表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/8

知らない人

 (っ、よし)

 そうして待ちに待った放課後。クラスメイトがわいわいと賑やかに教室を後にする中、芽衣はポケットをぎゅっと握りしめて息を一つ吐く。


 ちゃんと話し合って、今日こそは仲直りをしよう。そうすれば以前のように会話も出来るだろうし、鉛のような怠さも消えてくれるはず。

 彼の隣に居続けられる自信こそまだ持てたわけではないが、きっと大丈夫。

 そうして未だ重さを感じる足を前へと動かし、指定された空き教室へと向かった。


 ……のは、いいのだが。


(っ、なに、この状況)


 現在、空き教室の入り口で立ち尽くす芽衣の眼前に広がっている、とある光景。

 傾いた日差しが入り込む薄暗い教室の中、窓枠に腰掛けながら入り口方向に身体を向けている男と、彼の目の前に立って後ろ手を忙しなく動かしている少女の姿がそこにはあった。


 ここまでなら、タイミング悪くそんな場面に遭遇してしまった笑い話で済ませることも出来る。

 問題は、こちらに身体を向けている男の首元に映えているのが黒いチョーカーだということ。

 この学校でそれを着用している人物など、芽衣は1人しか知らない。


(翔、え、告白?)

 誰がどう見ても翔に対する告白現場である目の前の光景。そんな状況をゆっくり飲み込んでいる最中にも、目の前の女子は彼に対して口を開き始める。おずおずと言葉を紡ぐ彼女の靴の色から察するに、後輩であることは明らかだった。


 翔からの呼び出しと運悪く被ってしまった?

 それとも告白現場になることを分かった上で、彼は自身をここに呼び出したのだろうか?


(っ、なんで) 

 まるで足が縫い付けられたように動けずにいれば不意にぱちっと、男の漆黒の瞳と視線がかち合った。

 その瞳がじっとこちらを捉える中、安堵にも似た気持ちがじわりと胸に広がる。


 しかし。


 交わっていた視線がふいと、後輩に視線を戻した彼によってその繋がりを失ってしまった。


「……ぇ」


 ──他の人間に目移りしても、お前はそれでいいんだろ。


 瞬間胸中に渦巻いたのは吐き気さえ覚えそうな重い感情。知らぬ間に呼吸が浅くなる中でも、目の前の光景から目を逸らすことが出来ない。

 今、確かに目が合った。自身がここにいるのを理解した上で、なおも目線を後輩に戻したということは。

 

(その子の方がいいのかな、って、私何考えて)

 過ぎった黒い感情に驚きつつ、芽衣は掻き消すように首を横に振る。

 別に付き合っているわけでもないのだから、彼が誰と交際しようが自身には口を出す権利などない。


 それでも。

 自分がこんなにも醜い人間だとは知りたくなかった。

 翔が他の子と交際するかもしれないと考えただけでショックを受けるような、こんな小さい人間だったとは。


「っ……」

 喧嘩の原因を作った自身に傷つく権利などないことは分かっている。「他の男と話しているだけで殺したくなる」と言い切った彼の言葉に胡座をかいていたことに今更気付いたところで、もう遅い。


 やはり、こんな狭量な人間は翔にふさわしくないだろう。


(っ、ていうか、やっぱりモテるんじゃん)

 十中八九後輩に呼び出されたのだろうが、彼はその呼び出しに応じるようなヒトではない。ならばわざわざそれに応じ自身にこの場所を教えた目的は、おそらくただ一つ。


 この光景を、自身に見せつけるため。

 

 ──俺のそばにいろ。


 瞬間耳元で蘇った低い声。あの夜紡いだその言葉は、最早なんの意味も持ってはいないのだろうか。

 そうまでして自身の『好き』という気持ちを諦めて欲しかったのかと、ネガティブに支配された頭ではそんなことしか考えられなくて。


 そうして弾かれたように振り返った芽衣は音を立てないよう小走りで元来た道を引き返す。キュッと無意識に噛んだ唇の僅かな痛みに気が付く余裕など、最早残されていない。


「……はあ」


 なおも言葉を紡ぐ鈴のような後輩の声に混ざって男がため息を吐いたことなど、芽衣は知る由もなかったのだ。


 **


(……何もあそこまでしなくても)

 アスファルトを蹴る音だけが夕暮れの住宅街に響く。段々と日が短くなった空の下を小走りで駆けていく芽衣は数歩先の地面を見たまま、溢れ落ちそうになる涙にも構うことが出来ずにいた。


 嫉妬など、しない人間だと思っていたのに。

 それでも胸中に渦巻いたあの黒い感情が嫉妬だと言うのなら、翔のことを縛ってしまう危険もあったわけで。


 そんな感情も欲も、抱いていいわけがない。


(っ、これからどうすれば)

 そうして感情に引っ張られるまま下ばかり見ていたために、芽衣は前方から向かってくる歩行者の存在に気が付くことが出来なかったのだ。


 ──ドンッ!


「っ!!」


 次の瞬間肩に強い衝撃が走ったと同時に目の前がぐらりと揺れる。咄嗟に持ち堪え「すみません!」と謝罪をしつつ、目の前の人物に視線を上げた時。

 思わず、息を呑んだ。


(わ、きれい)


 最初に浮かんだのは、場違いにも思えるそんな感想。

 芽衣の視線の先にいるのは前髪を真ん中で綺麗に分けた黒髪の男性。しかし自然と視線が縫い付けられたのは、その前髪の左側を染め上げる青から橙に移り変わった鮮やかな夕焼けのような色。黒のハイネック横から覗く長めの襟足も黒いことから、前髪の一部だけを染髪しているらしい。

 そして何より目を引いたのは一重から覗く灰色がかった黒の右目と、どこまでも澄んでいる空色の左目。


 翔と同じくらいの身長に整った顔面も相俟って、まるで人間離れしているようにさえ思えた。

 そうして夕焼けの下動きを止めた男性に見惚れること、一瞬。


「っ、は」

 瞬間目の前の男性から声が漏れる。はっと我に返り咄嗟に会釈をしたものの、男性は一向に足を進めようとしない。


 それどころか。

(なんでそんなに驚いて……骨でも折れた!?)


 瞠目した色違いの双眸はこちらを揺れることなく見据え続けるばかりで。最初は痛さのあまり怒られるのかと身構えたがどうやら違うらしく、だんだんと居心地悪さが這い上がった。

 だが、もし骨が折れているなんてことがあっては大変。そんな心配のまま、芽衣はおずおずと口を開く。


「あの、大丈夫、ですか?」

「……」


(無視!?)

 この距離で聞こえていないはずはないだろう。勇気を出した声かけに決まり悪さを覚えふいと視線を逸らせば、学校を出た時よりも地平線に近付きつつある太陽が目に映った。


 一応謝罪はしたし、男性も肩を抑えるばかりで口を開く様子はない。

 ならばとりあえずは大丈夫だろうと、芽衣はもう一度会釈をし彼の横を通り過ぎようとした。


 しかし。

 次に聞こえた二文字で瞬間、芽衣の時間が止まる。



「……芽衣?」



「……っえ?」


(今、なんて)

 聞き間違いだろうか。今、自身の名前が聞こえたような気が。

 そうして動きを止めたまま男性を見据え続ける芽衣に対し、彼はなおも言葉を紡ぎ始める。


「お前、芽衣だろう?」

「えっ、と」

 知り合いでもない男性に名前を明かすことはどことなく憚られたため、本当に初対面かどうかを確かめるべく記憶の糸を辿る。

 しかしこのような人目を引く男性は一度会えば記憶に焼きついているはずなのに、どこを探してもやはり見覚えはなく。


(っていうかデジャヴなんだよなあ……和海さんもこんな感じだったよね)

 脳裏に過ぎる、翔の兄(和海)と初めて会った時のこと。

 和海という前例(心が読める吸血鬼)がいる以上初対面で名前を口にされることも不思議ではないのかもしれないが、おそらく目の前の男性は人間。

 それに何より、そう頻繁に人外に遭遇することなどあってはたまらない。


「えっと……誰かと間違えてたりしませんか」

「まさか。俺がお前を忘れるわけがないだろう」

「ええ……」


 確信を持って言い切られたそれに返す言葉が思いつかない。しかし、本当に会ったことがなくて。

 だんだんと足元から這い上がった心細さのまま辺りを見渡してみるが人っこ一人おらず、誰に助けを求めることも出来ない。そんなソワソワとした様子を悟られてしまった、次の瞬間。


 不意に、手首に体温を感じた。


「っ!?」


 咄嗟に手首に視線を落とせば、そこを握りしめているのは骨ばった大きな手。

 瞬間頭から冷水を浴びたような心地に襲われる。


「待っ、離し」

「探す手間が省けて僥倖だな。一緒に来てもらおうか」


 そんな言葉が耳を掠めるままに顔を上げれば、先ほどよりも湿度を増した色違いの双眸と目が合った。

 まるで呑み込まれてしまいそうなそれから目を逸らすことも出来ないまま、だんだんと呼吸は浅くなるばかり。


(っ逃げなきゃ)


 じわりと体温が下がる中、気付けば芽衣は男の手を振り払うように腕を上下に振っていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ