21.another_side 探し求めていた研究者①
ジルベスター視点です
イルヴァたちがリズベナー公国を訪れた日から約2年前。
ジルベスター・アルムガルドは、シュゲーテルとの交換留学の話が出た時に真っ先に手を挙げた。
先方が王女を遣わすことはわかっていたため、周囲は妹のシャルロッテを留学に行かせる気だった。
しかしその意見を振り切って、ジルベスターがシュゲーテルに来たのは、謎の研究者Y.Fに会うためだ。
「水魔法を活用した自己治癒力向上」についての論文を読み、これこそリズベナー公国に足りない技術だと感銘を受けていたからだ。
リズベナー公国ではほとんど光魔法の適性者がいない。また、いたとしても治療魔法を扱えるに至らないのだ。
そのため、魔法を使わない治療がメインで、他国のように欠損を治すなんてことは夢のまた夢だった。大公家の直系一族であれば他国の治療師に法外な額を払って治療させることも可能だが、民が怪我をしてもそうは行かない。
だからこそ、なんとしても研究者と接点を持ち、あわよくば実用的に活用できるよう助言をもらいたかったのだ。
そう思ったのだが、謎の研究者Y.Fは、留学してシュゲーテル国内にきても謎のままで、有益な情報は得られなかった。
機密の問題で魔法理論の学科は断られたので、探しづらかったのもある。ジルベスターの見る限り、あの論文を書いた卓越した魔法師は見つけられなかった。
ジルベスターは早期卒業試験を受けてきっちり卒業して交換留学を終える予定なので、後もう少しで学生生活が終わってしまうところまで来ていた。
もう、このまま単にシュゲーテルの魔法を学び終わるかと思った時、転機が訪れた。
「ジルベスター様、どうやら謎の研究者は、この学校の生徒で、早期卒業試験を受けるようです」
「なんだって? どこで聞いたの?」
「早期卒業試験のメンバーの補足として、イルヴァ・フェルディーンという女子生徒が、今までの平均の成績が首席、研究論文としてあの、水魔法を活用した自己治癒力向上も挙げられています!」
「ああ、あの正体不明の首席が、Y.Fだったのか」
ジルベスターはなんとなく、謎の研究者は男だと思っていたのだが、女性だったようだ。しかも、イルヴァ・フェルディーンという名前は、聞き覚えがある。
つい先日のダンスパーティで、公式にダンスを踊ったことがないと言われているエリアス・レンダールというこの国を代表する美男子が、2回続けて踊った相手だとか。
「いまさらどうして秘匿していた成績の公開を?」
「彼女はレンダール家との婚約を発表したばかりなので、おそらくその関係かと」
政治的な理由というわけだ。ずっと探していた身としては、残念な話だ。卒業までいくばくもないこのタイミングで、ようやく目当ての人間の正体が分かるとは。
もう少し時間があれば、親しくなれたかもしれないのに。
そんな気持ちで迎えた卒業試験の日、イルヴァ・フェルディーンを改めて見ると、彼女があの研究者だとはにわかに信じられなかった。
紅色の髪と瞳をした、目鼻立ちのはっきりとした美人で、所作も美しい。あまり表情の変化がないので冷淡にも見えるが、どうみても普通の貴族の令嬢だ。
「君、本当にあの理論を発表したY・Fなの?」
だから、あの日、彼女に疑いの目を向けた。後になってそれを後悔することになるとも思わずに。
彼女は怒った様子もなく淡々と聞かれたことに返事した。少しでもジルベスターに興味を持ってくれればと思ったが、そんな様子はなかった。
そして、彼女の実技を見て、ジルベスターは自身の思い違いを思い知った。
魔法理論の研究者は、理論に強いが実技には強くないものも多い。だから、なんとなく彼女もそうではないかと思っていた。
しかし、彼女は平然と高度な魔法を繰り広げた挙句、しまいには、ジルベスターが発表した魔法を勝手に強化して行使していた。
彼女とどうしても話がしたい。
ジルベスターは、彼女の隣にいるのが、彼女の婚約者だと承知の上で、声をかけた。
「イルヴァ・フェルディーン」
婚約者を伴って歩き出そうとしていた彼女に後ろから声をかけらると、イルヴァは後ろを振り向いた。
声をかけられると思っていなかったのか、イルヴァは驚いた様子だった。
「どこかで魔法理論について質問したいから、後日、時間をもらえない?」
「……それなら、これからエリアス様と食事ですが、ご一緒されますか?」
ーーーこの女は何を言ってるわけ? 婚約者同士のご飯になんで僕が邪魔することに?
ジルベスターはそんなことを思った。彼女がそう口にした瞬間の、エリアスの顔と言ったら、背筋が凍りそうな冷たさだった。
ーーーこれは僕のせいじゃないんだけど!
ジルベスターは後ろのエリアスの視線を気にしながら、言った。
「……2人は婚約者でしょ?」
「はい」
「食事の予定があるんでしょ?」
「はい」
「そこに僕を誘うのは違うのでは?」
「……2人になるわけにもいかないので、ちょうど良いかと思いましたが……?」
不思議そうな表情で首を傾げるイルヴァは、あ、と何かに気づいたように、的外れな補足をした。
「それに、エリアス様も魔法理論に詳しいですよ」
なんと、イルヴァ・フェルディーンは魔法の天才だが、圧倒的に社交音痴だ。おそらく特にエリアスに好意があるわけでもないのだろう。
婚約者以外の男と2人にならないという最低限のルールは知っているようだが、実現方法が最悪だ。
勝手にデートに割り込む男にされては困る。
「と、君の婚約者は言ってるけど、どう思う?」
困ったジルベスターは、エリアスに任せることにした。
「明日にでも、図書館で魔法理論についてお話しするのはいかがですか?」
「そうさせてもらうよ。昼でいいね?」
「私はかまいません。イルヴァ嬢もそれでいいですか?」
「はい。私も問題ありません」
2人のやりとりはどことなくぎこちないが、どうにかデートに割り込む男になることは避けられた。
ジルベスターは、少し離れた場所で待っていたクルトと合流すると、先ほどの流れについて話した。
「全く、天は二物を与えないんだね。あの美貌と魔法力を持ってして、あの社交性のなさとはさ」
「ですが、率直な方ですから、ジルベスター様の好みではありそうですね」
「……エリアス・レンダールに刺されそうだからやめてくれる?」
確かに、シュゲーテルの貴族は周りくどい言い回しが好きで、辟易させられていたので、イルヴァ・フェルディーンはかなり好感の持てる相手だ。婚約者がいなければ、真剣に考えたかもしれない。
だが、人の婚約者である以上、そんなことを考えても仕方がない。それよりも、残りわずかな時間を使って、彼女から、水魔法による自己治癒力向上についての実用化の手がかりを得る方が重要だ。
そう割り切って迎えた次の日は、まだほとんど話したこともないイルヴァに頼み事をするため、ジルベスターは柄にもなく緊張していた。
しかし、話はあれよあれよと思わぬ方向に進み、ジルベスターが思っても見なかった速さで、イルヴァを連れた一時帰国計画が立ってしまった。
王家に婚約の横槍を入れられているという機密情報を得てしまった上に、シュゲーテル王家への反抗の手助けをすることになってしまったが、明らかにジルベスターが得たもののほうが大きい。
「水魔法も素晴らしかったけど、空間魔法……実現できる魔法師が存在したなんて!」
「ジルベスター様。嬉しいのはわかりますが、かなりタイトなスケジュールです。大公城の家臣からも急すぎると苦情が上がりそうですよ」
「急だろうがなんだろうが、彼女から貰うもののほうが明らかに大きいよ。彼女は天才肌すぎて、交渉は上手くないみたいね。ちょっとタイトになろうが、あの提案を断る奴がいる?」
「もちろんそれはそうですが……」
クルトの心配通り、通話で一通り事情を話すと、大公城は大騒ぎとなったのが、通話越しに伝わってきた。
それでも、両親はリズベナーが得られるものの大きさに、ジルベスターの独断を支持する事にしたようだ。
そうして迎えた列車旅道中でも、彼女は驚くべき高度な魔法をポンポンと使った。もう、息をするように繰り出される魔法に、どれから突っ込めばいいのかわからなかったぐらいだ。
よほどのことがなければ絶対にそばを離れることはないクルトが、列車の中ではおとなしくジルベスターの側を離れたぐらいだ。
「城外であんなに離れてたのは珍しいよね。もっと食い下がるかと思った」
列車から車に乗り換えて、隣に座るクルトに尋ねると、クルトは小さくため息をついて言った。
「2つの意味で意味がないと判断したのでそうしました」
「2つ? 1つは、あの防衛魔法が破られないという確信でしょ?」
クルトはそれに頷く。一つは正解のようだが、もう一つはなんだろうか。
イルヴァが披露した防衛魔法は、相対座標かつ定着魔法という高度な魔法な上に、1ミリの隙もないものだった。
あの状況でジルベスターに何かあるとしたら、列車ごと横転して崖の下に落ちるとか以外あり得ないと思ったほどだった。
「もうひとつは?」
「もうひとつは、彼女が敵になったら、なすすべなく死ぬしかないということです」
それは、実質的な降伏宣言だった。クルトがそんなことを口にするなんて珍しい。
「……全然抗えなさそう?」
「ジルベスター様を守るどころか、足止めもできないでしょう。彼女の強さは異次元です」
クルトはリズベナー公国で1番護衛としての能力が高いためジルベスターに付いている。その彼が、足止めもできないと言わしめるのは、よほどのことだった。
「それに……彼女は、どことなく場数を踏んでいるような気が」
「場数……? 実戦経験がありそうだと?」
「はい。あれは魔法だけでなく体術も会得しているものの動きです。姿勢が良いだけでなく、バランスの取れた歩き方で、通常の令嬢の身のこなしではないかと」
フェルディーン家は伯爵家だというし、もしかすると、政争に巻き込まれて実戦経験があるのかもしれない。
「ジルベスター様」
「何?」
「うっかり好きにならないでくださいね」
唐突なクルトの諫言に、ジルベスターは車の中で彼を二度見してしまった。
「イルヴァを? まさか」
「ですが、ジルベスターの理想の結婚相手の条件をほぼ全て満たした方ですよね」
ジルベスターが求めるのは、魔法理論に精通していて、正直で、頭の良い女性だ。
なんならイルヴァ・フェルディーンの顔は好みと言ってもいい。
「すでに婚約者がいる相手に懸想したりしないよ」
「お願いしますよ。エリアス・レンダール卿も、戦闘面ではおそらくかなりの手だれです。それに彼は社交手腕もあります。彼女を敵に回すと物理的に死にますが、彼を敵に回すと、社会的に死にます」
それについては、ジルベスターも承知していた。彼女とエリアスの関係性がぎこちなさそうだったので、婚約に至る経緯を調べさせたのだ。
するとどうやらダンスパーティで2度踊ったあと数日後に、エリアスが求婚しに行き、成立した婚約のようだ。今まで婚約はおろか、女と踊ったこともないような浮ついた噂のない美青年が婚約したとあって、情報は簡単に集められた。
そうして情報を集める中で、レンダール家がいかにこの婚約に乗り気かが分かったのだ。
とにかくさまざまなところでイルヴァの魔法理論の素晴らしさや、外見的な美しさが噂されていて、イルヴァに否定的な意見を公然と述べたものは、レンダール家が片端から圧力をかけてまわっているようだった。
レンダール公爵本人の手腕もあるだろうが、エリアスのイルヴァへの対応を見る限り、本人の根回しも大きいだろう。
「心配しないでよ。僕だってエリアスを敵に回したくないし、そもそも、あの2人と親友でいた方が明らかにお得なんだから」
「それでしたら良いのですが……」
クルトとそんな話をしながら、久々の大公城に着くと、すぐに両親に呼び出された。
そこには一年前に右腕を失ったヨーゼフも共にいた。
「久しぶりだな」
「ただいま戻りました。ところで、なぜヨーゼフが?」
「通話で連絡をもらって、怪我人をできるだけ集めたんだが、大臣たちが軍事施設に外国人を入れることにうるさくてな。それで、彼女に実力を証明してもらえないかと」
「何をさせる気?」
「ヨーゼフは顔、足、背中に怪我をしている。見た目ですぐ分かるのは顔だな。顔を水魔法で治すのは最低条件として、できれば足や背中の傷にも気づいて欲しいと思っている」
腕を再生してほしいと要求するのかと思ったが、それぐらいなら問題ないだろう。
彼女が行使できない魔法があるのか想像できないので、もしかしたら、ついうっかり、腕も治してしまうかもしれない。
ーーー流石に取引に疎くても、大金貨20枚はしそうな治療を気軽にはやってくれないかな。
身体の欠損を治す魔法は、失ってから時間が経つに連れて難易度が上がるそうだ。
ヨーゼフが腕を失ったのは1年も前の怪我だから、最低料金の大金貨10枚では難しい。最低でも倍はかかるだろう。
「彼女ならそのぐらい問題ないよ。怪我が治ったところで、ヨーゼフに城中歩き回ってもらうの?」
「そうしようと思っている。ところで、彼女は本当に卓越した魔法師なのか? 遠目で見たところ、ごく普通の美しい令嬢にしか見えなかったが……」
「卓越というか、もはや冗談みたいな存在だね。父上も見たら、きっとわかるよ」
父ディートリヒも母アマーリアも、完全にはジルベスターのいうことを信じられていないのだろう。空間魔法の話はしないでおいたので、あまり凄さを伝えられるエピソードがなかったのだ。
ーーーこの疑心はちょっとの治療では覆されないだろうな。
ジルベスターはどうやって城の人間を納得させるか悩んだのだが、その数時間後、その悩みはあっさりと無意味と化した。




