15.another_side 妹の結婚話と友との別れ
イクセル視点です
「イクセルって、どうして長男で嫡男なのに留学を?」
イクセルは、フレゼリシアでの友人にこう問われて、なんと答えようか、と迷ったことがある。
イクセル・フェルディーンは、フェルディーン伯爵家の長男でありながら、家を継ぐか曖昧な立場の人間として育ってきた。
理由は、妹のイルヴァが社交能力が致命的で、嫁入りが危ぶまれており、イルヴァが当主として婿取りする可能性があるからだ。
彼女は天才的な魔法センスとスキルを持ち合わせており、火力で言えば国内最高峰、いや、最高と言い切っても良いかもしれない力の持ち主だ。
魔物の多いフェルディーン領においては、魔物討伐能力が高いということはそれだけで、領地を統べる能力があると言われるぐらいだ。
彼女は魔物との戦闘能力や、フェルディーン家が手掛けている数々の事業の製品開発者としては、とても優秀だった。
だから、先ほどの友人の言葉に正直に答えるなら、妹が結婚できるか分からないから、だ。
しかしそれを言って、良い人を紹介すると言われたりしても困る。妹は訳ありで、国外には出したくない。
「いろんな事業をやってるから、当主になるとしても見聞はあった方がいいからね」
「なるほど。比較的、自由にさせてくれるんだな」
彼は深い意図があって聞いたわけではなかったようだ。イクセルの返答に対して、それ以上追及してくることはなかった。
そんなこんなで、イクセルはフレゼリシアで時間稼ぎをしながら、イルヴァを後継者としてお披露目するのは、時間の問題だろうと考えていた。
精霊との契約により、魔力と引き換えに嘘をつかなくなった妹、イルヴァ。
彼女はそもそもが他人に興味がない性質なので、彼女を嫁がせると、嫁ぎ先で問題が起きるに違いなかった。
フェルディーン家はやられたらやり返すのが家訓とも言えるが、自ら手は出さないようには気をつけている。
しかしイルヴァは、嘘をつけないせいで相手の癪に触ってしまい、自ら争いの種を蒔きそうになるので、危なっかしい。
相手に失礼があっても、身分差でねじ伏せられるような結婚しか無理だろう、そう、誰もが思っていたのだが、突然、その前提は覆された。
ある日、魔石が光り、通話の魔法が起動したことを知らされると、イクセルはついに知らせが来たかと身構えた。
そして通話に出る。
「もしもし」
『おはよう、イクセル。そっちは昼かしら?』
「そうですね。ここはわりと国境から遠いので」
『今日は報告があるの』
ついにきたか、と思ったが、なぜだか母の声が弾んでいる。
母はイルヴァを当主にするのは反対なので、この浮かれた様子なのは不自然だ。
しかしそうなると何の話か心当たりがない。イクセルは、手元で飲んでいたコーヒーを口に運びの続きを待つ。
『イルヴァが婚約したから、いつでも戻ってこれるわよ』
「げほっげほっ……! あつっ」
あまりの驚きでコーヒーを吹き出してしまった。手に持っていたカップも反動で揺れて手に熱いコーヒーがかかる。
『大丈夫?』
「も、問題ありません。コーヒーをこぼしただけです」
イクセルは魔法で手を冷やしながら、コーヒーを手早く片付けた。汚れたテーブルもついでに浄化しておく。
「それで、イルヴァは誰と結婚するんですか?」
『レンダール公爵家の長子、エリアス・レンダール様よ』
「……家門が滅びませんか?」
エリアス・レンダールは、国外にいるイクセルでも知っている、国内で最も人気の高い独身男性だ。
イルヴァと学校の同級生で、連日、女子生徒からのアピールがやまないという話を噂で聞いている。
レンダール公爵家は「原初の王族」の家系である。シュゲーテル王家の初代女王の弟の子孫であり、王族の血が入ることを示す「公爵」でありながら、王家と距離のある一族である。
しかしその影響力は絶大で、特に戦闘に有用な魔法理論の開発が有名である。
そんな家の長子を婚約者にして、イルヴァが失言したら、フェルディーン伯爵家など吹き飛びかねない。
ーーーまあ、イルヴァを物理的に吹き飛ばすのは無理だから、領地戦になれば勝てるし、国外逃亡も……。
『大丈夫よ。私たちもそれが心配だったけれど、魔法署名付きで、イルヴァの失言は見逃すって書面にしてくれたの! エリアス様が相当イルヴァのことを気に入っているみたい」
どんな経緯があればそんなうちに都合の良い魔法署名付きの書類を用意できるのだろう。
『しかもレンダール夫妻も連名よ。素晴らしい提案だったので、すぐに話をまとめてしまったの』
「確かにそれ以上の好条件の縁談はありませんね」
間違いなくイルヴァが何かをエリアスに言い、それを彼が実行したのだろう。
イルヴァの率直なコミュニケーションが気に入ったからそうしたのだろうが、兄としては不安もある。
あまりにできすぎていて、何か見落としがあるのではないかと不安なのだ。
「母上は特にエリアス様に違和感はありませんでしたか?」
『嫌な感じはしなかった。もちろんそんな懸念があれば、条件が良くても断るわよ』
イルヴァもそうだが、母も比較的、他人の悪意に敏感なタイプだ。エリアスが何か良からぬ目的を持って近づいてきたのなら、母か妹がどちらかが気づくはずだ。
そうでないなら、単純に好意があるのだろう。
「それなら良かったです。では帰国の準備をしますね」
『あなたが久しぶりに帰ってきてくれて嬉しいわ。あなたの後継者のお披露目もしないとね』
母が当然のように言ったその言葉が、自分が次期当主になったことを実感させた。
元々、イルヴァは結婚のために当主をしてもいいぐらいのスタンスなので、彼女は何も思っていないだろう。
しかし、屋敷の者や、フェルディーン家の兵士はどう思っているだろうか。イクセルもそれなりに強いし、学校でもイルヴァと同じく首席だったものの、イルヴァの方が魔物討伐では圧倒的に有用だ。
彼女は攻撃から回復、魔物の素材化までなんでもこなす万能な魔法使いなのだから。
『イクセル?』
「……あ、すみません。ぼうっとしていました。お披露目については、帰国してから相談させてください」
当主になることは嫌ではない。むしろ望んだこともあったし、望んでも手に入らないかもしれないことにもどかしさもあった。
しかしいざ、魔物の動きの活発なフェルディーン家の当主を任されそうになると、自分より強い妹を差し置いて自分がなって良いのか不安が生じた。
『疲れてるの? ゆっくり休んで。あなたの帰国は急がないから』
母の気遣う声に罪悪感が湧く。
イルヴァが無事に結婚できるというのに、自分が当主になる不安を抱えていてどうするのだ。
『まだ学びたいならいてもいいのよ。イルヴァの都合に振り回されて申し訳ないもの』
「いいえ。イルヴァのために留学していたので、もう良いのです。これからは当主となるべく国内で学びます」
不安があってもそれだけは自信を持って言い切れた。両親に押し付けられたわけでも、妹に我儘言われたわけでもない。自分自身の意思で、イルヴァに未来の選択肢を増やして欲しくて留学したのだ。
『それならいいのだけど……』
「急がないとのことなので、のんびり旅行してから帰ります」
『ふふっ。そうしなさい。豪遊してきていいわよ。あなたとイルヴァの開発した新型の車を領内で受注生産中だけど、領外からも注文が殺到してて相当な利益になりそうだから』
「あれの乗り心地をまだ知らないので、楽しみです」
『ええ。では、また』
母と通話した日以降、イクセルは帰国のための準備を進めていた。
そのまま帰るのはもったいないので、母と通話したその日にフレゼリシアからリズベナーへの出国許可と、リズベナーへの入国許可を取った。
フレゼリシアはあまり設備投資に興味がない国で、治癒魔法の医療技術だけを売りにしているような国なので、旧時代的な手続きで大変だった。
いくつかの書類に似たようなことを繰り返し書かされて、事務局に書類を提出する。
結果が返ってくるのにも1週間ぐらいかかった。
一方、リズベナー公国の入国審査は、ほぼ魔法で行われた。魔石のついた魔力測定器を渡され、それに手を置くと、登録が完了したと言われて、入国許可証をゲットした。
魔力を登録することで、国内で問題を起こしたら、この魔力に罪名がセットで登録されるそうだ。
国内で警備が厳しいところだったり、巡回している兵士に魔力測定器での魔力測定を促されることがあり、問題があれば施設を利用できなくなる仕組みらしい。
フレゼリシアの申請の後だと、より画期的に感じられたリズベナーの申請方法に感動して、リズベナー出身の後輩に伝えると、彼女は自分のことを褒められたかのように嬉しそうにして言った。
「卓越した魔法師にそう言っていただけると嬉しいです。リズベナーは生活を便利にする魔法と魔石の開発に余念がありませんから」
「すごい技術力だよ、ほんと」
「特別入国許可証を持っているか大公家の来客として入国した時は、そんな審査さえ省略できてしまうんですけどね」
「へえ。そんな入国ルートもあるんだ。でもまあ、僕がアルムガルド家の方と関わる機会はないだろうから、関係ない話だね」
「あら、この先どうなるかは分かりませんよ」
そんなふうに微笑む彼女は、シャロという。本名は不明だ。
リズベナーに多い見事な黒髪をもつ彼女は、シャロとだけ名乗ってこの学校に短期留学している。
大きくぱっちりとした目を持つ美少女で、この短い期間でも男子生徒人気の高い。
そんな彼女とイクセルが親しくなったのは、イクセルが何気なく使っていたカバンの軽量化の魔法が彼女に興味を持たれたことをきっかけだった。
彼女はリズベナー出身だからなのか、生活を便利にする魔法に目がなく、彼女自身も博識で魔法が上手だった。
イクセルも魔法理論の話は好きなので自然と親しくなったのだ。
フレゼリシアのこの学校では基本的に家名を名乗らない。
親しくなれば家のことを明かすことも多いので、イクセルも何人かの友人には打ち明けているが、シャロは家門の話はしたくなさそうなのでイクセルの話もしていなかった。
「シャロもそろそろ帰るの?」
「そうなんです。もともと3ヶ月だけの予定でしたから。先輩も帰国されるのですよね?」
「うん。家の事情でね」
お互いに家名を名乗っていないのでこの縁はここで終わりだ。
彼女がリズベナー公国から来たことは知っているが、互いに身元を特定するのは難しい。
それが名残惜しく感じられたが仕方ない。
そう思っていたら、シャロが何かを決意した表情で言った。
「そうですか……。その、先輩はシュゲーテルからの留学生ですよね? どこら辺にお住まいですか?」
それは、明らかにイクセルの身元を聞き出したい様子だった。彼女も、いつかどこかでの再会を望んでいるのかもしれない。
そう思うと、イクセルは嬉しいような、彼女との縁が続くことはないので逆に虚しいような、複雑な気持ちに襲われた。
「そういえば名乗ってなかったけど、僕はイクセル・フェルディーン。フェルディーン伯爵領に来ることがあれば、声をかけてほしいな」
しかし、シャロと再会したい気持ちが勝ち、イクセルは自分の家名を明かした。
するとシャロは大きな目を更に見開いて、一瞬動きを止めた後、花が咲くような笑顔で言った。
「ありがとうございます。絶対、お声がけします。私、家名は言えないのですが、シャルロッテが本名です。シャロは愛称なのですが、先輩はそのまま呼んでください」
「わかった。じゃあ……またね」
「はい! シュゲーテルにはちょっとした縁があるので、今度はシャルロッテとして、お会いしに行きますね。先輩もリズベナーでの旅行、楽しんでください」
笑顔で言われたこの約束が果たされるのかは分からない。彼女はリズベナーでもそこそこ上位の貴族だと思われる。シュゲーテルに遊びに来るほど自由があるのかは未知数だ。
それでも、複雑な気持ちを抱えていた帰国の楽しみが、一つ、増えたことを感じた。




