tp37 ミエルテの魔法使い⑥ ――The Glorious Damn Dawn WithOut Crim⋯⋯. ――
「三日三晩の眠り」――。
僕ら、魔法使いが最も避けないといけない、魔力循環の停止を伴った深い眠り。
魔力切れがもたらす意識障害のうちでも、一番厄介なその症状に、僕が陥いりやしないか。
そんな風に師匠が気を揉んでいるのも、無理はない。
そう思った瞬間、背筋がぴん。強く引き伸ばされた気がした。
そりゃそうか。⋯⋯⋯⋯そっか、そりゃそうだよね。
だって、僕が自覚しているだけで、リベが目を覚ましてから、少なくとも僕自身が、三回は気を失っているんだから。
実際に眠りへと落ちてしまった一月前のポーリャちゃんよりかは、ひどかないはずだけどね。
それにしたって、普通とはちょっと言えないくらい、“なかなかの高頻度”、だし。
本当に脈絡がなさすぎて、おかしくさえ感じるあの日の慌ただしさ。
それから、ラウラたちの前で醜態を晒してからの丸一日間も。
その両方を心の中に浮かべるとともに、僕は考える。
⋯⋯⋯⋯迫りくるリベの《鋏》を、僕が解こうとした時は、まだ午前中だったから――――。
膚の裏表を巻き込んでずっと這いずり回っている、僕の「読み」の魔法。
殆ど虹色の濁流みたいになっている魔力の合間を縫うように、今にも押し流されそうな思考を、僕は束ね、纏め、縒り合わせた。更に思う。
十時半。⋯⋯⋯⋯たぶん、今日の、午前十時半。
師匠が告げてくれた、その刻限。
それはきっと、あのときからの二十四時間なんだろう、な。⋯⋯だろうから、だとすると――――⋯⋯⋯⋯⋯⋯
「なあ、出水殿? 少し宜しい? 私には、仔ネズミがのたうち回っているようにしか見えないのだけれど?」
「まあ、お言葉。私たちへの当てつけですの? 《鳥》の当主さま?」
引き千切れそうになっていた意識が、滑り込んできた大人たちの会話で、どうにか形を取り戻した。
危なかった。
完全に前後不覚になりかけていた、たった今の僕の有り様を、冷や汗まじりで省みるのもそこそこに、僕は鼻先と額を丸ごと押しつけていた師匠の袖口から顔を上げた。
デイビッドさんの青い目をじっと見やる。
興味深げな眼差しで、今度こそ白鼠姿になった僕の、赤い色をしたはずの両目を見下ろしてきた彼の瞳の奥を、僕の魔法が不遠慮に覗き返した。
ヒトの姿でいる時よりも、格段に通りの悪くなった僕の魔力が、ずいぶんなタイムラグのあとにやっと「見せ」てくれたのはデイビッドさんの記憶。それも、彼の心の表面近くにある景色の一つらしかった。
映っているのは、鮮やかな髪の女の子がふたり。
⋯⋯寝間着姿のリベと、いつものお仕着せに身を包んだマーゴットだった。
ふたりがいるのは、明かりをぎりぎりまで落としたこの部屋ではない、別の室内。
日射しが深く入り込んだ出窓。その手前のベッドサイドで、ぐったりした様子のリベを背負ったまま、こちらを振り向いたマーゴットの手には⋯⋯⋯リベの《鋏》!?
なにこれ、これはいつの出来事? どうしてマーゴットが彼女の《鋏》を――?
疑問だらけの甲高い鳴き声が「キイ」。ひとりでに僕の喉を掻き鳴らす。一度分の「読み」の終わりなのか、映像が乱れ、途切れた。
「ショウ――?」
「――平気です、師匠。この方が今はかえって楽みたいで」
聞き咎めてきたのは、再び走り出した「読み」のせいだろう。気遣いごと心の内側まで届いてしまっている師匠の声だった。その実際の音の部分だけを遮って、僕は答える。
小さく押し殺したおかげで、思った以上にしっかりした声音になった僕の返事は、師匠の心配を押し返すのに成功できてるっぽい⋯⋯!
『なあ、あんた、俺の先生のはずなのに、どうして俺を信じてくれないんだよ――!!!?』
そんな風に覚えた安心も束の間。
声が過ぎった。不意打ちみたいに。
リベとも、子供とも思えない必死な顔つきで言い張って、僕に心を「読ませ」ようとしたあの日のポーリャちゃんの、唐突過ぎる涙声が。
統と同じ読みの名前のそんな相手に比べたら、僕はまだ超まとも。至極冷静沈着。
譲歩や議論の余地すらないくらい、絶対の絶対に間違いなく。
「明かし」が標的になったという、爆弾テロの顛末。
大それたどころじゃない世迷いごとを、よりによって宮代スバルの名前で、大真面目に僕へとまくし立ててきた昴。
そんな彼を反面教師に、本心をけして「晒し」たりしないよう、師匠の視線から僕は顔を背けた。
師匠が「お小言」を寄越してこないあたり、僕はポーリャちゃんと違って、きっと上手に取り繕えているんだろう。
たぶん、だけど。
ハツカネズミの姿をとった僕の、軽い全身を支えてくれている師匠の掌。
その親指の付け根あたりにある、肉厚そうな膨らみから、気揉みするように尚もぶつぶつ伝わってくる師匠の心情を僕は、じかに鼻で「嗅ぎ」とる。
手当たり次第に何もかもを知りたがろうと、こちらの体調なんておかまいなしで、さかんに鎌首をもたげ続けてる「読み」としての魔力の奔りを、魔法の類に対して酷く鈍感な《二つ身》の特性頼みで、僕はぐっと抑え込んだ。
途絶えた場面の先が気になって、はやる気持ちを魔法ではなく、言葉に載せて問いかける。
「⋯⋯デイビッドさん」
「何かね?」
「聞かせてください。今の『窓辺』は、どれくらい前にご覧になったこと、ですか?」
「午後さ。昨日のだがね」
間髪すら置かない、即答だった。
本当にあっさりしたその返事に、――昨日?
苦労してどうにか掴んでいたくびきが、ガタン。
嫌な手応えだけを残して、外れる。
呼応するかのように、頭の芯の奥底の方で、か、か、か。やけに軽い響きを上げて、触れてはいけないスイッチが勝手に、切り替わった。
「かれこれ、十五時間ほど前の――む、いかんぞ、出水殿。弟子殿に息を吐かせてやるべきだ。このままだと」
マズい。
予告するようなデイビッドさんの言葉から遅れること一拍。脳がそう認識した瞬間には、早くも視界が鎖ざされている。
覆いかぶさってきたのは、師匠のもう片方の掌で、僕の身体全てが、両手の間に閉じ込められている形になっていた。
デイビッドさんの淡青色の目を追えなくなってあぶれた魔法が、チリチリ、バチリ。
すっかり乾いた砂粒まみれの僕の体毛と、師匠の掌の間を、極彩色が我が物顔で踏み荒らす。
(何が『取りも直さずノン・マアベラス』よ。いちいち囀ってくるな。ほんと癇に障る⋯⋯⋯⋯!!)
苛立ちを露わにした師匠の吼え声が、僕を揉みくちゃにしながら目の前で輻輳するすなあらしとは違う場所から、響いた気がした。
錘で打たれたみたいに、僕のあばら骨が師匠の指先でぐっとへしゃげて、
「吐け!」
そんな怒声に急き立てられるまま、息と悲鳴を逃す。
痛みとして与えられた瀬にしがみつきながら、ちっとも利かない目を見開かされるはめに遭わされた僕は、魔力の霧散だけを、きつくきつく、心へと言い聞かせた。
「⋯⋯⋯⋯さすがに、肋骨グシャッは、ひどいと思うんですけど」
僕の言いつけをしぶしぶ呑んだ心が、ようやくおとなしくなってから、数分。
あれじゃあまるで、基礎の基礎をやらされていた年長さんの頃と変わらない。
ううん。もっと最低なくらいたちが悪い気がする。(もちろん、師匠の方が、だ。間違っても僕ではなく)
そんな思いで僕がこぼした一言に、淹れたての甘い匂いのするお茶を手に廊下から戻ってきたばかりの師匠が漏らしたのは、それはそれは深い溜め息だった。
どう考えたって、言いたいことが一個や二個で収まったりなんて、確実にあり得ないんじゃないかな、出水師匠。
これ見よがしな師の態度に、僕はたった今差し出されたメラミン小皿に泥まだら色に染まった前足を掛けた。器の内で揺れる液体へと視線をそっと向ける。
汚れに汚れきった牛柄ネズミが、鈍った灰黒しか見えない紅い瞳を、僕に投げ返してきた。
そうじゃないだろと、統を思わせる口振りで。
鼠としての目に備わった感覚上は、墨汁を垂らしたみたいに暗く映っているけれど、ハイビスカスやらローズヒップあたりを混ぜあわせた香りが示してくれている通り、実際には赤く透んだ色をしているに違いない、僕の両目と同じ色合いの水面。
僕がアルビノの白鼠じゃなくって、ここが閉め切られた暗い部屋の中でさえなければ、このお茶だって、きっとリベの魔法みたいな綺麗な茜色に彩られていたんだろうな。
そんなふうな、やけに悔しい感情とともに、僕が何よりもまず知らなければならない問いの続きが、僕の舌の上を離れた。ひげが縁取る口吻を経て、静かに声に変わる。
「僕が眠っていた、十五時間前の――、いいえ。あの窓辺のことだけじゃなくって、僕が眠っている間の出来事を師匠やデイビッドさんはご存じなんですよね?」




