tp34 ミエルテの魔法使い③ ――Rouse,Numbness AND the NULL――
「《鳥》の連中が嘴を差し挟んで来てるから、リベと統の件からは、手を引け。そうおっしゃってるんですか」
苦言を呈する出水知恵に、生意気な態度で口答えを繰り返していた弟子の声音が一段と色めき立ったのは、彼女が翌日から数日間は森に入らないように、そう言い募りかけた次の瞬間だった。
「⋯⋯そういうことを言ってるわけじゃないでしょう? 落ち着きなさいな」
「落ち着いてますけど? ボクはいつだって冷静ですから」
「どこがよ。『読む』までもなく、わかるわよ。冷静な人間はそんな目をしないって相場で——」「そんな目? それ、こっちの台詞ですから。ボクが『見た』師匠の気持ち、そのまんまな顔してる自覚あります? 師匠、すごい顔してますよ?」
冷静? 冷静ですって? ソレ、どの口が言ってるのよ。
半ば呆れ返った出水が敢えて心を「覗かせて」てやると、更に弟子の視線が鋭さを増した。
互いに目線を据え合わせつつ、告げてくる。
「先に目を逸らせたら敗け? 師匠は『ボクがそう思ってる』って、思ってますよね」
熱の籠る口調で弟子に断じられて、出水の感情がぞわり。逆撫でになる。
「ボクのほうが才能だけなら上なんですから」、険しい顔を示した師に、毅然とした口振りで「もう放っておいてくださいよ」続けると、彼は語気を強め、あまりにも真っ直ぐな自らの主張だけを言い連ねた。
「とにかく! ボクは明日も森へ入りますから! 止めたって無駄ですよ。ポーリャちゃんの話が確かなら、統の身体は絶対に森に残ってるはずなんだ。早く見つけてやらないと⋯⋯!」
踵を返した彼が、部屋を退出してゆく。意外にも律儀に閉められたドアが、弟子の姿を見えなくさせる。ほぼ同時に出水は深く腰を下ろしたまま、椅子の背に身を預けた。仰け反り気味に天井を睨み上げる。
遠慮がちなノックが、扉の向こうから聞こえてくるまで、数分間ずっと、クロスの模様を執拗になぞっていた。あるはずのない意味を見い出すために。
何かを拾い上げようとしていた頭を引き戻し、「どうぞ」。気だるげに答える。扉が開いた。覗き込んできたのは、出水家に滞在している主従の片割れ。菫色の瞳が特徴的な侍女のマーゴットのほうだった。
「アデリーさん。ちょうど良かった。⋯⋯リベちゃんは?」
「もうお休みに。ポーリャ殿なら起きてますから、まだすぐそこに居らしてますけれど⋯⋯。笙真も一緒ですから、呼び戻しましょうか? すごい剣幕、だったようですし⋯⋯」
「⋯⋯ただの蒸し返しになりかねないから、今はやめにしましょ? 実は、少し良い薬酒があるの。よかったら付き合わってくれないかな? シャルトリューズなんだけど、」
アデリーさんと同じお国のお酒なんだけど、ご存知?
彼女の視界に映っているであろう魔力越しに、そう問いかけると、切れ長の目を持つ《鳥》の少女は、少し困ったように表情を崩してみせた。
先月、唐突に二十歳を飛び越えた彼女は、アルコールの類には敏い質ではなさそう。
思いつつも、甘い香りを立ち上らせている、琥珀色をグラスに注ぐ。
底にあった、かち割りの大ぶりな氷が、キン。小さな鳴き声をあげる。
恐る恐る器に唇を寄せたマーゴットは、しばし薫香を確かめ、ほとんど舐めるように「一口目」を含んでみせた。
私の方は、グラス半分を一息に煽ったっけ。
出水がそこまで記憶を辿り直した、その刹那。目の前で横たわっていた少年の睫毛がゆるゆるとたじろいだ。
先程同様の発作につながりやしないか、固唾を飲んで数秒。
何も起こらない。彼女は少しだけ安堵の息を吐き出すと、 薄く開かれた弟子の双眸を、「読む」ために覗き込む。
反発は極小。意識は、「読み」の魔法に灼かれたせいだろう。蒙昧で、ひどく頼りなかった。 けれども、薄弱ではない。しっかりとした兆しが見て取れる。
再び安堵の吐息を漏らす。
「——てたのに」
目尻から涙。うわ言の断片だろう。
どんな夢を見ているのやら。
気掛かりではあったけれど、既に少年の薄目は瞼の中に閉ざされてしまったあとだった。
弟子のように手で触れて「読む」ことが出来ない、一介の宮代家の魔法使いである彼女は、「読みかた」を変えることは諦め、ベッドサイドから立ち上がった。
部屋の隅に持ち込んでいた盥。指先に触れた水のぬるさに顔をしかめる。
少しでも刺激を減らすため、蒸し暑いほどの部屋に合わせていた水温に、ないよりマシと思うしかないんだからね⋯⋯。
言い訳がましく心の中で呟くと、浸した白布で汗ばんだ額や頬、首筋を拭ってやる。
目を閉じて横臥したまま、少年が微かに声を上げる。 「リベ」。確かにそう聞こえた気がした。 静まり返った暗室の中で出水は眉間に険を寄せる。
リベちゃんの夢なわけね。⋯⋯バカな子。あの二人のことは、お前に非がないのに。
心中で苦々しく窘めてやると、目覚めかけなのにもかかわらず、皮膚越しに「読ん」でしまっているらしい。少年の体躯が虹色の燐光を帯びる。
彩度の低い輝きの先で、いかにも不服そうに、形の良い眉が顰められた。今度は声は上がらない。先刻のような苦悶の叫びどころか、何一つ。けれど、彼の腕には、絵筆でなぞったのにも似た、夥しいほどの鳥肌。
魔法で励起した触覚がもたらした副作用なのだろうけれど、見てるこっち側までじんわり掻いてしまいたい気になる。
笙真が起きたあと、「読み」すぎた痺れと掻痒感が抜けきるまでの数日間、どうおとなしく居させよう? あのお嬢様をつけてやれば、多少は素直にさせられるやもしれない。
折り重ねて思惑する出水知恵の目の前で、弟子の少年が再び眼を開けた。膜が張られたような、相当に鈍いブラウンが出水の黒瞳とかち合う。
唇が動いた。
「ししょう、おれ⋯⋯」
普段はほとんど「僕」で通している弟子にしては、珍しい呼称だった。
ポーリャ・“ツェツァ”・スヴェトラーナの本性である、あの男の子——異界から来た孫弟子は、本当に適切な対処を施してくれたらしい。
縁もゆかりも無い身体に押し込められても猶お、こうだとは⋯⋯。なんて大それた胆識。
どのように導いたら、あのような魔法使いが育つのやら。出会ったことさえない、弟子と同じ名だという自らと同世代の「大魔法使い」に向かって、彼女は心中で舌を巻くとともに、師として言わねばならない、彼女自身の弟子に対する「お小言」を歯牙の間からそっと押し出す。
「運が良かっただけよ。ミエルテの魔法使い同士が現場に居合わせてたから、それで済んでるだけ、なんだから。彼が居なかったらね、たぶん、あんたかリベちゃんのどっちかは確実に塗り潰されてたわよ」
弟子がこれ以上、馬鹿な気を起こさないように、先回りして伝えてやると、案の定、不規則な瞬きが返ってきた。
アーモンド型の両目を五回も瞬かせ続け、辛うじて魔法を掛けるのに成功した、不肖の弟子。その無様振りを苦々しく思いながら、彼女は、要点だけを掻い摘んだ「今後の方針」を弟子に向けてきっぱりと伝えてやる。
「師匠として正式に通達します。思うように目で『読める』ようになるまでは、単身で森へ入るのは禁止。異論も同じく。⋯⋯痺れ過ぎでリベちゃんにみっともない所を見せたくないならね、素直に横になってなさいな。今日の午後には、滞在中のお嬢様方を部屋へ通さざるを得ない。きっと、そうなるはずですからね」
今の身体で、あの子に抱きつかれでもしたら、悲鳴じゃすまないわよ。
妙に凄みのある表情と言葉で告げてくる、出水師匠に握りしめられた右手の先。 掌といわず甲といわず、彼女の思考と混ざり合った疼き。
一目散に二の腕を駆け上ってきた耐え難いその感覚に、僕は呻きを圧し殺すことができなかった。
「手からの『読み』とアデリーさんの『目』を混淆させて、触覚の中でリベちゃんの『鋏』を解こうとなんてするからよ。統と違って『憑け』もしないくせに無茶な真似をって、アデリーさんから開口一番にこぼされた方の身にもなってみなさいよね、まったく⋯⋯」
先生、それ、マーゴットの肩を持ちすぎじゃあありませんか?
思わず不満を表明しようとした僕の指先から滲み出ていた、魔法の光がすとんと抜け落ちた。抗う暇もなく、視界が黒一面に変わって、僕は再び意識を手放すほかない。




