tp40 ミエルテの魔法使い⑧ 〜ふつうじゃない方法、ありふれた願い〜
「⋯⋯なんてものを『見せ』るんだって、笙真君がさ、言ってたやつ、あるじゃん?」
こめかみが触れちゃいそうなくらい、すぐ隣から、突然、声が上がった。
リベの音色なのに、リベではない口調で。
発したのは、もちろんポーリャちゃん――昴のやつだった。
チラリと横目を投げかけると、僕らが見ていた小さな画面から目線を上げないまま、彼が続けてきた。
「あれで、俺、思ったんだ。俺が『読み』を使うのもさ、理屈のうえでは、間違いなく可能なんだろうな⋯⋯って。今日の――昨日ので、確信できたし」
|五歳のリベの姿には似つかわしくない、落ち着いた声音。魔法で探らずともわかるくらい、ひたむきで、少し寂しそうな口ぶりだった。
「僕は賛同しかねるけどね」
「俺だってそうだよ」
思わず呟いた僕の反論含みな言葉に、彼は即答。一瞬の間をおいて、
「ふつうのやり方じゃないしね」
苦笑混じり。そう言い切るには、ちょっとだけ拗ねている声音。気がつけば、彼の視線が僕を、じっと見据えていた。
やっぱさ。魔法を壊すのは嫌だよ、俺。チルを使った魔法の開発者だしさ。
声にならない「彼の本音」が見えてしまった錯覚がして、僕の方こそ目を伏せてしまう。
魔法の型どころか、気質まで似ているというのも、ほんとに厄介だよなぁ。魔力を使わない、推測だけでも、手に取るように分かってしまう。
思いながら、僕は両目をさまよわせる。
上着の上から二の腕に触れたままの、小さな肩がこわばっているのが、否が応でも伝わってきた。
更に分析と予想を続けようとする、自分自身の頭に“いいから。切り上げ”。告げつつも、口を開く。
「でもさ。リベと昴が」「? リベ様と俺が?」
「⋯⋯⋯⋯死なずに済んだのは、昴のおかげでしょ?」
数秒の躊躇を挟んで、僕にそう返された彼は、さっきまでの真っ直ぐな視線が嘘なんじゃ? そう思えるくらい神妙な顔をして、艶消し塗装のデバイスを手に黙り込んでしまった。
僕は僕で、ありがとうの言葉を淀みなく続けてみるのも、気恥ずかしいわけでもないけれど、ただ、ちょっとだけ違うような気がして、彼の沈黙に黙って付き合うことを選んだ
以前のリベにしていたみたいに、つむじの辺りへ僕の右手を伸ばす気には、ならないまま。
⋯⋯昴と僕と、二人して黙りこくった、そんなやりとりから、まだたったの二十四時間も、経ってすら、いないのに。
マーゴットの膝、白いエプロン生地の上に抱き上げられた、赤毛の仔狐姿の彼女は、
「リベ!?」
焦燥感に駆られた、僕からの呼びかけに応じる力もないのだろう。ぐったりと横たわったままの身体を晒していた。
師匠の肩口から目一杯、白鼠としての身を乗り出しきって、ハラハラと眇められている、僕の両目。
それと同じように、リベへと注がれていたマーゴットの紫紺色の眼差し。
いつもと同じように険のある目つきが、不意に持ち上がった。
騒ぐより先に、早く「読め」。
そう言わんばかりに、僕の方をキッと見返してくる。
「読み」に異常をきたしている今の僕と違って、彼女の意図は、師匠にはきちんと「見えた」のだろう。
マーゴットの思考の切れ端だけが、師匠の指の腹に押さえ込まれた、僕の鼻先から皮膚を越えて、出水師匠の心の声とともに脳裏へと、滑り込んできた。
頭の内側を直に掻き混ぜられたような、ひどいなんてものじゃない心地悪さ。
たちまち視界が歪む。
師匠の指先に添えた、前足をぐっと握りしめ、必死に息を逃す。
虹。そう呼ぶには、鈍すぎる色彩を帯びて全身から立ち上っていた僕の魔力が、呼吸と時を同じくして、解け、消える。
僕は再び、長く息を吐き出した。僕と、師匠と、マーゴット・アデリー。僕の頭の中で、行き交っていた三人分の意図の残滓から伸びる糸。
その末端を、手繰り寄せようと再び走り出した「読み」に、“待て”。それだけを言って聞かすように、勝手したがる魔力の首元を力ずくで引き戻す。
「――――ッぁう⋯⋯ッ――!」
押し殺せない分だけ洩れてしまった苦悶の声が息に混じった。
聞きとがめてきた師匠を振り返って、平気、大丈夫、本当に、大丈夫ですから、と濡れた目尻に力を込めて何度も訴え返す。
前を向く。
絶対、納得してなさそうな出水師匠の反応。それを断続的に背筋の辺りで「感じる」けれど、同調したが最期、引き戻されかなねいから、“何も見なかったことにする”。
そう決めつけて、僕は、改めて床に広がるリベの《鋏》に目を凝らした。
魔法とは別ルート側から届いた視覚情報を、そのまま「読む」つもりで、脳に鞭をくれる。
僕の魔法と同じ色を纏った《鋏》の切っ先。そこだけに意識を集中させる。師匠が渋々伸ばした腕を駆け下ると、毛足の長いラグに飛び降りた。
衝撃を殺すために、尾を引き寄せ、接地。すぐさま体を展開。後ろ足で織地を蹴る。
一番手近な《鋏》の刃は――、あった! 「やっぱり⋯⋯!」、小さな呟きをこぼす。さっき上から俯瞰していたのと同じ色。リベとポーリャちゃんの魔法が混じり合った、赤とも、虹色とも違う、名付けがたい色合い。
「笙真、触れないように! 多分、危険だから」「わかってるよ!」
相変わらず上から目線すぎるマーゴットに、即座に返す。むっとされた気配がしたけど、無視して十五グラムしかない身を翻す。
ラグの合間に散らばる《鋏》を避けて、小刻みな急減加速を繰り返すこと体感二十秒。
ラストになるはずの(疑う余地すらなかった。だって、師匠の肩先にいた間に、憶えたのと寸分も違わない経路を抜けて来たんだから)切り返しステップを踏んだ僕は、ベッドサイドに辿り着く。
差し伸べられていた彼女の腕に、躊躇うことなく前足の爪を掛け、リベたちの元へ一気に駆け上った。
「マーゴット! リベの様子は!?」
全く、呆れたものよね。
一言目が、それなんて。
息せき切るどころか、全身を弾ませて、私の膝先へと遠慮ゼロで飛び乗ってきた泥だらけの白鼠と、予想を裏切らない彼の言葉に、ため息すら返さず、私は戸口の向こうの出水先生から投げ寄越されたばかりの、見慣れない形のポーリャ殿のスマートフォンに手を伸ばした。
⋯⋯⋯⋯。
こんなスマホで、一体どうしろと言うのだ。
意味がわからない。
彼の毛並みを彷彿とさせる、艶のほとんど無い銀鼠色のデバイスを手に、私が大いに戸惑っていると、
「貸して!」
膝の上のレベッカ様に取りついた大馬鹿鼠にがなり立てられた。早く早く!
と、キイキイした声。
お嬢様のお身体に障るのを懸念した私が奴を睨みつける。潤みに潤んだ赤い両目に、すぐさま睨み返される。
エプロンの上に、文字通りの“お体一つ”で御身を投げ出したままのレベッカ様が、それはそれは苦しそうにゼイと喘がれた。かすかな身動ぎ。
険しそうな様子で閉じられたままの瞼に、濁った混色の魔力が一瞬だけ浮かび上がったのを、父から譲られた視野の一番隅の辺りで、捉えてしまった。
笙真の声に反応して、目を覚ましかけているのは、ポーリャ殿なのかもしれない。
ほとんど反射的に思い至った自分にはっとなる。
いいえ、目覚めるのが、お二方のどちらでも――。
自らに言い聞かせるように、スマホを持たされた右手を、傍らのブランケットへと伸ばしながらさらに続こうとしていた、私の思考。
それを断ち切るかのように、橙よりも鮮やかなお嬢様の赤毛に額を寄せていたはずの白鼠が、
「もう! 何をもたもたしてるんだよ。間抜けなペギー!」
ポーリャ殿のものである別世界由来の小型端末へと、ほとんど噛みついてくるような勢いをつけて、ぐわり。
水掻きのある汚れた前足で、しがみついてきた。




