でも、私が一生結婚できないかもしれないと思って、留学までして時間を伸ばしてくれたのでしょう?」
「それは……他国に興味があったのも事実だよ」
「でも、妹が生涯、結婚できないかもしれない状況も看過できなかった」
図星を指されて黙り込むことになった。
当主になりたい自分の気持ちと、妹の将来を天秤にかけて、留学を選んだ。留学したことを後悔したことはないし、イルヴァが婚約し、留学している意味がなくなったので、即座に帰国することを決めた。
「私は結婚しなくても良かったんですけどね」
「そういうところが心配なんだよ」
「そうですよね。でも、私も心配していましたし、エリアスに求婚された時に、思ったんです」
イルヴァのワインを思わせる赤い瞳と目が合った。イルヴァは自然な笑みを浮かべている。以前に会った時よりも表情が増えた彼女は、少しだけ柔らかい印象になったような気がする。
「ああ、これでお兄様が帰ってこれる、と」
イルヴァのその言葉を聞いて、イクセルはハッとした。彼女も彼女なりに、イクセルのことを考えていたのだ。自分が留学という道を選んだことも気にしていたのかもしれない。
留学は自分が望んだ道だったし、イルヴァのために犠牲になったとも思っていない。しかしイルヴァからすると、婚約者も作らずに国外にいるイクセルのことが重荷になっていたのかもしれない。
「私にとって結婚は小事ですが、お兄様が当主になれるかは、お兄様にとって大事なことです。私がお兄様の妨げになるのは、避けたい事態でした」
イルヴァはなぜか椅子から立ち上がると、だいぶ傾いてきた太陽の方を見つめた。
「だから、エリアスにどんな事情があろうと、私はこの婚約を手放しませんし、結婚までたどり着いて見せます」
その決意表明とともに、彼女の赤い髪が風になびいた。横顔からでも、その決意の固さがわかる。
結婚したい理由が、エリアスへの愛ではないことが悲しくも感じられるが、それはイルヴァらしいとも言えた。
そこまで考えて、ふと、エリアスといる時のイルヴァの様子を思い出した。
イルヴァにまだ恋愛感情はない。おそらくエリアスも、惹かれてはいるが、完全に落ちているというわけでもない。
しかし、2人はとても自然で、楽しそうだった。人付き合いがあまり得意でないイルヴァが、あまり身構えずに過ごせているのは相性がよい証拠だ。
いつか、婚約に執着する理由も変わるかもしれない。
そして、妹がそう決意しているなら、イクセルは迷いなく後継者として突き進んでいけばいい。
そう思えた。
「頼むよ。まずは婚約の継続のために、エリアス様に好かれないとね」
からかい混じりに行った言葉だったが、先ほどまではスッキリとした表情をしていたイルヴァが、急に不安そうな表情になり、椅子に座った。そして、真顔でこちらをみて言った。
「何をしたら好かれると思いますか?」
「え? とりあえず通話の魔石渡したら?」
リズベナーからの車の中のあの会話の流れは、エリアスがかわいそうだった。
だから、今からでもイルヴァが魔石を渡したら彼も喜ぶのではと思ったのだが、イルヴァは車の時と同じく首をかしげた。
「……魔石を渡してどうするんですか?」
「会話するんだよ」
「議論したいテーマはないんですが」
どうしてイルヴァは婚約者との会話に議題が必要だと思っているんだろうか。
「議論しなくていいよ。雑談すれば」
「……雑談を通話で? 直接会った時に話すので十分では?」
普通の女性が持ち合わせている情緒を、イルヴァは持ち合わせていないようだ。
よく考えると、彼女の唯一の友人とも言えるユーフェミアとも、通話したことがないのではないだろうか。だから、彼女は業務連絡以外で通話をするという発想がないのだ。
「じゃあイルヴァは、その代わりに手紙でやりとりするの?」
「手紙?」
「学校を卒業するんだから、そんなに頻繁には会えないでしょ? 普通は婚約者と文通で親交を深めると思うけど……」
そんなの面倒臭いというのがありありとわかる表情に、イクセルは苦笑した。
「手紙よりは確かに……」
「まあ、エリアス様と相談すればいいよ」
「そうですね」
イルヴァは落ち着くためなのか、ワインを口に含んだ後、何かを思い出したかのように顔をあげた。
イクセルもまた、すこしスモーキーな香りを楽しみながら赤ワインを口に含む。
「そういえば、ジルベスターから、妹のシャルロッテ様を招待して、可能であればお兄様にエスコートしてほしいと」
「っ! ゲホっゲホ……」
あまりにも唐突に、思わぬことを言われたせいで、楽しんでいた赤ワインが喉の変なところに入った。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫。それでなんだって? シャロを……シャルロッテ様を僕がエスコート?」
「シャロ? もしかして……お兄様は、シャルロッテ様と知己の仲でしたか?」
留学先の友人であるシャロことシャルロッテが、シャルロッテ・アルムガルドだと知ったときの衝撃は、おそらくこの先も記憶に鮮明に残り続けるだろう。
大公城で初めて顔を合わせた時、表情を変えないようにするのが大変だった。
まさか、別れの挨拶をした後1ヶ月も立たない間に再開するとは思わなかったのだ。
まあ、視線が合った時の彼女の照れたような、いたずらが成功したような、そんな茶目っ気たっぷりの表情は可愛かったのだが。
いや、そんなことを考えてどうする。
「アルムガルド家の都合があるから、詳細は伏せるけど、シャロとは友人なんだ」
「確かに私は詳細は知らないほうが良さそうです。……ジルベスターはそれを知っていて、お兄様にエスコートを頼んだんですね」
イルヴァの声にからかいの色はない。ジルベスターには余計な気を回されていそうだが、イルヴァは言葉通り友人だと受け取ってくれたようだ。
シャルロッテとの関係を形容するならば友人であるし、それ以上でもそれ以下でもないのだが、通話の魔石の話の時のことを考えると、ジルベスターには勘ぐられているように感じる。
ーーーでも、彼が気を回すということは、もしかしてシャロが……?
自分に都合の良い思考をしかけたイクセルは、続くイルヴァの言葉で我に帰った。
「招待状は私と連名で送るので、よろしくお願いします」
やたらと連名を強調して、イルヴァはそう言った。彼女に友人は少ない。自分や両親が把握している同性の友人はユーフェミアぐらいだ。つまり、招待状を送る相手がいなさすぎて、シャルロッテで水増ししたいということだろう。
「……イルヴァは他に誰に招待状を?」
エリアスが質問すると、なぜかイルヴァは得意げな様子で言った。
「エリアスと連名でジルベスターに。すでにユフィには送ってくれたようなので、3人に送れれば十分でしょう」
成人した貴族女性が婚約お披露目に招待する人数が3人、それも1人は兄の友人だというのは、十分とはいえない数だと言わざるを得ない。
しかしながら、ながらくユーフェミア・ライスト侯爵令嬢以外に送られることのなかった招待状が、2つ増えたのだから、両親は喜ぶに違いない。
「シャロに送るという提案はジルベスター様から?」
「そうです。お兄様のエスコートの話も、おそらくシャルロッテ様が最も身分が高い未婚女性になるので、お願いできれば婚約者のいないお兄様が困らないなと思って呟いたら、ジルベスターがぜひエスコートもと言ってくれたんです」
イルヴァは他人に興味がないが、案外、家族のことは気にかけている。だから両親を安心させるために招待状を送れる人物を探したのだろう。
そしてそれを、ジルベスターに利用されたのだ。
思わぬ援護射撃に、イクセルは喜んでいる自分自身がいることにも気づかされた。
「シャルロッテ様はどんな方ですか? お話しする機会に恵まれず……」
「彼女も魔法理論の話が好きで、穏やかだけれど率直な話し方をする女性だね。リズベナー貴族らしいとも言えるかもしれない。イルヴァとも友人になれるんじゃないかな?」
「確かに、リズベナー公国の風土は気質にあっていたので、リズベナーの方なら仲良くなれるかもしれませんね。もし本当に来ていただけるなら、交流を持ってみようと思います」
シャルロッテであればイルヴァも会話のネタがなくて困るということもないだろう。イルヴァは通常の貴族女性が精通しているような話題にはとことん疎いが、魔法理論の話であれば永延と喋っていられるタイプだ。
そしてシャルロッテは生活魔法に強い興味を持っているので、イルヴァが息をするように使っている魔法の数々に興味を持たないはずがないため、会話は弾むだろう。
「友達になれればいいね」
「はい」
自分とシャルロッテに縁があるかは分からない。国も違う上に、爵位差もある。自分自身もシャルロッテも互いに友人以上の気持ちがあるかですら、今は曖昧だ。
しかし、同性のイルヴァであれば、友人として長く付き合うことはできるだろう。
それが嬉しくもあり、すこし羨ましくもあった。




