初対面?③
──余程、お前を独り占めしたいらしい。
(いやまさか……)
その言葉に対し溢れた「分からない」という呟きは芽衣の本心。確かに翔の口から『他の男と話しているだけで殺したくなる』旨の発言は聞いたことがあるが、ならば何故、わざわざ自身に告白現場を見せたのだろうか。
その一件で、元々考えが読めない翔の頭の中が更に分からなくなったというのに。
(別に付き合ってないし……。「お前の男か」なんて聞かれてもなあ)
「……まあ、俺にしてみればお前の恋人でない方が色々と都合が良いが」
「っえ?」
不意に意識を引き戻した言葉に首を傾げる。しかしシュウは発言の意味を語る気はないらしく、そのまま灰色と空色の双眸でこちらを見据えるばかり。
(……今の、どういう意味?)
相変わらず緩く口角が上がった表情を見ながら心の中で疑問を投げかけたが、彼は黙ってこちらと目を合わせ続ける。そんな瞳に吸い込まれるように見入っていた時ふと、気が付いた。
やはり、その瞳の奥には昏い湿度が宿っている。ような気がする。
翔の兄にもよく似た、足元から這い上がってくるようなそれ。ぶるりと寒気を覚え、咄嗟に芽衣はシュウから視線を外した。
(でも、ここまで何にもされてないわけだし……)
おそらく考えすぎだろうと、芽衣は別の方向に思考を巡らせる。そうして不意に耳元で蘇ったのは先ほどシュウが人狼の姿になる前に発した、こんな発言。
「そういえば、さっきの生命力ってなんのこと?」
「ああ、そうだったな」
まるで今思い出したとでも言いたげな表情を浮かべ顎に手を当てた彼を見やる。「どこから説明しようか」と視線を逸らしながら小さく呟いた彼だったが、数瞬の後不意に顔を上げると謎の単語についてぽつぽつと説明を紡ぎ始めた。
「俺が人狼なのは分かっただろう?生命力は、簡単に言えば俺らの活動源だな」
「……人狼の?」
「正確に言えば人外全般だが、より影響を受けるのは人狼だろうな。生命力自体は人間しか持ち合わせていないから、分けてもらう必要があるんだ」
(吸血鬼で言うところの血、みたいなこと?)
つまりは彼らにとっての『食事』に該当するのだろうかと、芽衣は朧げながらに輪郭を掴む。なら一般的に使われる『生命力』という単語とは、若干意味が異なることになるが。
「人間には自覚ないだろうが、空気中にも溶けているから別に困ることはないんだ」
「へえ……、お腹空かないの?足りる?」
「普通の食事もするさ。生命力は言わば俺らの命だな」
(なるほど?)
つまり食事とは別に彼らの生命維持に欠かせないもの、ということらしい。しかし人間しか持ち合わせていないのであればそれに頼りきりになる訳だから、中々不便ではないだろうか。
と、いうか。
「え、人間みんな持ってるなら、別に私じゃなくても……」
そんな単純な疑問が口から溢れ落ちる。途端、シュウがやれやれとでも言いたげに眉を上げたのが視界に映った。
「お前は生命力が強い。俺が今まで出会ってきた人間の中で、おそらく一番だ」
「……え?」
「だからお前じゃないと駄目なんだ。理解したか?」
そうしてさも当たり前のことを確認するように問われ思考が混乱する。今、なんと言った?
「え、待って、なんで強いって分かるの?っていうかなんで強いの」
そう問いかけた瞬間。
不意に、テーブル上に置かれた自身の右手に体温を感じた。咄嗟に視線を落とせば、まるで恋人同士がするようにシュウの指が絡められている最中で。
(!?)
そうして勢いよく彼の顔へと視線を戻せば、そこにはこちらを見据えながらいたずらっ子のように口の端を持ち上げ頬杖をついたシュウの姿があった。僅かに獣の耳が動いているのが見て取れるが、それでも彼の指が解かれる気配は一向になく。
「こんな感じで身体接触をすれば、効率よく生命力が流れてくる。今日、お前の腕を掴んだだろう?」
「……あ」
ふと思い出されたのは帰り道でシュウに腕を掴まれた際、どことなく満足気にも見えた彼の表情。あれはそういう意味だったのかと、ようやく腑に落ちた。
「変わっていないどころか、むしろ更に強くなっている気さえするな」
真面目な顔でそう呟きながら絡めた指先で芽衣の手の甲をさすり、かと思えば弱く握る行為を繰り返したシュウ。しかし次の瞬間「……へ?」と、なんとも間の抜けた声が芽衣の口から漏れた。
(変わってないって、どういう)
やっと追いついた思考で浮かび上がった疑問を投げる。初対面であるはずの彼から紡がれたその言葉は、どう考えても『以前会ったことがある』ことを示唆するもので。
そしてそれは帰り道、自身の名前を呼んだ彼に対して抱いた疑問と同じもの。半ば冗談だと思っていたのに、ここに来て『初対面ではない』という仮定が真実味を帯び始めた。
そんな芽衣の思考が言葉となり、誰に問うでもなく口から溢れ落ちる。
「っていうかなんで、私の名前知ってるの……?」
その言葉が静寂に融けた瞬間。
ほんの一瞬だけシュウの眉間に皺が寄ったのは、きっと見間違いではないのだろう。
(え)
しかし次の瞬間には緩く瞼を伏せ繋がれた手を解くと、そのまま目元を覆って『呆れ』を全面に押し出していて。
「……本当に覚えていないんだな」
薄情なやつめ、と続けられた低い声で頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。覚えていないということは、つまり……。
「え、初対面、だよね?」
「初対面の相手が、お前の名前を知っているとでも?」
「……うーん、そういう場合もあるにはあるけど、まあ普通知らないよね」
その言葉を受けて怪訝そうな、それでいて不思議そうな表情を浮かべたシュウに対し両手を振って『なんでもない』とジェスチャーをして見せる。初対面で名前を言い当ててきた吸血鬼の話題を出して情報量を増やすことだけは避けたい。
そうして部屋に微妙な沈黙が落ちた、数秒後。
「俺は、お前に昔会ったことがある」
「え!?」
途端芽衣の驚声が部屋に響き渡った。それに対しため息を吐いた男の表情は、なんとも形容し難いもので。
あえて言うなら呆れと、ほんの少しの落胆。
「え、うそでしょ?」
「嘘吐いてどうなるんだ。さっきも言ったように、お前は昔から生命力が強いんだ。だから探そうと思っていたが、手間が省けた」
「っ、じゃあ、ほんとに最初から」
彼の口ぶりからして今日出会ったことは偶然。だが、元より自身を誘拐するつもりはあった、ということだろうか。
そうして視線を戻せば、そこにあったのは明らかに昏さを増した色違いの双眸で。
(え、怒ってる……?)
そう直感的に察知した芽衣の視線はどこを見るでもなくあちこちに泳ぎ、なおも落ち着かない気持ちは呼吸をだんだんと浅くしていく。そうして無意識に身体を後ろに引いた時ふと、それまで引結ばれていたシュウの口元が僅かに動いた。
しかし次にそこから紡がれた声は、予想に反して明るさを取り戻した男の声。
「これ、誰から貰った?」
そう言いながらテーブル上に差し出されたのは、自身が今日ずっとポケットに入れていた組紐のお守り。そういえば携帯と一緒に取り上げられていたのだったと思い出したが何故、そんなことを聞くのだろうか。
「うちの、おばあちゃんだよ」
「なら、人間か」
「?うん」
(……?)
水色の鈴が付いた緑色の組紐を手に取りながら呟かれた言葉に思わず首を傾げる。しかしますます不思議そうな表情を浮かべたシュウは、何かに対して納得がいっていないようで。
そうして次に溢れた彼の呟きで一瞬、芽衣の思考が止まることに。
「人外の所有物が、なんで人間の手に渡ったんだ?」
「……え?」