序章
「私の目が黒いうちは、赤い目の女は皆殺しにしろ!」
ジャグ暦222年
ジャグレン王の御触れは瞬く間に国中の隅々まで伝達され、赤い目の女たちは一夜にして国に居場所がなくなった。
赤い目を持った魔女達。彼女らのある者は刃向かい人を殺め、ある者は身を隠し、またある者は身を偽り、ある者は匿われた。
もとより大多数の国民たちとは異なる宗教観、規律を持って異能の力を振るう彼女らアクア族は他人関わることに対して消極的であり、アクア族たちは独立した小さな集団を点々と形成して暮らしていた…それ故の不理解が、迫害の要因になっていたとのちの歴史研究家は分析する。
王の御触れが言い伝えられた日の夜。
辺境の町ワズテラフでは、深夜に小さな脱走劇が目論まれた。
「あなたが殺されるいわれはないわ」狭く暗い小屋に老婆の声。
ランタンの小さな灯りの元、町の大人10人程度が一人の少女を囲む形で小屋のなかでひそめいていた。
老若男女の口が動く。
「王の御触れは明日には国中に広がる。この街だって、明日には全員が敵さ…俺も含めてな…今夜が俺たちが君の味方でいられる最後の夜だ。」
「あなたは命の恩人です。しかし…王には背けない!背けば町丸ごと皆殺しだ。憲兵の目はそこら中に光っていて反逆なんてしようものなら…!いや、取り乱したね、とにかく…申し訳なく思ってる。」
物憂げに赤く煌めく瞳が俯き言った。
「気にしないで。今夜だって危ないのに、みんな危険を犯してまで私のために動いてくれるんだもの」
白い肩にかかる白髪と、白い魔法装は、ランタンの薄明かりの光を増幅させるように輝いていた。
その白さと対照的に赤い双眸を備えた少女こそこの町唯一の魔女アシリアだった。
アシリアは15の誕生日に生まれ故郷を失った。
街を反魔女派の組織が襲撃し、虐殺され、街は燃え、住人は散り散りとなってしまった。
その時に両親を失い、天涯孤独の身として幾多の街や荒野を彷徨いワズテラフに落ち着いたのだ。
ワズテラフは町自体広くはないが高低差の激しい土地で、土地面積に対して圧倒的な人口過密であり、それが他人はおろか隣人にすら感心の薄い町の雰囲気を作り出していた。アシリアがひっそりと生きるのに適していた町だった。
アクア族をコンセプトにした飲食店で給仕の仕事にありつき、食い扶持を見つけ毎日働いては趣味のぬいぐるみ裁縫に癒しを見出す日々を送っていた。
アシリアと町の住人たちとの価値観とのズレは
往々にしてアシリアを困らせた。賃金計算はいい加減であるし(大体いつも少ない)、約束は守られることのほうが珍しく、誰かと待ち合わせをしてこちらが時間通りに行こうものならほぼ待ちぼうけを喰らう。そんなこんなでも町民同士で揉めることもない。結局、お互いがお互い、てきとうなのだ。
対してアシリアは約束を反故にされるたび、有耶無耶にされるたびに顔をしかめた。
アシリアがおかしいと主張すれば
「あいつは金にガメツイ」「口うるさい」
などと町民に白い目を向けられた。
アシリアたちアクア族には1200年の歴史があるのに対して、町民たちジャグレン王国の創世記はせいぜい200年前。
アクア民族が長い長い時間の中で連綿と語り継いできた教えは、一朝一夕のジャグレン王国の民には理解されなかった。打算的であるとか、人情味にかけるとか、人に対して厳しすぎるなどという印象を彼女に対して抱き疎んでいた。
結果アシリアは口を閉ざした。
どうせここより他に行き場もない。
そんなある日、アシリアが飲食店で給仕をしていると、中年の客の一人が胸を押さえて椅子から転げ落ちた。心臓発作だ。
アシリアは咄嗟に頭の中で医療魔導書の知識を引っ張りだし、即座に客に治癒魔法を施した。
みるみる客の顔色は血の気を取り戻し目を覚ました。
客は初めて見る魔法に目を奪われ、死神に打ち勝つ奇跡に驚愕した。
起き上がった客は目を白黒させて言った「ありがとう、助かった……で、俺はいくら君に払わなくちゃいけないんだい?」
それから彼女は魔法診療を生業として過ごし、周りに相変わらず理解はされないながらも、みんなから尊敬と信頼を得ていた。
ここで穏やかに暮らせる。そう思っていた矢先の御触れであった…
ランタンの小さな灯りが、脱走の共謀者達の影を壁に大きく投影している。
「隣国へ向かう荷馬車に乗ってくれ。丸2日樽の中で我慢すれば自由の身さ…」
「あんたには世話になった。あっちで困ったことがあったらなんでも言ってくれ」
貿易商、新米憲兵、狩人、農家、多様な職種の人間達が各々もてる限りの助力を提案する。
アシリアは町民たちから初めてまっすぐな思いやりを受け、心の中で何かが氷解した。
「ありがとうみんな、私…みんなともっとおしゃべりすればよかったかも、なんて」
アシリアは微笑んだ。