13.再会と作戦会議と引っ越しと
「お嬢様。お申し付けの通り、この階は人払いしましたが、イクセル様の部屋で何をなさるのですか?」
「見ていれば分かるわ」
マリアを伴ってイクセルの部屋に来たイルヴァは、部屋の中に入った。そして、魔力を展開して魔法式を構築していく。ひとまず盗聴、盗視防止用の防護壁と、すでにその類の魔法式のはいった魔石が置いておかれていても誤魔化せるような幻視効果もつけておく。
「……見てもわからないんですが」
マリアがポツリとぼやきを漏らしたが、イルヴァはその声に応えることなく、魔力をどんどん展開して、魔法の範囲を徐々に拡張していく。最初は兄の居間だけだったが、隣にある兄の寝室や衣装室、そして廊下の方にまで伸ばしていき、最後にはほとんどこの階全体に防衛魔法を構築した。
5分ぐらい魔法を行使し続けて、ようやくイルヴァが満足いく出来になったところで、マリアがそっと話しかけてきた。
「こんなに防衛魔法をはって、この後何が起きるのですか?」
「お兄様が帰ってくるわ」
「イクセル様が……ですか?」
マリアにもう少し事情を説明しようとしたところで、部屋がノックされた。返事をすると、両親が執事のセバスチャンを含め、数人の侍従、侍女を伴って部屋の中に入ってきた。
「かなり大掛かりな魔法だな。セバスチャンたちを連れてくるのが大変だったぞ」
イルヴァがはった防衛魔法は、イクセルの帰国を知らない人間はこの階の認知すらボヤけるような認知阻害魔法も組み込まれている。おそらく最初は両親だけがこの階に上がって来れたが、他のものがついて来ないので、手間取ったのだろう。
手間をかけてしまったので、素直に謝ることにした。
「あ、失礼しました。事情を知らない者は全員、認知阻害してしまいました」
「そんなことだろうと思って、端的に事実だけ伝えて引き込んだが、まずはみなに説明をーーー」
ヴァルターがそういった時だった。
がちゃり、と音がして全員が音のする方向を見た。
次の瞬間、寝室へ続く扉が寝室側から開かれ、イルヴァとよく似た顔立ちの青年が姿を現した。
「ぼ、ぼっちゃま!?」
ほとんど全員が悲鳴に近い声をあげ、イクセルの登場を迎えた。イクセルはイクセルで、実際に魔法を行使したのが初めてだったからか、興奮した様子だった。
「これ、本当にすごいな……!」
兄は完全に居室に入ると、後ろを振り返って開いた扉の側から、寝室を覗き込んだ。魔法が完了しているので、すでに扉は普通の扉に戻っている。再度、フレゼリシアの部屋に戻るには、もう一度魔石から魔法を行使しないといけない。
「お兄様は一度見てるでしょう?」
「イルヴァが目の前に現れた時も感動したんだけど、自分で移動する方がより感動が強いね」
「さて、魔法の感動はさておき、お久しぶりです父上、母上」
すべての挨拶をすっ飛ばして登場したため、忘れていたが、兄が帰国するのはかなり久しぶりだ。イルヴァはひそかに魔法をつかって何度か行き来しているが、両親は久しくあっていない。
2人は最初、突然の息子の登場に呆気に取られていたが、先に母が我に帰って、イクセルに駆け寄り抱きしめた。
「お帰りなさい、イクセル。無事に帰って来れて何よりよ」
母の髪色と兄は共にプラチナブロンドで青い瞳で、兄も顔立ちは母に似ているので、イルヴァ以上にこの2人はそっくりだった。こうしてはたから抱き合っているのを見ると、妹ながら遺伝というものはすごいと感心してしまう。
「お嬢様、これは一体……?」
「空間魔法よ。私が開発して、魔法式を刻んだ魔石をお兄様に渡したの」
親子の再会の側で呆然としているセバスチャン達に簡単に事の経緯と、今、目の前で繰り広げられた魔法が何かについて説明する。すると、皆、ひとまず事情については理解したようで、納得した表情になった。
こうして、この場にいる全員が、状況を把握したところで、イルヴァは本来の本題について切り出した。
「さて、ここでの本題は、どうやってお兄様の出国記録を作るか、です」
「シュゲーテル人はシュゲーテルに戻る時に特別な審査はないから、リズベナーかフレゼリシアから出国する時の審査記録が残っていれば、正当にシュゲーテルに戻ってきたことは証明できるよ。で、イルヴァはリズベナー経由での帰国を推奨しているんだろう?」
「ええ。でもどうせなら情報を撹乱しましょう。フレゼリシアでもう一回、出国申請を出します。これは、シュゲーテルへの出国審査です」
「ああ、なるほど。シュゲーテルがフレゼリシアで工作するとしてもあくまで自国への入国に関する審査しか把握してないだろうから、それで僕の所在地を混乱させるということだね。それなら今日、夜間の受付に滑り込んで出してくるよ」
こういう時、兄はイルヴァの作戦をすぐに理解してくれるので楽である。複雑な魔法理論も、兄は比較的説明すればすぐに理解できるので、今までとくに考えたことはなかったが、兄も相当、魔法理論に精通している魔法師といえそうだ。
「そして明日、お兄様にはフレゼリシアから出国して、リズベナーに入国していただきます。フレゼリシアとしては、お兄様から二つの出国許可申請が出されることになりますが、フレゼリシアは記録魔法の開発や整備はかなり遅れていて、紙でのやりとりですから、おそらくほぼバレることはないでしょう。国ごとに事務を分けていると聞いたので」
「入国の後はどうするんだい?」
「お兄様はとりあえず1週間程度はリズベナーで旅行を楽しんでいてください。滞在中は念の為、高級宿を選んでくださいね。私の防衛魔法を施した魔石もお渡ししておきます」
ここまで話すと、全員が訳がわからない、という顔をした。これはおそらく、リズベナーでしばし滞在する意味がわからないということだろう。兄ですら、怪訝そうな表情をしているので、イルヴァの言葉が足りないようだ。
「お兄様の入国が遅れているように見せかけた方が、妨害の手段を限定できて楽です。お兄様が堂々と1人で戻ってきては、入国してから戦闘になるかもしれません」
「イルヴァが過保護だから、おそらく全部返り討ちにできると思うよ」
兄がボソリというが、イルヴァは首を横に振った。確かにイルヴァは兄に相当な数の魔石を渡しているが、相手の安全を保証できるかはわからない。そこそこ殺傷能力が高いので、目立った事件になってしまいやすいのだ。
「お兄様なら、お兄様の魔法だけでも返り討ちにできるでしょうが、国内でもめごとを起こすと、それをネタに後継者に相応しくないと騒ぎ出すに違いありません」
「だから、できるだけ消息不明にしておいて、急に後継者のお披露目に現れる方が良いと。なるほどね。イルヴァは思ってたより、ヤル気だね。あとはフェルディーン家がどこまで偽装工作やるかだけど……」
兄がちらりと父の方を見た。フェルディーン家としてどこまでやるかの最終判断は、当主である父、ヴァルターが決めることだ。
父はここまでの兄妹のやりとりを静かに聞いていたが、兄の視線を受けて、ため息をつきながら平然と言った。
「どこまでもやる。フェルディーン家は売られた喧嘩は買って、完全に勝たねば」
父がやる気ならば、イルヴァも動きやすい。イルヴァの個人の裁量でできる範囲よりももっと大きなことができるので、より効果的な一手を打つことができるだろう。
「では、お兄様の消息については、フレゼリシアにいるように偽装するのと、万が一リズベナーにいることがバレた場合でも、リズベナー側で足止めをくらっているような感じを演出してください。現地の人間を雇って偽装させられるとベストですね」
「そこは適当に私が指示を出してやっておく。あとはリズベナーからの入国と、国内の移動だな」
「その移動については私に考えがあるので、私に任せてください」
「一応、考えていることを聞いてもいいかい?」
父が国外での工作は引き受けてくれるということだったので、イルヴァはもともと考えていたリズベナー公国との調整について、この場にいる全員に話した。
すべて説明し終えると、兄以外の全員が渋い顔をした。唯一兄だけはカラカラと笑って、それはいい、と賛同してくれた。
「イルヴァのおかげでのんびり観光できそうだ」
呑気な兄の声に、父も母も呆れた表情をして、兄の方を見た。しかし、本人が思っているほど、スケジュールは呑気ではない。
「今日は忙しいですから、リズベナー公国ではのんびり過ごしてください」
「今日はこの後、出国申請を出すだけじゃないのかい?」
「引っ越しもしてもらいます。勝手に運んで良いものだけ指示出ししてもらえれば、お兄様が申請している間に、私が指揮をして適当に引っ越しはしておきます。お兄様が申請から戻れば、お兄様が荷物をまとめてください。ここにいる人員は、引っ越しを手伝うか、リズベナー公国行きの魔車の手配とリズベナー公国での滞在先の手配をやってもらうことになります」
イルヴァが計画を淡々と話すと、兄は明らかに面倒だなという顔をした。しかしそんな顔をされても、留学中の兄の荷物を全てもってリズベナーに向かうのは非効率だ。荷物を守ることに人手を割くのも勿体無いから、単なる旅行として荷造りしてもらった方が良い。
「お兄様は向こう側には防衛魔法展開したままにしてありますか?」
「もちろん。ただ、引越しとなると、けっこう起動に魔力を使うんだけど……」
「大丈夫です。その魔石と違って、私なら開きっぱなしにできるので」
イルヴァはそう宣言すると、寝室へ続く扉の前にたった。扉を一度閉めてから、魔法を展開しながら扉を開けた。
開けると、扉の先はフェルディーン家のタウンハウスの兄の寝室ではなく、留学先の居室につながった。イルヴァは扉を物理的に開けておくために、ドアストッパーを置いて、扉を開け放つ。
入ってもいいですか、そう質問する前に、後ろからすごい速さでやってきた兄が、興奮した様子で叫んだ。
「すごい! 人を移動させる瞬間だけなのかと思ったら、定常的に繋いでおけるんだね? これ、どのぐらい保つんだい?」
「半日は保つと思います。部屋に入っても?」
「ああ。みんな入ってくれ。荷造りはかなり進んでいるから、箱に入れてあるものはすべて運び出しておいてもらってかまわない」
許可を得たので部屋に入ると、タウンハウスの兄の居室よりは狭いが、それなりに広さのある部屋が広がっていた。兄のいう通り、荷造りはかなり進んでいて、細かいものはほとんど箱に入れられて、引越しの準備ができているように見えた。
家具は備え付けなので、持ち出すものはなしことを考えると、ほぼ箱を持ち出せば準備を終えられるだろう。
「では、こちらで引っ越しはやっておきますから、お兄様は防衛魔法の強化だけして、とりあえず申請してきてください。居間以外で入られたくない部屋がありますか?」
「どの部屋も入ってもらっていいよ。そこにある旅行かばんにあるものは、リズベナー公国で使おうと思っていたから、ここにおいておいてくれ。あと、洗面台にある身の回りのものも旅行で使うからそのままにしておいてくれると」
兄はそういうと、イルヴァがタウンハウス側でやったのとほぼ同じような魔法式を展開をした後、申請のために部屋を出て行った。あの扉の向こうはフレゼリシアなのか、と思うと興味はあるが、今、イルヴァたちは不法滞在中の身である。兄の部屋からでて面倒ごとを起こすわけにはいかないので、念の為、外へと続く扉は魔法の重ねがけをして封鎖しておいた。
「扉と扉をつなぐ魔法ではなかったのね」
部屋に入ってきた母が、こちら側の出口を見つめてつぶやいた。そこには、居間の窓際にある半透明の光輝く扉があった。それは、先ほどとは違い、物理的な扉がない位置に出現させているので、明らかに魔法での生成物だとわかるようになっている。
「座標さえわかればどことでも繋げます。ただ、座標指定するのに、かなり精密な魔力操作を求められるので、魔法式を省略式にしないと、おそらくほとんどの人間は発動できないかと」
「イルヴァが難しいと言うなんて、相当難しいのね……」
「私もこれを習得するのに3年かけましたからね」
空間魔法の構想はあったが、望む場所と場所を繋ぐのにかなり時間がかかった。イルヴァは精霊の契約のことは抜きにしても、魔力操作の精密さには自信があるタイプなので、自分以外でこれを0から実現できる人が現れるのは時間がかかるだろう。
兄イクセルも挑戦しているようだが、まだ魔石無しには発動できないと言っていた。
「お嬢様、先ほどの話を伺った限り、身の回りの品と、旅行かばんのもの以外は全てタウンハウス側の部屋に運び入れて良いのですよね?」
「ええ。構わないわ」
アンナとイルヴァのやりとりを聞いて、全員が作業を開始した。両親やイルヴァはもっぱら荷物を軽量化することに努め、実際にアンナやセバスチャンを筆頭に、今回連れてきた使用人が全員でもくもくと運び出していく。
運ぶこと自体を手伝ってもよかったのだが、それは使用人全員に止められた。
数年分の荷物はそこそこ物量があったものの、引っ越し作業自体はサクサクと進み、1時間ほどですべての荷物を運び終えた。家具を運んでいないにしては、時間がかかったが、どちらかというと、受け入れ側のタウンハウスでどのように配置するかで試行錯誤していたことの方が手間取ったようだ。
通常なら、荷物を運んでいる間に考える余裕があるが、今回は運んだらすぐに受け入れ側の部屋になってしまうので、困ったようだった。
この後どうするか、と思っていたら部屋の扉が開き、兄イクセルが帰ってきた。彼は部屋を見回しながら、感心したように言った。
「すっかりものがなくなってるじゃないか。さすがだね」
備え付けの家具以外がほとんど綺麗に片付けられた部屋は、最初にこの部屋に足を踏み入れた時よりも広く感じられる。マリアたち使用人は、すべてを運びだし終えると、タウンハウス側の整理のために、戻って行った。
「申請は、特に何か言われたりしなかった?」
「はい。さすがにリズべナーへの出国まで手は回せていないでしょう。リズべナーは審査も甘いのか、その場で許可が降りました。それに、王家が手を回しているとしても末端の職員というよりは、認可をおろす人間の方だと思います」
「間違いなく手を回しているとは思うわ。ヴァルターがイクセルを後継者として紹介する、と言った時も明らかに空気がおかしかったから」
イルヴァは現場にいなかったのでわからないが、母がそういうのであれば、間違い無いだろう。母は比較的悪意に敏感な体質だ。イルヴァも精霊と契約してから尋常でなく悪意に敏感になったが、母は、精霊と契約しているイルヴァと同じぐらいの精度で感じ取れているようだった。
「申請と同時に確認してきたら、夜の寝台列車の切符が取れたので、このままリズベナー公国に向かおうと思います。この部屋は、今年いっぱいは契約していますし、今回の申請は一応、里帰りという名目にしているから大丈夫でしょう」
「この部屋を残しておいたほうが、イクセルの足取りは誤魔化しやすいからな」
後継者として正式に発表してしまえば、その後はさすがに王家もイクセルの行動を制約するようなことはしないはずなので、部屋はそれから引き払えば良い。イルヴァはそこまでは考えていなかったが、父も兄も存外、撹乱するための手段を自主的に編み出している。
イルヴァが勝手に作戦を立てて取り仕切ってしまったのでどうかと思っていたが、兄も父も一連の反応を見る限り、案外乗り気なのだろう。王家には何かとごねられていて、その鬱憤を晴らすときがきたからというのもあるかもしれない。
「ではお兄様。明日、調整が終わったらまた通話しますね」
「僕の方もこれから荷物をまとめて移動するよ」
「イクセル、気をつけるのよ」
息子を見送る母の言葉として、ごく一般的なように聞こえたそのセリフだが、兄を含めてこの場にいる全員が、その言葉の真意を理解していた。
「もちろん気をつけるさ……過剰防衛しないようにね」
それは、反骨精神旺盛な、いかにもフェルディーン家らしい、見送りだった。




