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解放までの二日間②

 心臓の音が次第に聴覚の全てを支配する中、状況が読み込めないままに脳がフリーズする。そんな様子を愉快そうに見下ろす灰色と空色の瞳(色違いの双眸)は、目を逸らすのも許さないとばかりにこちらを射抜き続けていて。

 そして自身の鼓動に合わせて背中が浮いては沈むを繰り返していればふと、弧を描いた口元が薄く開かれた。


「『身体接触』の最上級は無論、身体を重ねることだ」

「……え」


 瞬間ぴたりと、周囲から一切の音が消える。『身体を重ねる行為』の意味が分からないほど、芽衣は子供ではない。


「っ、え、ちょっと」

「何が不満なんだ。お前をうんと悦くしてやるというのに」

「っ待」

「ああ、お前の男とはそういう経験がないんだな」


 ほとんど一方的に捲し立てられているのは、目の前の男と『そういう行為』に及ぶという選択肢について。しかしもちろん芽衣がそれを選べるはずもなく、すぐ傍まで迫った危険をどこか他人事のように感じながら彼の顔を見上げ続けた。

 それもそのはず、芽衣には今まで翔以外の恋人がいたこともなければ、彼とだってキスまでしか経験がない。


(え、冗談、だよね)

 人は自身の理解が及ぶ範疇を逸脱した時、一気に思考も感覚も遠のいて行くのが通常の反応。あえて言葉を選ばずに言えば『身体を差し出せ』と言われているこの状況は、芽衣の理解を遥かに超えている。

 それこそ先ほどのキスで反射的に滲んだ涙が、今は全く込み上げてこないほどに。


 だがもちろん、芽衣には拒絶の選択肢を採る他ないのだ。

 彼が今まで相手にしてきたであろう『大人』と違って、自身はまだまだ『子供』。そもそも、そんな経験もないのだから。


 そうして無意識に近い感覚で、咄嗟にシュウの胸板を押し返そうと両手を添えた時。


(っ、あれ……?)

 途端はたと我に返る。自身は今、一体何を。

 しかしその拒絶に対する危機感と後悔が押し寄せる前に、芽衣の頭は別のことで支配された。


 それは一瞬だけ見えた、シュウの歪んだ表情について。

 まるで悲しそうな、子供のように寂しそうな歪みが視界を支配したのは、果たして見間違いだっただろうか?


「抵抗か、いい度胸だな」


(!!)

 しかし次の瞬間には遠のきかけた危機感が一気に身体を硬直させる。そうして呼吸が浅くなり始めた彼女を見下ろすシュウの表情は、相変わらずの余裕で満ちたもので。

 先ほど彼女の視界に入った後ろ向きの感情が、まるで夢だったとでもいうように。


 そして慌てて腕を引っ込めれば、彼の顔が至近距離まで近付く。そこで、抵抗は最初から無理だったのだと悟った。

 いくら殺されない可能性の方が高いとはいえ、それに至らない程度に痛めつける方法などいくらでもある。


「っ……」

 もはや、これまでなのだろうか。

 そうして、これから訪れるであろう未知に対する恐怖と拒絶を示した恐怖がぐちゃぐちゃに混ざり合う中ギュッと、芽衣は硬く目を閉じた。



 ……しかし。

 いつまで経っても、彼がそこから動く気配は全くなくて。



(……?)

 恐る恐る、芽衣はきつく閉じた瞼を上げていく。次の瞬間にはすぐ近くにあった色違いの双眸と目が合いカヒュッと、思わず呼吸が飛んだ。

 そうして瞳が揺れることさえ満足に出来ずにいれば不意に、彼の大きな掌が頬に触れる。


「俺は、そこまで酷い男じゃない。キス如きで泣いたお前にそれ以上を無理強いできるなんて、最初から思っていないさ」


 親指がすりすりと、まるで宥めるように頬を軽く撫でていく。先ほどまでとは180度変わったその雰囲気に、呼吸が上手く出来ない。

 それに最初から『そういう行為』をする気がなかったのなら、何故こんな真似をしたのだろうか。


(何がしたいの……)

 和らいだ雰囲気を纏う彼の下で、思わず心の中で息を吐く。しかし何はともあれ、今は身の危険を感じるようなことはしないらしい。

 なら、覆い被さったその体勢を崩さない理由は、一体。


「早く退け、とでも言いたそうだが、残念。仕方がないからキスで我慢してやる」

「え、また」

「泣いても止めないからな」

「えっ、うそ……──んっ!?」


 ふにっと、唇に押し当てられた柔らかい体温。

 そうして重ねるだけの口付けは角度を変え、更には深さを増して幾度にも落とされる。ぐちゅっと水音が室内に融けていく中、舌を絡めたその行為は思考を奪っていく。

 一気に混乱が押し寄せ視界が狭まりながら、芽衣の舌は無意識に逃げ続けて酸素の入り口を求める。


「っ、は、たすけっ、んむっ……やあっ」

「『助け』、な。せめて、目の前の俺に集中してくれると嬉しいんだが」


 合間にそんな言葉を落とせるほど、この場での主導権はシュウにある。そんな彼にいいようにされながら、芽衣は自身の身体の変化にぼんやりと気が付いた。


(あ、やばい、かも)

 なんとなく、視界が暗くなってきたような。

 

 しかしまるで溺れた時のように呼吸を奪っていくキスは、以前にも覚えがあるもの。理性が消えた翔にされたものと似たこの行為だが、シュウは理性的である分タチが悪い。

 そうしてしつこく何度も口腔内を蹂躙され──


 ふわりと身体が浮くような感覚を最後にプツっと、芽衣の意識はそこで途切れた。

 

「……?おい、芽衣。……嘘だろう」


 芽衣の異変に気付いたシュウがはたと顔を上げれば、そこには瞼を伏せたままぐったりと横たわる彼女の姿が。

 咄嗟に彼女の胸元に耳を寄せれば規則正しい心音が聞こえ、顔に手をかざせば弱いながらに呼吸をしているのが伝わる。


「この程度でか……」

 どさりと、シュウはフローリングに腰を下ろす。その表情から滲むのは呆れと、ほんの少しの安堵。そうして気を失った芽衣を2階の部屋に運び、ベッドの縁に腰掛けながら彼女の寝顔を眺めていた。

 

 だからこそ。


 ──ヴーッ、ヴーッ。


「……翔?男か?……にしてもしつこいな」

 鳴り続ける芽衣の携帯を手にしたシュウが応答ボタンを押下したことなど、彼女は知る由もなかったのだ。


 **


 そうして翌9月15日、土曜日の昼下がり。

 紙袋を手にしたシュウの隣を歩くここは、自身の服を買った帰り道である繁華街。


「ねえ、やっぱりお金払うよ?」

「本来買う必要がなかっただろう。お前は人が良すぎる」

「でも」


 そう言い募ろうとした言葉を遮るように「貰っておけ」と、それ以上を許さないようにピシャリと言い切られてしまった。確かに彼による誘拐がなければ買う必要のない物だが、服だって安くはない。

 加えて彼は自身に全て選ばせた上で代金だけを支払ったのだ。となると、少しの申し訳なさも湧き上がってくるわけで。


(っていうか、翔よりも先に物買ってもらっちゃったなあ。怒るだろうなあ)

 ぼんやりとそんな懸念を覚えながら、自身の隣を歩くシュウを見上げる。そういえば先ほど、店内でも男女問わず人目を引いていたなと、彼の珍しい髪色を見ていた際ふと思い出した。


 と、いうか。


(……なんか、慣れてない?)

 今現在、彼が歩くのは自身の隣。しかし明らかな歩幅の違いからして、意識してゆっくり歩かない限りそれは不可能。加えて服を選んだ後タイミングよく支払いまで持っていったことからも、妙な『慣れ』が垣間見える。

 恋人でもいるのだろうか?


(でも、だったら自分の服貸す時にあんな迷わない、かな)

 考えつつ、芽衣は指ほどまで隠れている袖口を眼前に持ってきた。今朝シュウから借りたこの服だが、これを選ぶ際随分時間がかかっていたように思う。

 そして何故か、彼が持っている服は全て首元が隠れるデザインばかり。やはり自身には大きすぎるそれを纏いながら、芽衣は覚えた疑問についてただぼうっと考えていたのだった。



 ところで『逃げようと思えば逃げられるこの状況』で、芽衣が大人しく帰路についている理由は一つ。

 道を覚えて、彼が眠った後に逃げ出すため。


 シュウの家からの脱出について、芽衣は諦めてはいなかったのだ。



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