14.図書館での秘密の取引
「いきなりで申し訳ないんだけど、盗聴避けの魔法を使ってもいい?」
キルトフェルム王立学校の図書館の一角にある会話可能な談話スペース。そこに男女3人とその護衛2人が集まっていた。
オープンな場所だが、往来もありここで話せば声は筒抜けである。イルヴァ・フェルディーンは自分が言おうとしていたセリフを先に目の前の黒髪の青年ジルベスターに言われて動揺していた。
「構いません」
動揺して返事が遅れてしまったイルヴァの横で、代わりに答えたのは、眩いばかりの金髪の美青年で、婚約者のエリアスだ。
今日は約束していた魔法理論についての話をするという名目で図書館の談話スペースに集まっているのだが、どうやらそれは、ジルベスターにとっても建前だったようだ。
エリアスの了承の意を受けて、ジルベスターの隣にいた護衛なのか従者なのかの男が盗聴避けの魔法を貼った。昨日イルヴァが貼ったものに比べるとかなり簡易的なものだが、問題なく盗聴防止にはなっていそうなので、ひとまず、ジルベスターの話を聞く分には問題ないだろう。
「イルヴァ・フェルディーンに頼みたいことがあるんだ」
「なんでしょうか?」
「水魔法による自己治癒力向上の研究の実技の指導を頼みたい」
その研究は、イルヴァが学校に入る前によく使っていたものを、入学してから何か研究をと言われて適当に論文にしたら、思ったより評価が高かった論文である。あれも、体系化論文のつもりだったが、省略式の記述はないので、新魔法論文として取り扱われたのだろう。
「アルムガルド様にお教えすれば良いのですか?」
「うん。もちろんタダでとは言わない。望みがあれば聞くよ」
「ちなみに、理由を伺っても良いでしょうか?」
こちらも頼み事をしたい身だ。相手が重視することは把握しておけた方が取引しやすい。
「リズベナー公国では、光魔法の使い手が少なく、治癒の力を扱えるものが少ない。しかし水魔法なら、ほとんどのものが使える」
光魔法は無属性魔法の一種だ。自然の力を利用する属性魔法と違い、イメージから名前は付いているが、光魔法の治癒の力を使うときに、本当に光で治癒しているというわけではないので、無属性魔法に分類される。
無属性魔法は生まれ持った適正によって扱えるかが左右され、ほとんどの場合、遺伝的に決まるので、リズベナー公国には適正のあるものが少ないのだろう。
それならば、イルヴァはもっと価値あるものを提供できる。
「実は、私も今日、アルムガルド様と取引しようと思って来たのです」
「取引?」
「はい。……ちょっと失礼します」
イルヴァは基本的には他人の魔法を信用しない。特にこのような場で魔法の欠陥があると自分が不利益を被るので、自分の秘密の話をするときは自分で防衛魔法をかけたいのだ。
魔力を一気に展開して、盗聴防止、盗視防止、認識阻害の魔法を三重がけした。
魔法を使う時に隠蔽はしなかったので、エリアスとジルベスターも突然の魔法の行使に驚いているようだった。彼らについている護衛もまた、驚きで固まってしまっている。
「すごい……」
感嘆しているジルベスターをよそに、イルヴァは防衛魔法がしっかりと張られていることを確かめて本題に入った。
「私がお願いしたいことは、私のリズベナー公国への入国許可と帰国のための出国許可、そして、リズベナー公国でそれなりに地位のある家の車をお借りすることです」
「その代わりに、魔法を教えると?」
「はい。ですが、自己治癒能力向上では、足りないと思いますので、もう少しお渡しします」
もちろん、イルヴァもこのお願いの対価に水魔法による自己治癒能力向上だけでは足りないとわかっている。あれは怪我を治りやすくするものであって、直接的に外傷を治すわけではないからだ。
「水魔法を使った治癒魔法でいかがですか? 欠損は治せませんが、欠損以外なら、かなり直せます」
イルヴァが提案すると、その場が水を打ったように静まり返った。確かにこれは論文としては発表していないが、自己治癒能力を向上させられるなら、他者治癒も可能だろうというのは自然な発想だ。そこまで驚かれるものでもないと思ったのだが、どうやら違ったらしい。
「水魔法での治癒魔法……それが本当なら、今言われた条件を渡すだけではこちらが渡すものが足りない気がするけどね。そもそもなんでそんなものが欲しいかを聞いても?」
「理由を話すには、秘密保持の魔法契約に同意していただきますがよろしいですか? 従者、護衛も含めてです。エリアスとアストにもお願いするわ」
「僕はいいよ。彼にも同意させる」
「僕とアストも構わないけど、何かフェルディーン家で問題でも?」
心配そうにエリアスに問いかけられたが、イルヴァはその場では返事をせず、まずは魔法契約を結ぶことにした。相手に秘密を守る気があるかを宣誓させ、それを魔法による契約で結ぶ。
そうすることで話そうと思っても話せない状態にできるのだ。
イルヴァはその場にいる4人に対して秘密保持の魔法契約を淡々と結んでいき、終わったところでようやく、エリアスの問いに答えることにした。
「フェルディーン家の後継者問題に、シュゲーテル王家が首をつっこんできました。古い法を持ち出して、1ヶ月以内に任命とお披露目をせよと。今、兄はフレゼリシアにいますから、私を一時的にでも時期当主にして、エリアスとの婚約を撤回させたいようです」
「……! すまない。第三王女のせいだね?」
「ええ。彼女がエリアスと婚姻したいけれど、王家といえどさすがに決まった婚約に横槍を入れるのは難しいので、婚約自体を無かったことにしようという作戦でしょう」
淡々と状況を説明するとエリアスの表情が曇った。発端は、エリアスが第三王女に思った以上に好意を持たれていたことだから、責任を感じているのだろう。
「それで、どうしてエリアス・レンダールじゃなく、僕に取引を?」
「兄はすでにリズベナー公国にいます。これは、フレゼリシアの出国許可も、リズベナーの入国許可もありますから正当な手続きです。王家は、フレゼリシアから兄が帰ってくると思っているはずなので、兄の所在を誤魔化しながら、後継者のお披露目パーティの日に、兄が突然現れたように演出したいのです。そこで、偽装工作のために、リズベナー公国から、高貴な方の車に同乗させていただいて、シュゲーテル国内に入国できればと思います。車はもちろんお返ししますが、万が一計画が漏れて襲撃に遭い破損した場合は、弁償いたします」
事情を一気に説明すると、ジルベスターは納得したようだった。取引について考えているのか、腕を組み、しばし目を瞑っていた。しかしすぐに考えがまとまったのか目を開けると、姿勢を正して聞いた。
「入国した後はどうするの?」
「リズベナー公国に近い宿か、どこかで兄をこっそり下ろして、私が空間魔法で屋敷に兄を送ります。私は偽装のために、そこから適当に魔車か何かで帰ろうかと。ですので車はそこでお返しできますね」
「ちょっと待って。今、あっさりと重大なこと言ったよね? 空間魔法で兄を送るって……転移ってこと?」
「転移というよりは、空間を繋げる技術ですね。まあ、私以外は使えないような、未整理でかなり複雑な魔法式なのですが……」
「それ、既に成功してるの?」
「昨日、兄の荷物の引っ越しに使いました。ざっと10人は出入りしましたね」
ジルベスターの問いに肯定すると、先ほどよりもさらに静寂が満ちた。というより、全員が絶句しているように見えた。そして、そこでようやく、イルヴァは自分のミスに気がついた。
「あ。……フレゼリシアへの一時的な不法入国についても、秘密保守の範囲でお願いいたします」
問われたことに素直に答えていたら、うっかりフレゼリシアへ不法入国したことをバラしてしまった。魔法契約があるから大丈夫ではあるが、念のためはっきりとそれも秘密保守の範囲だと宣言しておいたほうが安全だろう。
彼らもあっさりと不法入国を打ち明けられて驚いてしまったに違いない。
「その空間魔法、シュゲーテルに戻って来てから使うってことだよね?」
「はい」
ジルベスターはもはや、フレゼリシアへの不法入国についてはどうでもよいかのような口ぶりで、空間魔法について確認してきた。
彼はそもそも魔法が好きなのだろう。水魔法の件は、国を思う公子としての気持ちかもしれないが、空間魔法の方は、あきらかに個人的に興味がありそうだ。
「イルヴァって呼んでも?」
「それは構いませんが……」
「君もジルベスターって呼ぶと良い」
藪から棒に問われた質問に、意図をつかめながらも返事をした。そもそもフルネームで呼び捨てにされていた気がするので、今更許可を取られるようなことでもない気はする。
「これで今から、僕たちは親友だ」
「え?」
「ということにしよう」
「なるほど?」
話の流れは読めないが、その先を促した。エリアスもまた、突然の親友宣言に驚いているようだ。
「親友ならば当然、卒業試験の結果がでるまでの授業免除期間に、さらなる親睦を深めてもおかしくない」
「親友なら、そうでしょうか?」
「幸い、僕の同行者は、僕が出国まで面倒見れば、入国も出国許可も不要だ。これはリズベナー公国の大公にも公子にも公女にも認められている権利で、大公の許可も不要だ」
ようやく、イルヴァにも話の流れがわかった。高貴な人間の車を借りたいといったが、そこをジルベスター自ら同乗することで、入出国の許可も含めて解決するということだ。
ただ、肝心のジルベスターのメリットがわからない。そう思っていたら、続く彼の言葉がその疑問を解決した。
「出国中、僕の車を隅々まで調べると思えないから、君の兄の存在は誤魔化せるだろう。公国側の出国記録は勿論残しておくけど、入国は悟られないようにできる。そして僕もお見送りに参加したいな。親友の兄だからね」
「空間魔法に興味があるんですね。いいですよ。なんなら体感していただいても」
「ほんとに!? 君、最高じゃん」
どんどんジルベスターの口調が砕けて来ている気がする。
「ええ、親友という体裁なら、もちろん構わないのではないですか?」
「……そこは親友で言い切るところなんじゃないの?」
イルヴァはその問いは微笑んで誤魔化した。嘘をつけないので、親友だと言い切ることはできない。イルヴァの嘘をつけない制約は、演技にも向いてないのだ。
「まあいいよ。じゃあ、卒業前に一時帰国で親友を伴って帰ったという筋書きでいこう」
「ちょっと待ってください。2人でリズベナー公国に行く気ですか?」
話がまとまった、と思ったところで割り込んできたのはエリアスだった。彼の冷たい笑顔が怖い。
その刺すような視線に耐えかねたのか、ジルベスターはその後慌てて挽回を始めた。
「う……いや、決してやましい気持ちはないんだって。でもどうしても空間魔法が見たいんだからしょうがないでしょ!」
ジルベスターが開き直ってそういうと、急にエリアスが、にっこりと笑って言った。
「ジルベスター様、私とも親友だったのでは?」
急な宣言に戸惑ったジルベスターは、一拍置いたのちに閃いたと言わんばかりの表情で返した。
「はっ……! それだ! エリアスも一緒に行けばいい。3人で仲良くリズベナー公国で親睦を深めよう、ね?」
「シュゲーテルに帰国したら、リズベナーとの国境近くに、レンダール家の所有する別荘がありますから、そこに滞在した後、車は公国に返して、学校には3人で魔車で戻りましょう。もちろん、別荘内で、義兄上のお見送りもすれば良いでしょう」
「完璧なプランだね! それでいこう。ちなみに旅立ちはいつが良いの?」
本来はイルヴァに不利な取引だったはずだが、ジルベスターはもうこれ以上、条件をつけることは考えていないようだった。
「3日後に出発して、リズベナー公国に3日ほど滞在して、帰ってくるのはいかがでしょうか?」
「わかった。魔車を手配しておく。車でもいいけど、おそらく魔車の方が早いだろうからね」
「王都の交通事情を考えるとそちらの方が良いかと思います」
もっとごねられるかとおもったが、話がどんどん進んでいく。イルヴァの方が置いてきぼりになりそうだ。
「イルヴァ。帰国した時のハブはうちの別荘でいいよね。それと、今回のこと、魔法契約上だと何を秘密にしたらいい?」
「ご両親には全て話してもらっていいわ。契約も書き換えるから。それ以外の人間には、魔法も経緯も秘匿して。つまり、別荘にお邪魔するのはあくまでもジルベスター様とエリアスと私の3人であって、兄はいないということに」
「わかった。両親に話して良いならどうにでもなるから、準備しておく」
エリアスもなぜ、こんなに協力的なのだろう。イルヴァは不思議におもったが、エリアスが思いの外、楽しそうにしているので、まあいいか、と気にしないことにした。
2人が積極的に協力してくれることで、かなり偽装工作としてはレベルの高いものになった。王家もまさか、ジルベスターまで巻き込んで、兄の脱出計画を立てているとは思わないに違いない。
もし思ったとしても、今は第4王女がリズベナー公国に留学中だ。ジルベスターに手を出すような愚かなことはしないだろう。
「水魔法の指導はいつしましょうか? このままここでやっても良いですが……」
「そんなに簡単に習得できるものなの?」
「兄は一発で習得しました」
「そうなんだ」
こういうものは、実演した方が早いだろう。
イルヴァはそう思って左手を前に差し出すと、風の魔法で一思いに腕に傷を作った。浅い傷にしたつもりだが、紙で手を切ったときのような痛みとともに、皮が切れ、赤い筋が入る。
「イルヴァ! 何してるんだ!」
エリアスが叫び、ジルベスターは驚きで目を見開いた。
「水魔法での治癒の実演です」
「自分の腕を傷つけるなんて!」
エリアスに血相を変えて怒られてしまった。これは早く治さないと、エリアスが治療師でも呼んできそうな勢いだ。
「ジルベスター様、見ていてください。魔法式を可視化しますから、分かりやすいかと」
イルヴァは慌ててそういうと、ジルベスターに見えやすいように腕を伸ばした。そして、水魔法を利用して治癒を行なっていく。
水魔法を活用した治癒は、体内の水を操作して行う。液体であればなんでも干渉できるため、それらを使って、自己治癒能力を外部から高めさせる仕組みだ。
イルヴァは実演のためにできるだけゆっくりと魔法を使っていくと、血が止まって体内に戻って行き、皮が塞がり、傷が見えなくなった。
「このようにして行います。体内の水を操作しておこなうのですが、傷の過程を逆にたどっていくようなイメージで行うとやりやすいかと。自己治癒能力を高めることと、他者を治癒することの原理は同じですが、ご自身で試してからでないと、うまくいかないことが多いです」
「君は自分で何回試したんだ?」
ジルベスターに問われて、イルヴァは自分の左腕を見つめて、完全に見えなくなった傷跡に沿うように、そっと右手で撫でた。
「これは数回で成功しましたね。ただ最初は風魔法の威力を誤って、思ったより腕が血まみれになり、兄が青ざめていました。むしろちょうどよく自分を傷つけるほうが難易度が高いので、怪我をした時に試すと良いと思います。お急ぎなら、物理的なナイフなどの方が、安全かと」
そう言って腕から視線を上げると、エリアスの冴えた美貌が目の前にあった。彼は確かに微笑んでいるのだが、明らかに怒りに満ちている笑顔だ。怖い。
彼はイルヴァの腕をそっと手に取ると、傷がないかを確かめるかのように撫でた。
「研究のために何度も自傷行為を?」
真剣に腕に傷がないかを見つめるエリアスの横顔は、真剣だった。
「い、いや、さすがに毎回じゃないわ。私だって怪我するんだから、それを練習にも使ってるわよ。ただまあ、思いついて試した最初の数回は、確かに自分で傷つけたけど……今となっては、とてもうまくなったのよ?」
「そういう問題ではないんだ」
エリアスは治癒について疑っているのか、まだ腕の方を見ている。
ーーーこんなに心配するなんて、もしかして、本当に私のことが好きなの?
イルヴァがそんなふうに考えた時だった。エリアスが腕から目を離してじっとこちらを見た。エリアスの青い瞳に、自分の顔が写って見えそうな距離だ。
美しい顔がそんなに近くあると、どうしても落ちつかなくなってしまう。
「イルヴァ、君のことを心配しているんだ。君が研究のためとはいえ怪我をするなんて……」
「でも、この魔法を教えるには怪我人が必要なの。他人に傷をつくれとは言えないでしょう?」
ぱんっと手を叩く音がしてそちらを見ると、ジルベスターが居心地の悪そうな表情でそこにいた。イルヴァは慌ててエリアスから離れると、意味もなく自分の紅く長い髪を手ですいて後ろに払った。
「怪我人が大量に必要なのは理解した。君の兄上と違い、僕は一回で習得するのは無理だということもね。だから、リズベナー公国で怪我した兵士を集めて練習に協力させる。君の自傷行為はなしだ。これでエリアスも納得だろう?」
「それならば構いません」
提案された折衷案にエリアスも納得したようだ。先ほどよりは和らいだ表情で頷いた。
「ちなみに伺っておきたいのですが、水魔法の完全式を扱えますか?
「省略式じゃなくて? 正直自信がないね。もしかして治癒の魔法に必要?」
ジルベスターが不安そうに問い返してきたが、イルヴァはそれには首を横に振った。イルヴァが取引の天秤に乗せたのは、リズベナー公国の一定数の人間が、水魔法で治癒を使えるようにすることなのだから、完全式の扱いを求めていては誠実とはいえないだろう。
「あったほうがよいですが、ジルベスター様が扱えないなら他の人も扱えないでしょうから、省略式をベースに扱えるように改良します。3日あれば十分ですから、続きはリズベナー公国で」
「……なんか、さらっとすごいこと言われた気がする」




