12.王家からの嫌がらせ
エリアスとの食事を終えて帰宅すると、夕方なのに珍しく父も母も家に揃っていた。
話したいことがある旨を伝えて、夕食の前に身支度を整え直す。父がいない時は略式で食事をとることも多いが、父がいる場合は、父があえて希望しなければ正餐になる。
今日はイルヴァが話をしたいと伝えたので、間違いなく正餐の用意がされる。
部屋に戻ったイルヴァは先に手早くシャワーだけ済ませて、髪を魔法で乾かした。
「お嬢様、ドレスはどちらにされますか?」
専属侍女のマリアは、予定を心得ているので、シャワーから出たイルヴァに尋ねてきた。
彼女はドレスを3着用意していたので、その中から選ぶ。全てのドレスから選ばされると面倒になって選択を丸投げしてしまうことを見透かされているのだ。
「そうね……今日は落ち着いた色にしたいから、モスグリーンのドレスにするわ」
「承知いたしました。髪型はどうされますか?」
「左に流すだけで。髪飾りで留めてちょうだい」
まずはバスローブを脱いでドレスに着替える。
普段、通学の時にドレスは着ていられないので、ワンピースを着るか、パンツスタイルにシャツで登校することもある。
貴族の女性でパンツスタイルはまだまだ前衛的なファッションだが、女性辺境伯が叙爵の際にパンツスタイルで登場し、それが美しく洗練されていたことで風当たりはかなり弱まった。
イルヴァはもともとそこまで他人と関わりがない上に、研究所の人間は他人の服装などロクに見ていないので、動きやすくて快適なパンツスタイルは、イルヴァは割と気に入っていた。
今日はワンピースだったので、後ろのファスナーをマリアに開けてもらい、腕を抜いて、ストンと床に落とし、足を抜く。
マリアは落ちたワンピースを拾ってハンガーにかけると、モスグリーンのマーメイドドレスを床に置き、広げた。
広げられた真ん中部分に足を入れ、ドレスを掴んで上まで持ち上げ、袖を通す。
マーメイドドレスは背中を紐で編み込む形式になっているので、マリアが手際よく引っ張りながら編み上げていく。
ドレスの着替えが終わると、次は化粧と髪型を整える。
鏡の前に座ると、まずは手早く化粧を直してもらった。イルヴァはもともと華やかな顔立ちで、髪と瞳の色も紅色と目立つので、化粧は眉とリップがメインだ。あまりやりすぎると派手になりすぎるので、ほどほどにしている。
「髪飾りはどれがよろしいでしょうか?」
鏡台の上に置かれた髪飾りは、ルビーがあしらわれたデザインのものと、エメラルドがあしらわれたものが用意されている。
服に合わせるか、髪に合わせるか、悩んだ末に、ルビーの方を選んだ。
自分の髪と目の色なので、ルビーは最も馴染みがよく扱いやすい宝石だった。イルヴァは紅色の髪と合わない色は基本的には服もジュエリーも持っていない。
「そういえば、イエローサファイアの……イヤリングかネックレスを用意したいの。宝石商をどこかで呼んでおいて」
「承知いたしました。イエローサファイアとは、お嬢様がお選びになるにしては珍しいですね」
「パートナーの色のジュエリーを全く持ってないのはまずいでしょう? ……エリアスの色って、イエローサファイアじゃだめかしら?」
理由を伝えると、マリアは納得したように頷いた。 イルヴァのサラリとした長い髪をとかしながら、マリアは提案した。
「イエローサファイアも含めて、黄色や金色と呼べるジュエリーをできるだけ並べさせましょう。候補がたくさんあれば、レンダール様の髪の色に近いものも出てくるかと思います。……そういう意味では、通常の青いサファイアも用意させてもよろしいのでは? 目の色に合わせるのも選択肢としては悪くありません」
「私がサファイアって、ちょっとうるさくならないかしら?」
「アクアマリンぐらい淡い色の方が良いかもしれないですね。お嬢様の髪色と喧嘩しないということであれば、確かに黄色系の宝石もよいのですが……瞳の色を選ぶことも多いので、どちらもそろえるべきかと」
「分かった。じゃあどちらも持って来させて。早めにね。ちょっと急ぎたい事情があるの」
「明日にでも持ってくるように手配いたします。お嬢様の予算は常々余っているので、旦那様もお喜びでしょう」
マリアは話しながらもテキパキと髪を整えていくと、左側に寄せて髪留めをつけた。ルビーを葉に見立ててあしらわれたその金の髪留めは、イルヴァの髪の上でもよく映えた。
「今日のドレスはオフショルダーで胸元が空いていますから、ネックレスもされますか?」
「正餐とはいえ、さすがにフル装備でなくても良いでしょう。ネックレスは省略するわ。イヤリングも不要よ」
髪飾りと普段からつけている金のブレスレットをして、ドレスを着たら通常時の正餐としては及第点だろう。全身が映る鏡の前に立ち、おかしなところがないか確認する。ドレスにも髪にも化粧にも問題がないことを確認して、イルヴァは部屋を出た。
時間は少し早いが、食堂の中で両親を待とう。
そう思って、食堂についてみると、父の従者と母の侍女が食堂の扉の前に控えていた。どうやら一足遅かったようだ。
開けられた扉を素直に通り、食堂の中に入ると、すでに父と母が長いテーブルの端に座っていた。来客時にも利用できる長テーブルだが、普段の食事にはこの長さは必要ない。
結果、テーブルの3分の1ぐらいしか普段の食事には利用できていなかった。
「イルヴァも何か飲む?」
席に着くと、2人は食事の前にハーブティーを飲んでいるようだった。そのハーブティーがなぜかエリアスが来た時と同じく、心を落ち着ける効果のあるものだ。
いつもより早い時間から両親が2人揃って家にいるのも珍しい上に、このハーブティーを選んでいるということは、何かあったのではないだろうか。よくみると2人の顔にはすでに疲労が浮かんでいる。
「では、私も同じものを」
イルヴァはそう言ってクラッパーのないベルを振った。この場では、物理的な音はならないが、薄い魔力の波が広がっていき控えている使用人のもとには物理的な音の波として届く。これが合図となり、部屋に使用人がやってくる仕組みだ。
部屋にやってきた使用人に同じハーブティーを頼むと、食事の準備もし始めてよいか聞かれたので、ついでにそれも許可を出す。
「私からお話があったのですが、まずはお二人のお話を聞いたほうがいいですか?」
「いや……まずはイルヴァの話を聞こう」
2人の悩みが何かわからないが、イルヴァは端的に婚約のお披露目を卒業後から研究員になるまでの休みの間にやりたいという話を端的に伝えた。ついでに、レンダール家の方に王家からの横槍があり、王家への報告だけでなく、婚約お披露目を急ぎたいという事情についても伝えた。
すると、両親は突然、ハッとした表情になった。どうやらイルヴァの伝えた情報によって、何か今日起きた出来事で納得できることがあったようだ。
「レンダール家に打診があったのは、王家に報告した後、のことなんだな?」
父がすべての経緯を聞いたあと、念を押すように聞いてきた。フェルディーン伯爵家としてここが気になるのは当然のことだ。万が一順番が逆ならば、王家から不要な恨みを買いかねない。
「ええ。レンダール公爵ご本人がそうおっしゃっていました。それもあって、私は早期卒業と成績開示を決め、魔法理論に強いことを盾に、王家の横槍をしのげればと思っていました」
「早期卒業も成績開示も、格上の家に嫁ぐから決めたのだと思っていたが、まさかそんな事情があったとは」
「レンダール家の事情ですから、お話せずに申し訳ありません」
「いや……王家から横槍があったなどと、レンダール家も公式には隠したいだろう。だが、これで今日起きたことの実情は理解できた」
父ヴァルターが深いため息を着くと、母ミネルヴァが横で同調するように頷いた。
「何があったのですか?」
「今日、夫婦で王宮に呼び出されて、1ヶ月以内に後継者を決めろと言われた」
「……? 王家が貴族の家の後継者選びに口を出すのは過干渉ではないですか?」
「今は形骸化している古い法律があって、それによると子どもが全員成人した場合の貴族家は、1番下の子どもが成人してから1年立つまでに後継者を決めるべしとある。その古い法律を持ち出して、王国中の交通網を担うフェルディーン家の後継が決まってないのは問題だと言われたんだ」
王家が今、フェルディーン家の後継問題に口を出すのはなぜか。普通に考えれば、イルヴァとエリアスの婚約の邪魔をしたいのだから、イルヴァを当主にしたいということだろう。だが、イルヴァには留学中とはいえ兄のイクセルは長子だ。兄を呼び戻したら後継者問題はすぐに解決する。
正直に言って、王家のその口出しによって、イルヴァを時期当主として立てることにはならないように思えた。
「後継者のお披露目を1ヶ月以内にやらないといけないの。イクセルを呼び戻すにしても、入国の申請を含めたら2週間かかるわ。でも、ありとあらゆる手段で妨害されると思う」
ミネルヴァの言葉に、イルヴァは納得した。
要するに、王家はフェルディーン家の後継問題にとことん干渉する構えということだ。
「間に合わなければ、イルヴァをとりあえず立てるしかないわ。一時的に当主候補になれば、婿になれないエリアス様との婚約は一時的にでも白紙になる。王家はそれを狙っているのよ」
エリアスには兄弟がいない。つまり、彼は絶対に継承者であり、婿にはなれないので、当主となる女とは結婚どころか婚約もできない。イルヴァが一時的にでも当主となれば、その間に第三王女との婚約を成立させる気なのだろう。
王家はつくづくフェルディーン家を馬鹿にしている。
「……それで、お父様はなんと返事をされたんですか?」
答えはわかっているが、念のため尋ねると、ヴァルターはイルヴァの“からかい”を察知したのか、ムッとした表情をしながら答えた。
「イクセルを後継者にするので、イクセルのお披露目をすると答えてきた」
「小心者そうなのに、意外とそういうところは引かないですよね」
「フェルディーン家は、売られたケンカは買った上で勝つのが家訓だからな。自らケンカを売ることはしないが、売られたら逃げない」
それは、祖父が交通網を整備して王家に税金を免除させたことからもわかる。ヴァルター・フェルディーンは先代より御し易いと思われたのかもしれないが、父は平和主義ではあるが腰抜けではない。
イルヴァが無駄に争いの種を蒔くことは恐れているが、いざ戦いとなったら、相手をやり込めるまで戦い抜くのがヴァルター・フェルディーンだ。今回の王家のやり方は明らかにフェルディーン家に喧嘩を売っている。
もちろん、王国全土の交通網を把握しているフェルディーン家が、王家の財源の出し渋りを理由に、他の地域よりも王都の整備を遅らせていることも、現在の王は快く思っていないに違いない。他の貴族家だったらここまでしなかったかもしれないが、フェルディーン家だからこそ、娘のための一手を打ったのだ。
「王家も懲りませんね」
「報復はする。だが、目下、イクセルをどうやって安全にこの家まで連れてくるかが問題だ」
「問題にはなりません」
手元に届いたハーブティーに口をつけると、爽やかな香りが口の中に広がった。のんびりとその香りを堪能していると、両親がそろって怪訝そうな顔をしてこちらを見ていた。
「問題にはならない? おそらく国境はもう押さえられてるぞ」
「国境など、通るようで通りませんから、問題ありません」
父の顔が国家反逆罪者をみるような目になったが、そこまで大層なものではない。ただ、ちょっと道のりを簡略化するだけだ。
「こんなこともあろうかと、留学しているお兄様の部屋と、この屋敷のお兄様の部屋を繋げてあります」
「……それは、その……精霊と契約したから成した特殊な魔法なのか?」
「いいえ。魔法理論は私が構築しました。まあ、起動時の魔力がかなり必要なので、最大瞬間魔力については、精霊と契約後の私でないと実現できないかもしれませんね」
イルヴァは子どもの頃、とある事件をきっかけに精霊に気にいられて契約した。イルヴァはその精霊との契約により、魔法の才能と引き換えに嘘のつけない体質になった。
精霊との契約によって嘘をつけないということが公になると、それをもとにつけ入れられる恐れがあるので、基本的にはこのことは隠している。だから、側から見れば、イルヴァは魔法の才能に溢れた人材に見えるだろうが、実際のところは精霊の力を借りている面も大きい。
「具体的に、部屋と部屋を繋げるというのはどういう状態なんだ……?」
「空間魔法で空間を歪めて、座標と座標を繋げています。お兄様に起動用の魔石をもってもらって、私が現地に飛んで構築した魔法で、お兄様も魔石があれば利用できます。一応、魔石には鍵をかけているので、魔法の構築者の私と、お兄様だけしか使えないようになってますから、安全面では問題ありません」
イルヴァは一気に捲し立てたが、両親ともに明らかに理解できないという顔をしていた。確かに空間魔法はかなり高度な技術で、魔法式も複雑だから仕方がない。とはいえ、常日頃から全ての魔法を完全式で利用しているイルヴァにとっては、構築できないほどの複雑さではなかった。
「とりあえず、お兄様に事情を話すために一度こちらに来てもらいましょう」
「……それ、まさか、何度も利用できるのか?」
「ええ。ただ、さすがにお兄様が帰国されるなら向こうに魔法式を置いておくのはよくないので、撤収される際に、それは私が解除しようと思います」
そう言いながら、イルヴァは腕輪につけている魔石の魔法を起動させて、兄と通話することにした。魔石が一瞬光り、相手の魔石と通じたことがわかる。
『こんな時間にどうしたんだい?』
兄の声が魔石を通じて流れてきた。
普段は他に人に聞こえないようにしているのだが、今日は両親にも聞かせたいため、向こうの声も部屋に聞こえるように設定し、こちらの集音範囲も広げておく。
「お兄様は私の婚約の話は、書面か、通話でお聞きになりましたか?」
『ああ。聞いたよ。だから帰国の準備をしているんだ。ちょっと旅行の後にね。とはいえ、流石にイルヴァが当主にならないのに放浪しないから安心しなさい』
「その帰国、早めてもらう必要がありそうです」
『……何かあったのかい?』
「それは私から話そう。イクセル、実はーーー」
父が大体の流れを説明すると、兄が通話越しにため息をついたのがわかった。姿は見えないが、兄の顔が思い浮かぶようだ。
『あ〜あ、せっかくフレゼリシアから帰る前に、リズべナー公国を経由しようと思ってたのに。もう出国と入国許可証まであるのに行けないのか……』
イクセルの留学しているフレゼリシアが、シュゲーテルの北西部で隣接していて、リズべナー公国は、フレゼリシアの南かつシュゲーテルの西部に隣接している。どうやら兄は、リズべナー公国経由で帰国しようとしていたようだ。
これはタイミングがよい。元々の作戦は捨てて、今の兄の状況を最大限に活用する案を思いつき、提案することにした。
「お兄様。確か、リズべナー公国から帰国するには、リズべナー公国の出国許可だけで帰ってこれますよね? 入国審査は省略されますから、出国記録しか残らないはずですよね?」
『そうだな。……なるほど。王家が妨害するなら、フレゼリシアの出国許可を遅らせるぐらいだ。ただ、妨害できるのはシュゲーテルへの出国だから、リズべナーは関係ない。一度経由して帰ってくればいいと?』
「ええ。おおよそあっています。作戦の詳細を詰めたいので、お手数ですが一度帰国できますか?」
イルヴァのやろうとしていることはもう少し複雑だが、ちょうど、リズベナー公国ともちょっとした繋がりがあるのでやれそうだ。
『おお! あの魔法を使っていいんだね? 使ってみたいと思ってたんだ! 今すぐにでもいいかい?』
「いるはずのないお兄様が屋敷を闊歩したら大混乱です。情報統制も必要ですから、私たちがお兄様の部屋に移動するので、待ってください。とりあえず……20分後でいいでしょうか?」
『わかった。起動前に通話は必要かい?』
「いえ。不要です。こちらで準備してお待ちしています」
そう言って通話を切ると、話に半分ついて行けていない両親が困惑顔でそこにいた。しかし20分だと時間はあまりない。
「これからお兄様の部屋に私は先に向かいますが、お二人は適当に人払いをしてから来てください。多少、工作したいので、セバスチャン含め、素性も確かで信頼できる何人かはお兄様の部屋に集めてきてください。私はアンナと共に先に中に入って、思いつく限りの防衛魔法を展開します」
「防衛魔法……?」
「もちろん、襲撃を受けることはないと思いますが、盗聴、盗視を防ぐためです。お兄様がどのタイミングでどのように帰ってきたかは情報戦によって誤魔化したいので、空間魔法で帰国できるということは外部に漏れないように徹底したいのです」
「なるほど。理解した。そのままその防衛魔法の中で会議するということだな。では、私とミネルヴァで屋敷に統制は行っておく」
「よろしくお願いします」
家族3人でそれぞれ頷き合うと、お互いのやるべきことをやるために、それぞれ部屋を出ていく。部屋を出るタイミングになって、もともとはこれから正餐の予定だったことを思い出す。
ーーーせっかく夕食前だったのに……!
イルヴァは心の中で文句を言いながらも、部屋の外で待機していたアンナを伴って兄イクセルの部屋へと向かったのだった。




