優しさの理由
(人外の所有物って、お守りが……?)
何を言っているのか分からないと言いたげな茶色の瞳がシュウをじっと見据え、次にお守りへと視線を落とす。水色の鈴が付いた一見どこにでもありそうな組紐が、まさかそんな不思議なモノだったとは夢にも思っていなかったのだ。
「ほとんど匂いは消えているが、明らかに人間ではないモノが身に付けていたんだろう」
「っ、人間じゃないモノって……」
「俺らのような存在だな。しかし纏わりついてる人外の波長が邪魔しそうなものだが──」
──ああ、だから生命力が強くなったのか。
(え?)
獣の耳を楽しげに揺らしつつ、シュウは納得したようにそう呟いた。しかしその意味を教えてくれる気は特にないようで。
しかし彼が口にした『人外の波長』とは、一体どういうものを指すのだろうか。
「お前の祖母は、これを誰から貰ったんだ?」
「え、んーと……おばあちゃんのお母さんだったかな」
「代を重ねているのか。ならやはり、お前の生命力は生まれつきの強さなんだな」
まるで謎が解けたとでも言うように機嫌よくお守りを片手で弄んだシュウだったが、不意に彼はそれから手を離すとそれをこちらへと差し出してきた。
「強さはもう固定されたとは思うが、これを失くして弱まれば元も子もないからな。持っていろ」
「ん、あ、ありがと……?」
(なんで私がお礼言ってるの?)
勝手に取ったのは彼だというのに。しかしそんな小さい疑問はすぐに消えていき代わりにふと、脳裏にこんな疑問が浮かび上がる。
「……あのさ、その生命力が強いと何が違うの?」
そう紡げば、途端目の前の男は考えるように視線を斜め下へと落とした。
先ほどまでの会話で分かったことは、人狼という生き物は人間の『生命力』が必要不可欠だということ。それは手を握るなどの身体接触で得ることができ、自身はそれが何故か特に強いらしい。
(シュウは理由分かったぽいけど……そもそも実感ないんだよなあ)
そのため何かしら目に見える証拠があれば納得できるかもしれないと、芽衣はシュウの言葉を黙って待つ。そうして数瞬の後視線を上げた彼と、ぱちっと目が合った。
「お前、幽霊は見たことあるか?」
「え?」
(なんでいきなり?)
不意に聞こえた、まるで関連性が見えないそんな質問。しかし目の前の表情は至って真面目なものであったため「ないと思うけど……」と言葉を返す。
「そうか。なら、妖の類とか、目に見えないモノは?」
「え、多分な──」
(あ、)
言いかけた瞬間脳裏に過ったのは、とある男がいつも身につけている黒いチョーカー。それは、本来人間には見えていないもので。
「吸血鬼にしか見えないチョーカーなら視えてるけど……」
「それだな。生命力が強ければ、他の人間に見えないものが視えるんだ」
「そうなの?」
そうしてシュウの顔を見やるが、特に揶揄っているような表情は窺うことが出来ない。ならば、彼の言うとおり翔のチョーカーがいい証拠なのだろう。
(なんかちょっとモヤモヤ解消されたかも)
和海から『人間には見えていないチョーカー』の存在を聞かされた時からずっと、何故自身だけがそれを視認出来るのかが気になっていた。翔が学校でも着用しているそれはかなり目立つがもちろん指摘されることはないため、他の人には見えていないという事実を突きつけられ心細く感じていて。
おそらく幽霊が見えている人もこんな気分を味わっているのだろうと、芽衣はぼんやり思いを馳せていた。
「他に聞きたいことはあるか?」
そんな問いかけではたと意識を彼に戻した際、芽衣の中に小さな疑問が生まれる。
(っていうか、なんで)
この場の主導権を握っているシュウだが、今のところ彼は自身の手を握るという行為に留めており強引な行動は見られない。加えて揶揄いながらも疑問に答えてくれたり、目を開けられなくなった自身を助けてくれたり。
誘拐という実力行使に及んでおきながら優しさが垣間見えるそのチグハグさが、妙に気になってしまった。
「じゃあ……なんで、こんな丁寧に教えてくれるの?」
そう質問した瞬間。
目の前のシュウの雰囲気が、僅かに重くなったような気がした。
(……あ)
これは、まずいのではないか。
そうして訳が分からないまま失言を悟った芽衣に構わず、シュウはおもむろに腰を上げるとこちらに近付き、明かりを背負ってこちらを見下ろす。
逆光で暗くなった彼の瞳は、勘違いでは片付けられないほどに昏い光を宿していて。
「……っ、シュウ?」
先ほどまでの彼と、果たして本当に同一人物なのだろうか?
そんな問いでじわりと首筋が体温を下げた、次の瞬間。
「油断しただろう?」
「っ!?」
グイッと顎が持ち上げられ思わず呼吸が飛ぶ。茶色の瞳にはこちらに迫るシュウが映っていたものの、それを脳が処理するよりも早く唇に柔らかいものが触れた。
つまり。
(っ……!!!)
「っ、んむ、……はあっ、え、なんで、なにして……」
驚きか、はたまた別の感情か。
軽く口付けを落とし唇を離したシュウを見つめ続ける、揺れる茶色の瞳。そこからじわじわと、芽衣の意思とは関係なしに大粒の涙が溢れ始めた。
(っ、止まって、泣いちゃ)
「ああ、懐かしいな。泣き顔は変わっていない」
「っえ」
そうして不意にシュウの指先が眦に触れる。ビクッと肩が跳ねたが、予想に反して彼は優しい手つきで涙を拭うばかり。
そんな行動が、どこか翔と似ている気がした。
「キスくらいで泣くな。これ以上をしようというのに」
「……え」
ぴたりと、驚きのあまり涙が流れを止める。そうして停止した思考が彼の言葉を噛み砕こうと必死になるが、それを理解してはいけないという直感が警鐘を鳴らす。
相反するものが駆け巡る頭にズキっと、締め付けられているような痛みが走った。
「俺がただ親切で説明をしていると思っただろう?お前が隙を作るように、わざとだよ」
──しかしお前を強引に連れてきた男に対して、警戒心が薄過ぎるんじゃないか?
(っ)
頭痛がじわじわ自身を苦しめる中、嫌と言うほど翔に言われ続けた『警戒心』という単語だけは耳が敏感に拾い上げる。そうして、嫌でも悟ってしまった。
彼がこんなにも優しさを散りばめたのは全て、強引な手段を使わずに身体接触を図る機会を窺うため。
この部屋に連れてこられた時からの布石だったのだと気付いた瞬間ぞわりと、全身に鳥肌が立った。
(っていうか、やっぱり身体接触って……)
冷静さを少しばかり取り戻した芽衣だったが、既に自身を囲むように椅子の背もたれに両手を置いたシュウに逃げ場を奪われていて。ヒュッと喉が攣る自身を楽しげに見下ろし続ける色違いの双眸が、再びこちらに距離を詰める。
「まだ足りないな。さあ芽衣、もっと付き合ってもらうぞ」
「え、ちょ、っと待、やめ……!」
そんな抵抗の言葉は続けることが叶わず、芽衣の喉元に全て沈み落ちてしまったのだった。
***
──プルルルル……
──プルルルル……
──おかけになった電話番号は、電源が入っていないか……
「……チッ、出ねえな」
既に帰宅してから5時間は経過した、9月14日の午後10時のこと。
苛立ち紛れにディスプレイを叩いた翔はそのまま携帯をベッドに放り投げ、うつ伏せに寝転んだシーツに顔を埋める。
「芽衣さん怒っちゃってるんじゃないの〜?」
「海斗、分かりきったことで煽らないであげてよ」
そうして弟と共に追撃してきた兄へと視線を移せば「睨まないでよ」と、喉を鳴らして彼は笑った。
──告白現場についてやその目的まで根掘り葉掘り聞かれた後、兄と弟は揃いも揃って信じられないと言いたげな視線を自身に向けていた。そこからはまさに非難の嵐であったが、自身も褒められた行動だったとは微塵も思っていない。
だが芽衣に分からせるため行なったあの行動も、決して間違いだとは思っていないのだ。
「はいもっかい」
いつの間にか手にしていた自身の携帯を差し出した海斗を一瞥し、大きくため息を吐く。既に言われるがまま3回芽衣の名前を押下しているが、やはりと言うべきか一向に出る気配がない。
どうせ何度掛けても同じだろうがそれでは彼らの気が済まないと、翔は半ば諦めの境地に達していた。
──プルルルル……
「あーあ。4回トライしても出ないんだもん、相当怒ってるね〜」
そんな楽しげな声色で携帯を持つ手に力が籠った、次の瞬間。
──プツッ。
『しつこいな、何度掛ければ気が済むんだ?』
「……は?」
次に電話口から届いたのは、全く知らない男の声。
それに対し思考が急停止する中、鮮血の瞳は裂けそうなほどに見開かれ動きを止めていた。




