tp38 ミエルテの魔法使い⑦ ――L'rusty Arc-en-ciel or Much more about Nothing――
「そう急くなよ。⋯⋯出水殿のご尽力を無にする師匠不孝者になりたいならば、まあ、別だが?」
仰ぎ見るような姿勢で二本足で立ち上がった僕に向かって、マーゴットそっくりな持って回る口振りで、デイビッドさん。
答えを保留してきた彼にどう返したらいいのか。そんなふうに僕は答えに窮して、「キッ」
かすかに声が漏れてしまう。
「デイビッドさま。お心配りは――」
シーツの上で座りの悪かった器に、僕が前足を預けていたのも、いけなかったんだろう。
鳴いた拍子に、完全にバランスを崩して、赤く匂い立つお茶へと、頭から転げ落ちそうになる。
師匠は師匠で、僕と小皿を引き止めようとして、焦ったらしい。声のトーンが急に変わった。
戸惑いを隠せていない「いりませんっ!」が両手足と尻尾を強張らせた僕の耳たぶにすとん。着地。
その途端、辛うじて抑え込めていた「読み」が、ほっぺたの内から外に向けて、また走った。
師匠の声の奥底に潜る疲れに絡みついて、僕の心へいとも簡単に引っぱり込んでくる。
(三日三晩もあばら骨も、もう絶対御免だぞ⋯⋯!)
反射的に思い、魔力の流れに意識を集中投下。暗室を鈍く明滅させる、僕の魔力。その先頭に精一杯の後追いでどうにか喰らいつく。
勝手気ままな振る舞いを続ける「読み」を止めるために、錆びた虹色と漆黒を行き来する虚空とにらめっこすること、一秒、三秒、五秒――。
幾重にも格好の悪いことになってしまった外見のまま(何しろ、師匠の指先に首根っこをぶら下げられている『泥んこ鼠』なのだ。すっごく最悪!)、甘い香りのハーブティーを少しだけしかかぶらないで済んだ鼻先へ――七秒、九秒――ぎゅっと力を寄せ続ける。
「その点だけはデイビッドさまと同感だわね。笙真もスヴェトラーナさんも、追い込まれた途端、とんでもなくやらかしちゃうの、ホント真そっくりなんだから」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「“途端”が被ったくらいで『読ま』れたなんてのはね、被害妄想よ? この不肖者」
ねえ、師匠。それって師匠が僕を「読ん」でるって公言してるのと変わらなく、なくありませんか――?
「ごちゃごちゃ喧しい! 何よその変な三重否定! 言っておきますけどねえ! 『苦ーい口振り』になるのも当然に決まってんでしょ、お黙んなさいな!! 『ポーリャちゃんより全然マシ』どころか、あんた、自分がどんだけ酷いことになっていたか⋯⋯」
先程よりはかなり早い、四十秒以内に魔法の手綱を握り直すことに成功した僕に向かって、蓮っ葉な素の口調で、師匠。
魔力が消えたあとも、しつこく居残る感覚過敏で、むず痒くてたまらない僕のほっぺた。
左右の前足でそいつを押さえながら、にわかに沈黙し始めた僕のおでこを、お茶で濡れた師匠の人差し指が弾くようにすっとひと撫でした。
「申し訳ありません。随分とみっともないところを」
仕切り直しだとでも言いたげに、汚れたネズミ姿の弟子の少年を掌に仕舞い込んだ出水殿が、伏せた視線を私へと向けてきた。
弟子に対する物言いとは、随分温度が異なるものですな。
そう返したくなるが、否々、それでは如何にもマアベラスとは言い難くはないか?
私は自問自答する。すると、更に彼女の言葉が続いてきた。些か毅然とした口調に変わっている。
「もう一度申し上げます。今はどうかお引き取りを」
「どうしてですかな? 出水殿」
仕方なしに、ほぼ何の変哲のない“疑問符付きの一文”を即座に呈すことになる。すると、こちらの内心を見透かすためだろう。
出水殿の双眸が、アルカンシエルの如き六色の光を帯びた。
「デイビッドさまに、悪気がないのは承知しております」
「ほう⋯⋯。ならば、何故?」
「あなた様の言説は、今の弟子には少し毒気が過ぎているんです。察しては、いただけないでしょうか?」
「⋯⋯⋯⋯。ふむ、承りましょう。利かぬ夜目に、多少無理をさせすぎたきらいもありますしね。ああ、そうそう。弟子殿にこれだけは伝えておかないと」
バックライトの中に浮かび上がった時計の文字盤へとほんのひと刹那、私は視線を落とし、そして告げる。
「安心するといい。レディ・レベッカのことであれば、心配には及ばないからね。彼女とスバル・ミヤシロ殿の《鋏》に負わされたマーゴットの首の傷も、弟子殿の頬よりかは幾らかではあるが、まあ、浅く済んでいることだし」
後ろ手に探り当てたレバーハンドルを押し下げ、部屋の外へ私は退出した。
追い縋るように瞬いた師弟の虹色の魔法に、あの令嬢が庭中に響かせた大音声の嗚咽と、私が覚えた印象を差し出す積もりで、ドアを閉める。
たった五歩ほどで、不自然な暗がりに保たれていた客間から、暁に白みつつある屋敷の廊下へと居場所を移す。
長らく壁に寄りかかり気味で居過ぎたせいだろう。
雛鳥の尾羽のように癖付いて跳ねた後れ毛を無造作に撫でつけようとする私に、
「ソレ、鬢にも使える飾り羽用の油を付けないとダメだと思いますよ?」
声がかかった。
「今なら一瓶、六千五百万円! 二十年前のお値段ってワケには流石にいきませんケド、三つの税込価格に致しますから、いかかです? 会長」
「――ラウラか? 連れは?」
「うっわ、冷静じゃん! 万のケタ無視するだなんて、一昨日の笙真と今の会長、ちょっと似てません? あ、もしかして会長も恋患い? 嘘々、そんな怒らないでくださいよ! このラウラ、タービュレン姉妹の長姉として、真面目にやりますからさあ! ⋯⋯えっと、ですね。プーカなら、敷地の境界を抜けた森の辺りでクルミ齧りながら待機中です。あんな爆音空車とか超目立って仕方がないですからね! 運転士も勿の論でトーゼン一緒♪ 白鼠の坊は一昨日からずーっと調子悪そうだけど、真珠様と主様はどうです? 妙にっていうか、さっきから随分静かなんだよね。大丈夫だといいんですけど」
静粛にする。
斯様な観念がこの世に存在していることさえ疑いたくなる程の、《鸚鵡》であり《烏》とも名乗ることが可能な少女が、私の肩に降り立ちながら囀った長い長い捲し立て。
「⋯⋯⋯⋯手ブラで来たから、ヒトに戻って開けるってわけにも行かないんスよね。孵化で生まれたプーカと違って、やっぱり一応は恥じらいってモノもあるんで、自分」
羽毛を散らすように、突如速度を落として付け加えられた彼女の言葉尻に、ただならぬ異様な気配を予見させられた気がして、私はマーゴットが「建て付けが悪くて」。そう零していた扉を見遣る。
着陸のため、今しがた逆回転させたばかりの翼の先を、今度は手旗代わりにしたラウラが、奥の扉を指し示そうとする、器用でいて、どこか人間臭い仕草。
そんな彼女の羽根振る舞いが、視界の端を通り過ぎるのを私は見送った。
たった今出てきたばかりの一枚板の扉へと再び首を巡らせる。
私の風で、封鎖を掛けられていたドアの向こうにいる出水殿たちにも、通りが良さすぎるラウラの長鳴きはきちんと届いていたのだろう。
ずっと響き続けていた、激しい殴打音と「開けて」「開けなさい」「開けろ」の繰り返しが止んで、私の正面のドアと真鍮色のレバーノブが、白い朝陽を跳ね返しながら、にわかに沈黙を始める。
七、八メートルの距離を隔てて、一様に静かに立ち並んでいる、バーガンディローズ材らしき重厚そうな存在感の客室扉三枚と、その一番右側の其れへと向けられたままのラウラの色とりどりな風切羽の先端を、等しく意識の中ほどに置き直しつつ、
はてさて、一体如何したものか――。
ほとんど無意識のうちに私は思い、
ツイ。
目線を上振らせる。
わずかに一拍の間、手袋に包まれていた掌で、自らのおとがいから鼻の先までを、覆い隠した。




