16.魔石機関車の旅道中①
図書館での密談から3日経ち、約束の日がやってきた。
両親とともに兄と通話をつなげて、ジルベスターとの約束については話しておいたので、あとはリズベナー公国に向かうだけだ。
「お嬢様。おおよそ荷物は準備ができたかと思いますが、最後にご確認いただけますか?」
自室でマリアに声をかけられ、イルヴァは彼女が用意した荷物を確認する。おおよそ、服とお金があればなんとかなるが、化粧品など細かい身の回りのものなども必要なので、念のためそれらをざっと見た。
嵩張りそうなものは際に空間魔法で兄の部屋に送りつけておいたので、多少忘れ物があっても問題ない。
「問題ないわ。ありがとう」
今回はさすがに1週間家を空けるので、1人でいくのは両親の許しがでなかった。そのため、身の回りの世話をするマリアを連れていくことにした。
今日のマリアは、自身の茶色の髪をハーフアップにして、おでかけ仕様になっている。外で制服を着るのは目立つので、私服に合わせたスタイリングなのだろう。くるぶしまで裾がある、シンプルだが上質なワンピースを着ている。彼女自身もどこかのお嬢様に見えるような出立ちだ。
「ありがとう。確認するわ。……今日の服装、似合ってるわね」
「……! ありがとうございます。この後、お嬢様のご準備も完璧にいたします」
マリアは虚をつかれたような表情を見せたあと、何を言われたか理解すると、照れたように笑った。イルヴァはあまり人の身なりに興味を持たないので、珍しかったのだろう。
「お願いね。今日は髪が邪魔にならないように後ろで結っておいて」
「承知しました。まずはお着替えを」
今日は動きやすさを重視した服装だ。裾が広がって足捌きの良い、袖なしのワンピースに、薄手のジャケットを羽織ることにした。靴も編み上げブーツで踵もそこまで高くない。
マリアは手早くイルヴァに服を着せると、化粧をし、髪は後ろの高い位置で結い、リボンを飾りとして結んだ。マリアの気遣いなのか、リボンは黄色だ。
そして、外出のため先日買ったばかりのイエローサファイアが埋め込まれた金のイヤリングをつけられた。
「やりすぎじゃないかしら?」
「髪のリボンとイヤリングだなんて、ささやかなものです。黄色のワンピースをお召しになったら、少々、目立つかもしれませんが……」
「絶対にお断りよ。まあいいわ。おかしくないのならばこれにするわ」
今日の待ち合わせの場所は、駅だった。
そのため駅までは車で送ってもらい、合流予定だ。
フェルディーン家の車は、運転席も中にある流線型の車体が特徴的だ。
多くの車は馬車のように運転席は開放的になっていて屋根がなく、その後ろに四角い箱型の車体が付いているような形が多いが、運転席も中にあったほうが速度を出しやすい。王都のお粗末な道路では本領を発揮できないが、整備された領地の道路であればかなりスピードを出せる車だ。
イルヴァは後ろの座席に、マリアは運転席の隣の助手席に座る。
「キルトフェルム駅でよろしいでしょうか?」
「はい。よろしくお願いします」
運転手が行き先の確認をしてきたので、マリアが返事をした。イルヴァはそのやり取りを聞きながら、窓の外を眺める。車が動き出すと、透明な窓の外から、賑わう王都の街並みがよく見えた。
窓には魔法で強化された薄いガラスが付けられていて、外は見えるが風を通さない。車内の温度は、風の魔石と、車に組み込まれた気候で保たれている。おかげで夏も冬もいつでも快適だ。車内の椅子に貼っている生地も蒸れづらく座りごごちの良いものであるし、タイヤも他の車とは比較にならないぐらいクッション性の良いもので、乗り心地も良い。
フェルディーン家で作られているこの車は、量産体制が整わず、領内以外の人間に卸してはいないが、領外からも注文が殺到していると聞く。
兄のイクセルとイルヴァの妄想を形にしたような車で、コンセプト図は2人で作成した。それを職人が実現してくれて、見事フェルディーン家の事業の一つとなった。アイデア料として車の売上の一部は自分たち兄妹に分配される予定だ。
その乗り心地の良い車の中で、窓の外をぼんやりと眺めていると、車が突然揺れて、窓に頭を打ちそうになった。
「この車を持ってしても揺れるわね……」
「申し訳ございません」
思わずイライラして悪態をついたら、運転手を誤解させてしまった。
「あ……そういう意味ではないわ。道が悪いということを言いたかっただけ」
先ほどから、少し走っては縦に揺れ、今度は横に揺れと、道のでこぼこが車内にいても伝わってくる。運転技術ではどうにもならない問題だ。
信号の工事が進んでいないのは王家が予算を出し渋るせいだが、道路がでこぼこしているのは、祖父の嫌がらせだろう。王都以外でここまで道の凹凸を感じたことはないので、作為的にやったのだ。祖父の恨みが深かったことを感じさせる執念の出来栄えだ。
王都の道路は見た目は綺麗なので、これが作為的だとおそらく王家の人間は気づいていないに違いない。他の貴族は自分の領地の道路と出来栄えが違うことに気づいてはいるかもしれないが、フェルディーン家の報復を恐れて言わないのだろう。
そういう意味では、フェルディーン家のせいなのだが、王都のこの道には毎度イライラしてしまう。
誰もが憧れる車を所有していながら、あまり車を使わないのは、これが大きな理由だった。王都の道を走らせるぐらいなら、魔車の方がよほど快適だ。
しばし車の中で揺れに耐えていると、ようやく車が止まった。駅に着いたようだ。
イルヴァは降りる前に髪が乱れていないか手で触って確かめた。そしてリボンを左右に引っ張りきつく締め直す。
そうしている間に車の扉が開かれた。イルヴァは何も考えずに、差し出された手を取り車を降りて、目の前に現れた顔に、思わず息を呑んだ。
「おはよう。イルヴァ」
「あっ……!」
爽やかな挨拶と共に、眼前に誰もが見惚れる美青年の顔が現れて、イルヴァは驚きすぎて体制を崩した。
傾いていく体を、目の前にいたエリアスにしっかりと抱きとめられた。
ーーー近い近い!
真夏でもないのに、エリアスから伝わる体温のせいか、自分の体温が上がっているのか、顔に熱が昇るのを感じた。
「大丈夫?」
「いいえ。美しい顔が目の前にあって、驚いたわ」
「それは申し訳ない」
イルヴァの苦情にエリアスはどこかからかうような様子で謝罪した。
「この顔が、君の好みだといいんだけど」
「心配しないで。私だけじゃなく、王都のほとんどの女の好みよ」
イルヴァの好みでもあるが、この男の顔が嫌いな女はそうそういないと言い切ってもいい。
そう思い、力強く断言すると、エリアスの表情がパッと明るくなった。
「イルヴァに好ましく思ってもらえるなら、この顔で生まれた甲斐があるよ」
まばゆい笑顔でそう言われても、恋愛経験はおろか、ロクな社交経験もないイルヴァには、これに何と返すのが良いのか分からなかった。抱きしめられた状態で、マリアを視線で探すが、彼女は一生懸命視線を外している。
なんだか返事をしないと離してくれなそうな気配だったので、渋々、イルヴァは言葉を返した。
「もしその顔じゃなかったら……」
「なかったら?」
「私はあなたの名前を覚えてはいなかったわ」
その答えは予想外だったのか、エリアスの腕の力が緩んだ。その隙にイルヴァはすっとエリアスから離れた。一歩距離を置いて、スカートなどに乱れがないかチェックし、もう一度エリアスを見た。
「確かに、ダンスパーティのあの日、イルヴァは僕の名前呼んでたね」
「私が名前を覚えている人間は貴重よ」
「ジルベスター様は覚えてた?」
「いいえ。卒業試験の時に名前が呼ばれたのを聞いてわかったの」
イルヴァが即答すると、エリアスは急に声をあげて笑い出した。何がおかしかったのかと目を瞬いていると、エリアスがごめんごめんと言いながら、理由を続けた。
「ジルベスター様の名前すら覚えてないのに、僕の名前覚えててくれたんだと思ったら、おかしくて。あの学校で、ジルベスター様の顔をみて名前がわからないの君だけだと思うよ」
「そうかしら?」
「今は国内の王族は通ってない。つまり、彼が最も高貴な人だからね」
言われてみればそうである。リズベナー公国の大公の嫡男は、この国でいうところの王子と同じ身分なので、キルトフェルム王立学校で最も高貴な男だ。
「それに、そもそもジルベスター様も女性の人気は高いんじゃないかな?」
「確かにそうかもしれないわ」
ジルベスターは、さらりとした黒髪に、やや冷めた眼差しの持ち主だが、彼もまた美形である。エリアスよりも中性的で、どことなく精悍な女性にも見えるような美しさだ。その上、彼は身分も高く、確か婚約者もいなかったはずなので、せっかくの機会にお近づきになりたいという生徒はいるかもしれない。
「でも、イルヴァの好みじゃないんだ?」
「エリアスの顔の方が好きよ」
にべもなく淡々と答えたのだが、エリアスはその返答が嬉しかったようだ。喜色満面のその様子に、なんだかイルヴァが告白でもしたみたいだと、少し恥ずかしくなってきてしまった。
「お嬢様。アルムガルド様の車が到着いたしました」
そんなやり取りをしていると、横からマリアに声をかけられた。ジルベスターの前でこんなやりとりを繰り広げる気はないので助かった。
彼女はこういう気遣いができるから、そばにずっと置いている。
どこに着いているのかと振り返ってみると、イルヴァとエリアスが立っている近くのロータリーに一台の車が着いていた。馬車だったら6頭立てだろうと感じさせるような大きさの車だった。車内で男性が立てそうな高さがある。運転席は外にあるタイプだが、素材も装飾も見事で、いかにも貴人が乗っていそうな車だ。
その車の重そうな扉が開かれ、黒髪の青年が颯爽と降りてきた。
改めて見てみるとジルベスターは背も高い。エリアスも高い方だと思ったが、それよりも高いことに遅ればせながら気づいた。
「おはよう」
「おはようございます。ジルベスター様」
ジルベスターと挨拶を交わし、それぞれの護衛や従者、侍女を伴って、魔車へと向かう。
イルヴァの荷物はマリアが持つので、彼女は自身の荷物と2人分の鞄を抱えていた。すでに空間魔法で送っているので、他の2人に比べると明らかに量が少ないが、それでも重そうだ。
イルヴァはそれに軽量化の魔法をかけると、マリアがふっと微笑んで目でお礼を言った。
「その魔法は?」
ジルベスターが目ざとく質問してきた。彼は本当にありとあらゆる魔法に興味があるのだろう。
「軽量化魔法です。風魔法が基本で、風の力で半分浮遊させます」
「論文は?」
「書くまでもない技術なんですが……」
風で浮かしてるだけなのだから、誰でもやればできると言外に伝えると、横にいたマリアが、そっとつぶやいた。
「私がやったら荷物が吹き飛びますけどね。そもそも定着魔法の難易度が高いのをお忘れになってるのでは?」
「定着魔法? ずっとかけ続けてるわけじゃないんだ? 想像以上に高度だね」
物体にかけた魔法が、魔法式を構築し続けなくても発動する魔法を定着魔法と言う。防衛魔法もほとんど同じような仕組みだ。
その定着の長さを伸ばすためや、強度の補強に魔力を使って魔法式を追加で構築することはあるが、基本的には一度発動したらしばらくは勝手に発動状態になる。
ただ、マリアの言う通り、ずっと魔法式を構築し続けて維持するより、定着させる方が高い魔力操作能力が必要だ。
「マリアはそう言うけど、私の家族はみんな使ってるわ」
「お嬢様、フェルディーン家の魔法基準で物事を考えるのはおやめになってください」
マリアが呆れ顔で言いながら、ジルベスターに提案した。
「もし体感されたいのでしたら、私の荷物でよろしければ一度お持ちになってみますか?」
ジルベスターは頷くと、マリアのカバンを片手で受け取り、そして驚愕した様子で目を見開いた。
「これ、空のカバンじゃないよね?」
「私の荷物がかなり入っております。お目汚しになるので開けられませんが……」
疑惑の目を向けるジルベスターにマリアが答えると、彼は即座に首を横に振った。
「レディのカバンを開けさせるほど僕は無粋じゃない」
カバンをマリアに返したジルベスターは、やはり魔法が気になるのか、ちらりとイルヴァの方を見た。
「……この魔法、何かと引き換えに教えてくれない?」
「そうですね……じゃあリズベナー公国でおすすめのご飯を奢ってください」
イルヴァがそう提案すると、エリアスから強い視線を感じた。これはおそらく、自分も連れて行けということだろう。
「エリアスと兄も連れて4人で行きましょう。私の分だけ出してもらえれば構いませんので」
「いや、4人分僕が出すさ」
きっぱりとしたそう言われたので、イルヴァはそれでは、とこちらも特典をつけることにした。
「私は魔法を教えるのが下手だと常々、兄に言われておりまして……私が教えてもよく分からなければ、兄にも教えてもらうよう頼みますね。兄は教えるのがとても上手なので。治療魔法の件も、兄にも力を借りる気なのでついでにお願いしておきます」
「薄々感じてはいたから、ちょっと安心したよ」
ジルベスターがボソリとつぶやいた言葉は、笑みで流しておくことにした。




