初対面?②
目の前の男性、もといシュウから名前のみの自己紹介をされた訳だが、だからと言って初対面の男性に誘拐されたであろうこの状況は変わらない。
(私に用事があるって言ってたけど……)
「俺に聞きたいことがあれば答えると言っただろう。そんな顔で見るな」
「え、あ、ごめんなさい」
どうやら自身は知らない間に怪訝な表情を浮かべていたらしく、咄嗟に眉間を親指で伸ばし瞬きをすれば「何してるんだ」と笑いを含んだ低い声が届いた。
そうして目の前へと視線を戻せば、頬杖をつきながらこちらを見据えるシュウの色違いの双眸と視線がかち合う。するとその笑顔が一転、どこか不思議そうな面持ちへと変わった。
「お前、なんで冷静でいられるんだ?普通、もっと取り乱したりするものだろう」
「……たしかに?」
小首を傾げながらも、どこか納得した様子の芽衣。
事実、全く知らない部屋で目を覚まし初対面の男性に脅されているのだから、その相手の面前にいることすら本来は怖いはずなのではないか。
(まあ怖いっちゃ怖いんだけど、こういう体験2回目だしなあ)
未だ鮮明に蘇る1ヶ月前の出来事。和海に誘拐されたあの経験で必要のない耐性がついてしまったのは、やはり明白なようで。しかしあの時の目的は『翔と自身を遠ざけるため』であり自身のみに用があったわけではない。
では『お前に用がある』と言い切ったシュウの目的は、一体何なのだろうか?
「分かりやすい表情で飽きないな。そんなに気になるなら聞けば良いと思わないか?」
「っ、じゃあ、なんで私をここに連れてきた、んですか」
「口調を改めたら教えてやる」
(ええ……)
思わず肩を竦めれば「はは」と軽い笑い声が耳に届いた。どうやら彼は自身を揶揄ってだいぶご満悦のようだが、翔とは別ベクトルで頑固なところがあるらしい。明らかに年上だから、と砕けた口調に若干の抵抗を覚えたものの、どうやらその遠慮を辞めない限り話は進展しなさそうだ。
「私に、何の用事があるの?」
意を決してそう質問してみる。途端シュウの表情が眉を上げた挑発的なものに変わったかと思えば、次に弧を描いた口元から落とされたのは爆弾にも近い、こんな発言。
「お前が欲しい、と言ったらどうする?」
「え」
瞬間ひゅっと喉が詰まる。おおよそ会って間もない男性の口から聞こえる台詞ではないだろうものが聞こえ目が泳げば「逃げるな」と制する声が耳朶を打った。そうして思考に侵入してきた言葉のまま色違いの双眸へと視線を戻せば、その目の奥が僅かに湿度を増したような、そんな錯覚に襲われる。
(欲しいって、どういう)
流石に自身相手に変な気を起こしているわけではないはず、と言いたいが彼は誘拐まで敢行しているのだから冗談か本気かの判別がつかない。何よりその表情のみであれば冗談だろうとも思えるが、目の奥が全く笑っていないような。
そうして自身でも気付かぬうちに身体が強張った、その時。
「そんなに怯えられると悲しくなるな。冗談だから安心しろ」
じわりと耳に浸透した柔らかく低い声。ふっ、と身体に加わった力が解れるのを感じながら目を泳がせ、再度彼の表情へと視線を戻す。
冗談。確かに彼はそう言った。
しかしその瞳だけは『冗談』で済ます気がないように見えるのは、果たして気のせいだろうか?
(私相手にどうこう、っていう人なんていないだろうし。でもじゃあなんで)
自身に用があるなら殺されるようなことはない、はず。
しかし身代金でもなければ自身に対する用事など、皆目見当もつかなくて。
「何の用があるか、だったな。生命力と言っても分からないだろうから、見た方が早いか」
「?せいめい、りょく?」
「人間には馴染みがないだろう?見せてやるから目を瞑れ」
(え、この状況で?)
視界を遮断してしまっては何をされるか分からない。そうして戸惑っていれば「何もしないから」と逡巡を察したような言葉が耳に届き、芽衣は疑いながらも渋々瞼を伏せた。すると不意に椅子を引く音と衣擦れの音が部屋に響いたが、どうやら懸念とは裏腹にこちらに近付いて来るわけではないらしい。
と、いうか。
(……今、『人間には』って言った?)
見逃しそうになったそれを理解した瞬間サッと体温が下がる。今年の春辺りの自身であれば『何を言っているんだろう』で済ますことの出来た些細な言葉も、吸血鬼という架空の存在と出会ってしまった今では聞き逃すことの出来ない文言で。
そうして思わず目を開けそうになった、次の瞬間。
「もういいぞ。目を開けろ」
「っ」
(あ、やばいかも)
指示に逆らい目を開けようとしたタイミングでのその言葉。しかし叱責などを恐れたせいだろうか身体に変な力が加わってしまい、無意識で出来るはずの瞼を上げるという動作がどうやら出来なくなってしまったらしい。
「あれ、どうやって、え」
「何してるんだ……」
瞬間ふわりと目元に温かい体温を感じた。どうやら両目を片手で覆われているようだと気が付いたのは、骨ばった指先がこめかみを軽く叩いた時。
「一回深呼吸しろ」
「っ、うん」
(……意外と優しい?)
そんな感情を抱きつつ上へと肌を撫でた手のひらに導かれるように瞼を持ち上げれば、次に光と共に視界に飛び込んできたのはとあるこんな光景。
「──え?」
瞬間その一面に覚えた違和感と、その正体。
一つ、相変わらずの空色の左目に対し、先ほどよりも色素が若干薄くなった灰色の右目。
一つ、目の前でこちらを見下ろすシュウの頭部に現れた、彼の髪色と同じ獣の耳のようなもの。
一つ、コートを脱いだ彼の背後から覗く、黒い尻尾のような何か。
──『人間には』馴染みがないだろう。
耳元で蘇った先ほどの発言と見慣れない景色を処理しきれずに脳がフリーズすること、数秒。
「っ!!?なに、その耳、とか、え!?」
途端我に返ったと同時に語彙力を失った言葉が溢れる。そんな自身の様子に対して落ち着き払ったシュウは喉を鳴らして笑うばかりで、まるでこの状況が思惑通りとでも言いたげで。
「俺は、お前たちが『人狼』と呼称する生き物なんだ。人間じゃない」
「あ、やっぱり、っていうか人狼って初めて見た」
先ほど引っかかりを覚えた言葉の答え合わせ。それに対し思わずそう呟けば、途端彼の表情が不思議そうなものに変わった。
「……まさかとは思ったが、人外という点に関してはあまり驚かないんだな」
(あ)
言われてみれば、通常『人間じゃない人型の生物』と明かされた時の反応は驚愕か疑念を抱くかの2択だろう。にも関わらずすんなりと受け入れてしまった自身は、一体どう見えているのだろうか。
「まあ、お前の近くにも人間じゃない奴がいるようだし、当然か」
「……え!?」
瞬間脳裏に過ぎった、白黒髪の吸血鬼。
咄嗟に驚声を上げた口元を両手で覆ったが何故、側に人外がいると分かったのだろう。
「そんなに驚くな、俺は鼻が利くんだ。人間かそうでないかくらい分かる」
「そう、なの?」
そうして腕の匂いを嗅いでみるが、いつもの柔軟剤の匂いが鼻腔をくすぐるばかりで特段変わった匂いは感じられない。
「俺にしか分からないと思うぞ。にしてもこの匂い、どこかで」
そう呟いたかと思えば不意にシュウが自身の右腕を捕える。突然のことに対し大きく肩が跳ねたものの振り払うには力の差が歴然であり、手首に鼻を寄せ匂いを確かめるように呼吸を繰り返した彼を黙って見据えることしか出来ない。
「……ああ、分かった。血だな。ということは吸血鬼か」
「っ!!」
(そんなことまで分かっちゃうの!?)
咄嗟に左腕に顔を埋めるがやはりそんな匂いは感じられない。「図星だな」と明るい声が耳を掠める中、芽衣は無言で肯定を示すばかり。
しかし『吸血鬼』まで言い当てられてしまうとは、彼の言う通り本当に鼻が利くらしい。
「同じ種族であれば匂いも似ているからな、昔会った吸血鬼にそっくりだ。男か?」
「……うん」
急な問いに躊躇いがちに相槌を打てば「聞き方が悪かったな」と、シュウは再度疑問を投げかけてくる。
「『お前の』男かと聞いたんだ」
「えっ」
(お前の、って)
つまり恋仲の関係にあるかどうか、という問いなのだろう。しかし付き合っているわけでもない以上、名前のないこの関係性をどう表現していいか分からない。
「……微妙、かな」
「そうか。しかしここまでべったり匂いがつくほどだから、余程お前を独り占めしたいらしい」
これがお前の男じゃないなら、一体何なんだ?
「……分かんない」
どこかバツが悪そうに視線を逸らしながら、芽衣はそう答えることしか出来なかった。