tp36 ミエルテの魔法使い⑤ ——The Name of Truth, Till Unshown――
朗々と張りのある、デイビッドさんの台詞。それを刺激として拾ってしまった僕の前腕が、皮膚を一斉にビリビリと粟立たせる。
思わず、涙目になって、呻いてしまった。
僕自身がそうしたいわけでなく、ひとりでに。
すると、僕の両目越しに師匠が「読んで」きたらしい。
デイビッドさんをたしなめる師匠の声が、響く。
「デイビッド・アデリーさま。笙真の前では声をお控えください。魔法の加減が優れないのですから」
「それは失敬。だが驚くべきことには、違――」
「驚くなとは言いませんけれど、どうか節度を。そう申し上げているのです」
そんなやりとりとほぼ同じタイミングで、僕の心に直に言葉が走る。
ショウ――。今の大声、結構キツかったんじゃない? アンタは無理して起きなくていい。
リベちゃんとアデリーさんは、午前中のうちには絶対に来ない。⋯⋯来させたりなんて、私が、しないから、とにかく休んでなさい。
けど。師匠。
ぼやけた視界の向こうにあるはずの師匠の顔。
目と思しき二つ並んだ黒いパーツを見つめながら、
まずいなあ。焦点、全然合わないや。
そう思いながらも、どうにかピントを合わせようと僕は藻掻く。視線や思考が師匠の瞳に届くように。
見えなさすぎる怖さと、師匠に何かを伝えたい気持ちが渦を巻いた。でも。でも――。そんな風に空回りして、うまく形にならないもどかしさや疑問ごと。
どうして「見え」ない? さっきはデイビッドさんのアイス・ブルーの瞳を、ちゃんと覗くことはできたのに。
「――――出水殿」
マーゴットと同じ家名なだけあって、デイビッドさんは、僕の魔力の動きをずっと観察していたのだろう。
師匠の黒目が視界から完全に消えるのと入れ違うようにして、先ほどよりは幾分か押し殺したような彼の言葉が、僕の鼓膜へと滑り込んて⋯⋯違うや。
鼓膜にも、転げ落ちてきた。
「当主代行殿が『憑いた』際は、あとを引くような異状は見られなかったみたいだぞ? マーゴットからは、そんなおしゃべりは聞かされていないからね」
「門外漢だなんて。心にもないことを『読ませて』くださるとは、痛み入りますわ。⋯⋯妹さんとは、仲がよろしゅう御座いますのね」
「今回の一件で、ずいぶんと嫌われてしまったようだけれどね。それよりも、出水殿に、門外漢でないと認めていただけたようで何より」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
微笑むな、そんなところで。
僕の膚が再び「読んで」しまった師匠のぼやきとともに、シーツがくしゃり。小さく音を立てる。
ひええ⋯⋯。師匠、相当苛々してる。
僕がそう思いかけた、次の瞬間。いきなり視界が開けた。ううん、今さらになって、僕の意識が内からこじ開けた。
僕の寝かされているこの部屋の景色は、リベと統が姿を消したあの日を夢で見る前と同じで、照明が落とされていたのだろう。
視野の中に調度品と言えそうな調度品が見当たらないのとあいまって、ひどく暗く、沈み込んで見える。
うわあ、ショックかも。
「読もう」としたのが、ここまで遅れて「見え」ちゃうだなんて。
僕の「魔法」、元の調子にきちんと戻るのかなあ⋯⋯。
不安のあまり、胸の内側で泣き言を洩らしてしまう。
すると、僕の瞳に点いた魔法に、師匠が気づいたらしかった。
目の前に戻ってきた師匠の顔面に、虹色の光が二つ灯って、今の僕の本音が全部「読まれ」ちゃってる――!
すごく不本意だったけど、そう悟るしかない。
弱気を見せた僕に向かって、師匠が話しかけてきた。
「読み」を介したのじゃない、本物の声で。
「それだけ長々と考えられるなら、悲観なんて要らないと思うわよ。まったく。本当に忙しなくて、世話の焼ける子なんだから――――」
角の取れた師匠の言葉。丸いくせに不思議と耳に刺さってきたその声が、不意に遠くなる。
肩をすくめた師匠が、立ち上がったのだ。
「デイビッドさま。暗室の目張りを剥がすのは、なさらなくて構いません」
デイビッドさんと僕の間を遮るような形になった師匠に、部屋を覆っているカーテンに目線を投げかけていたデイビッドさんが振り返った。
「不肖の弟子とはいえ、初対面のお客様にまでありのままを晒させるなんて、さすがにこの子が不憫すぎですもの。身支度を整えさせますから、今ばかりは何卒、お引き取りを」
三重にも、四重にも婉曲な表現だった。
師匠ってば、どうしてそんな勿体付けるみたいな、言い回しを⋯⋯?
不思議に思いながらも、僕はなんとはなしに、この身を覆っている、くたびれたリネンの掛布に手を伸ばす。
剥き出しの皮膚に触れた手触りは、柔らかいとはいえ、そこはやはり麻だった。膚のおもてを「読み」が勝手気ままに走る間だけは、どうにもこそばゆくてしかたなくって――――。
って、⋯⋯⋯⋯剥き出し⋯⋯!? えっと、ちょっとまって。まさか――――?
ある可能性にようやく気づいた僕は、大慌てで掛布を頭の上まで引き上げながら、今の自身の物理的な状態を目視と走り回っている「読み」の両方で、確かめる。
⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
よかった。着てないのは、上だけ。
一番に肝心な場所はさすがに手つかず――!
判明した事実に、僕は大いに安堵して、思い切り息を吐く。
いきなり突きつけられた衝撃に、真っ白くヒートアップしてしまっていた僕の頭と顔とこめかみのあたり全体が、自分でも信じられないくらいバクバク鳴ってる。
「し、師匠もっ! デイビッドさんも! 早く何処かに行ってください⋯⋯! お願いですからぁッ!」
心の中で、思いっきり悪態を吐きながら、精一杯の懇願の叫び声を僕はあげた。
掛布を掴む指先と、頼りない厚みしかない生成り色の一枚布で覆い隠した全身を、頭の先から足のつま先まで、ひたすらにぎゅっと強張らせる。
語尾がひっくり返ってしまった僕の悲鳴から数拍ほどおいて、第一声を響かせて来たのはデイビッドさんだった。
「なあ、出水殿。貴殿の愛弟子は、お師匠様にも出て行って欲しいようだけれど?」
可笑しそうな気配を端々に含む、少しだけ震えた声音。
うう、最悪⋯⋯!
だって、笑われてるんだぞ?
よりによって、あのマーゴット・アデリーの兄らしい、初対面の相手に。
師匠と、デイビッドさんのやりとりを沈黙の幾秒間のあいだに思い返して、二人の関係に気づいてしまったからこそ、尚更に最悪だった。
恥ずかしすぎて、いっそ白鼠に化けたい。そんな思いが心に浮かんだ。
掛布に埋もれて、窒息しかねないかも?
その心配さえなければ、すぐさま変身を実施していたに違いないくらい、超特級の赤面地獄。
掛布に包まっていることで、籠もった熱が、ひっきりなしに駆け巡る「読み」と一緒くたになって、僕を内側からも外側からも炙ってくる。
も、もう、むり⋯⋯⋯⋯!
僕は、茹でダコかカニよろしく、真っ赤っ赤になっているに違いない首から上を、外へと突き出すので、ほとんど手一杯。
白鼠になったのか、そうでないのかさえ定かでないまま、目を回してしまいそうになる。
「⋯⋯⋯⋯デイビッドさま。いくらなんでも言葉がすぎますわ」
デイビッドさんを諌めている、どこまでも平板な師匠の声が、遠くの方で聞こえた気がした。
それと同時に、
起きてなきゃ、駄目よ、笙真!
アンタが三日三晩の眠りに落ちたら、私たち、甲南湖の「明かし」がリベちゃんを庇い立てする理由がいよいよ不在になるんだからね!
十時半まででいい。魔力切れを起こさないように歯ァ食いしばって気合、入れてなさい⋯⋯!
皮膚越しに届いた師匠の大音声が、僕の脳裡でこれ以上ないボリュームを伴いながら跳ね回る。
勝手気ままな振る舞いを続ける「読み」を置いて、師匠の手のひらに預けられそうになっていた僕の意識が、辛うじて踏みとどまれたのは、出水師匠のこの一喝があってこそ。
どんなに言葉を尽くそうとも、それだけは誰にも決して否定できない、純然たる真実だった。




