人ならざる者の邂逅
「ちょ、っと待ってよぉ!桜〜!」
周囲の賑わいがどこか違う空間から聞こえる錯覚に陥る中、間延びした甲高い声が耳に届く。
瞬間ぴたりと、こちらに迫って来ていたシュウの足が止まった。そうして無表情のまま振り返った彼が女性を黙って見下ろしていれば、数瞬の後に追いついた彼女は彼の腕にしがみつきながら矢継ぎ早に言葉を捲し立て始める。
「なんで置いてくの!アタシとの約束は!?っていうかあの子誰っ」
「妹だ」
(!?)
即答された単語に思わず耳を疑った。そうして大きく見開かれた茶色の瞳が揺れることなくシュウを凝視していれば「妹っ!?」と、自身の胸中とまるで同じ反応が女性の口から聞こえる。
そうして動くこともままならずにいれば、頭上からどこか感心したような和海の声が降ってきた。
「嘘ついてるね。それとも本当に兄妹?」
「まさか!私一人っ子ですよ!」
「あはは、冗談だよ」
混沌とも表現出来るこの状況で、和海だけはいつものように口角を上げて余裕を崩さない。
まるで、この場が楽しくて仕方がないと言うように。
(っていうかそもそもシュウは人狼で、人間じゃないわけで)
だから、自身とは何のつながりもないはず。
そうして頭の中がますます混乱していく中で次にシュウが発した「妹を家まで送るから、今日のはナシだ」との言葉。瞬間女性が大きく目を見開き、言葉を探すように口をはくはくとさせる姿が目に飛び込んできた。
「…っ、え、ウソでしょ……!?私と一緒にいてくれるって言ったじゃない!!」
「仕方がないだろう」
「すっごく楽しみにしてたのに!嘘つき!!」
一層高さを増した声になんだなんだと、行き交う人々が2人へと好奇の視線を向ける。それを煩わしく思ったようにシュウは一瞬だけ眉根を寄せると、次の瞬間にはなおも言い募る女性に向き直り両手で頬を包んだ。
そうしてくいっと上を向かせた女性と視線を合わせた彼の横顔は、昨日から自身に見せていた笑顔と同じもので。
それはどこか演技めいた、和海のものとも似たような読めない表情。
「埋め合わせはするさ、お前の都合に合わせる。だから今日だけは分かってくれ」
「っ、でも」
そう言いかけたところで不意に、女性がはっと息を呑んだのが分かった。
理由は簡単、シュウが纏う雰囲気の温度が僅かばかり下がったのである。この距離でも直感的に分かるくらいなのだから、至近距離の彼女にはおそらく肌を刺激するように伝わったのだろう。
そうして先ほどまでの勢いが嘘のように身体を強張らせながら背を向けた女性をぼんやりと見送っていれば「さて」と、いよいよ間近まで迫ってきたシュウから温度も抑揚も感じられない声が耳に届いた。
この後の予定とやらを邪魔されたことか、はたまた自身が逃げ出したことか。
いずれにせよ確実に怒りを孕んだ声にヒュッと無意識に息を呑めばふと、まるで『大丈夫』とでも言うように冷たい手のひらが制服越しに背に触れる。
(っ、逃げなきゃなのに)
自身の意識は勝手に後ろへと走り出しそうなのに、隣に立つ和海は真っ直ぐに前を向いている。
現在唯一の心強さである彼がその調子なために、自身はここから逃げ出すという選択肢を採ることが出来ずにいた。
「ここで何をしている、芽衣」
ビクッと肩が跳ねる。目の前に迫っている彼の顔すら見ることが出来ずにアスファルトを捉えていれば、次に頭上から降って来たのは氷を溶かすように温かな声。
「おっと、年端も行かない女の子に対してそれはないんじゃないかな」
自身を庇うようにして和海が一歩前へと踏み出す。そうして彼の背に隠れるようにしてシュウの様子を伺っていれば「誰だ」と、怪訝を全面に押し出した声色が和海へと放たれた。
それは今朝までのものとは全く違う、聞いたことがないほどに低い声。
しかし、それに対する和海の返答は予想の斜め上を行くもので。
「匂いで分かるんでしょ?吸血鬼の匂いってどんなものか興味あるなあ」
「待て、何故それを知っているんだ。……ああ、お前もしかして昨日の」
(え、)
不意に脳裏に蘇ったのは『吸血鬼の匂いがする』という昨夜の発言。しかし何故、今初めて会ったばかりの和海がそれを知っているのだろうか。
そんな疑問を抱いた自身とは反対にシュウは何かを理解したようだが、果たして『昨日の』とは一体何のことだろう。
「自己紹介がまだだったね、俺は和海。君のことは桜くんって呼べばいい?あ、でも源氏名でしょ?」
──じゃあ、シュウくんって呼んだ方がいいのかな。
「……俺の名まで。お前は一体」
「まあ何者でも良いでしょ。それより聞きたいんだけどさ、このまま芽衣ちゃん連れて帰っても良いかな」
「良いわけがないだろう」
間髪入れずに聞こえた言葉に対し「だよね」と、なおも笑みを崩さないままに和海が返事を返す。
「俺は芽衣ちゃんと一緒じゃないと帰れないし、場所変えようか、人狼くん?」
「っ、気味が悪いな。まあ、俺も目立つのは本意ではないからな。移動しよう」
その言葉でふと、シュウから視線を外して横を向いた時。
(!!)
瞬間何対もの瞳が目に飛び込んできた。いつの間にかちょっとした人だかりが形成されていたようで、そこから怪訝と興味が入り混じった視線が痛いほどに突き刺さる。
確かに、人通りの多い夜の繁華街で言葉の応酬を続けていれば嫌でも目についてしまう。加えてそれが側から見ても不穏な雰囲気を醸し出していることは明らかであり、当事者二人の珍しい髪色も相俟って異質な空気を放っていたのだとこの時ようやく気が付いた。
「びっくりしちゃったね?大丈夫だよ」
気が付けば、自身は無意識に和海の服を掴んでいて。咄嗟に手を離し「すみません!」と口にしたものの、彼は青い双眸を少し細めてふわりと自身の手を握る。
そうして和海の背に隠れるようにしながら、芽衣と2人は人気のない場所を目指したのだった。
「ここなら目立たないね」
ふと、和海の冷たい体温が腕から離れていく。
そんな彼に連れてこられたのは、左右を建物の壁に挟まれた幅2m程の狭い路地裏だった。そしてキラキラと輝くネオン街側に背を向ける形でシュウが立っているため、背後が行き止まりな自身らは唯一の退路を絶たれていることになる。
「俺、弟からの話でしか『人狼』って聞いたことなくてさ。本当に存在するんだね」
「吸血鬼は鼻が利く種だった覚えはないな。何故分かったんだ」
「内緒。それより人目に触れるわけでもないから、楽な形態に戻ってもいいんだよ」
その言葉を受け、心底不服そうな表情を浮かべながらシュウは彼自身の左目に手を伸ばす。そうして取り除かれたコンタクトを視認した途端パチっと、次の瞬間には音を立ててそれが弾けて消えた。
そして瞬きをしたそこからこちらを見据えるのは、まるで澄んだ青空のような色の瞳。
「ああ、綺麗な色だね。ところで君は俺よりも年下っぽいけど、本当に俺の帰り道を邪魔できるのかな?」
「お前だけの帰り道なら、別に手出しはしないさ」
(っ)
色違いの双眸がこちらを射竦める。口調の軽さとは裏腹に昏く翳った瞳に捉えられ、くらりと目眩に襲われた。
そうして目の前の彼から視線を逃していれば不意に、芽衣を捕える視線が和海へと上げられる。
「余裕なのは結構だが、年下だからとあまり見くびらないでくれないか」
(……?)
ふと、彼の態度に違和感を覚えた。まるでこの場を制することが確定しているかのような、迷いなどが一切感じられない余裕に満ちた態度。
和海の持つ余裕よりも昏く湿ったそれに足元から言い知れぬものが這い上がる中、シュウの右足がこちらへと距離を詰めたのを芽衣はただぼんやりと視認していた。
そうして、刹那。
「っ」
瞠目した青の双眸と、その頬を片手で捕らえたシュウの姿。まるで一瞬の出来事に理解が追いつかないまま、芽衣の目には眼前の出来事がまるでスローモーションのようにゆっくりと映っていた。
「……!和海さん!!」
ようやく思考が追いつく。シュウよりも背の高い和海の顔を掴み視線を合わせる衝撃的な光景が視界を支配する中で、咄嗟に彼を助けようと手を伸ばす。
しかし、次の瞬間。
「『動くな』」
「!」
ドサリと、和海がその場に崩れ落ちる音が路地裏へと吸い込まれていった。




