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tp26 語らう同床異夢の主従ふたり ――There is no rule for a better way to be lost――

 最初に憶えたのは、鈍く痺れるような身体中の痛みだった。眠りと覚醒の分水嶺上で浮き沈みする思考に血を巡らせて、ドウと手懐けてやりながら、俺は、理由を探す。

 腕を伸ばすと、ひんやりした張りのある手触りを指先が捉えた。整えられたシーツ、だろうか。部屋が薄暗いせいで、確信に至るまでに、随分時間を取られてしまったけれど、俺はどうも、上等な寝床に横たわっていたらしい。

 腹にかけられていた、これもまた質のよさそうな、程よい重みの……違う。これ、毛布じゃない。


 これって、もしかしなくても、「人の腕」――?


 その腕に、仰向けに押さえつけられたまま、ごくりと生唾を呑んだ俺は、恐る恐る、視線を横に滑らせた。

 落ちる瞬間に見たのと寸分違わぬ、デイビッド(おっさん)から、子供をあやすような微笑みを送られて、けたたましい悲鳴を上げるまで、二秒もかからなかった。

 

「風情が無いな。明け方の雄鶏とて、もっと慎み深いものだぞ。レディ・レベッカの小夜啼(サヨナキ)の如き声音(こわね)も、貴殿に掛かればすっかり形無しではないか。嘆かわしい。だが、壮健そうなのは何よりマアベラス。喉は痛まないか? 眠っている間に、だいぶ咳き込んでいたぞ。舐めるがいい」

 

 流れるように言ったデイビッドに、飛び起きたばかりの背中を支えられ、鼻を(つま)まれた。

 驚いて開いた口に、放り込まれた丸薬を押し戻そうと俺は藻掻く。けれど、そこは五歳の女の子と一丁前(いっちょまえ)の大人の男だった。力の差なんて言うまでもない。

 

「こら、厄介をかけさせるな。喉に詰まらせたら面倒事だぞ? 毒の類ではないから、安心したまえ。早積みのハッブルベリーを()って煮詰めた、ばあや自慢の風邪に効くスコッチだ。滋養も充分、《鳥》以外にもきちんと効果があるから、《鼠》だからって囓らないで、ちゃんとしっかり舐め溶かすんだぞ。ふふん、どうだ? 風味絶佳であろう?」


 絶妙に聞き覚えのない果実の名前を引き合いに、妙な説教を開始したデイビッドに、俺は大いに困惑した。


 ちょっと何言ってるの、このおっさん。ハッブルベリー? ハッブルって、あれだよな。宇宙望遠鏡……うん? 意外と甘い。これ、なんだか懐かしい、、たまらなくクセになりそうな甘酸っぱさだな……。


 若桃の糖蜜漬けをなんとなく彷彿とさせる甘味を、仕方なしに、味蕾の上で転がしながら、糖分を得た俺の頭が、スムーズに回りはじめた。その途端、俺は、派手にやらかしたことに、ようやく気がついた。

  うたかたを漂っていた認識が、飛び石を渡りきった瞬間みたいに、有機的に繋がったのと同時に、俺は心の中で、あらんかぎりの大爆音で絶叫していた。

 

 ――俺は、スバル・ミヤシロ!? よもやよもや!? うっわ、ううわ、俺、落ちそうになりながら、(お前)(かた)って、このおっさんに、口上述べまくってたじゃねえか! やっちまった! なあ、あれから、どれくらい経ってるんだ、今!?


「三時間半よ。ポーリャ殿。兄様、だから言ったでしょう。ポーリャ殿は彼じゃないって」


 漏出を余儀なくされた魔力越しに、俺の心を観察したのだろう。硬くフラットな声とともに、端的な応答が突然返ってきた。

 俺はさらにびっくりして、デイビッドの手の上から、思わず口を覆った。反動で、飴を呑む羽目になる。苦しみのあまり、目と魔法を白黒(ちかちか)させて()せながら、俺は両腕をぶん回した。

 

「しかしだな、マーゴット」

「しかしも、だがも、ございません」


 子供よろしく肩口まで引き寄せられ、背中を(さす)ってもらっている俺の耳をくすぐるような、デイビッドの憮然としたテノール。それを即座に帳消しにしてきたのは、底冷えするような、ペギーの平らすぎる口振りだった。


「驚いたくらいで魔力を垂れ流しにするポーリャ殿を、兄様もご覧になられましたよね? スバルはスバルでも、『むうむう』(やかま)しい、そのポーリャ殿は、全くのスバル違いなんです。アデリー家の当主たる貴方が、このマーゴットの言葉を、まだ信じられないのですか?」

「信じるも何も、ミクス・スヴェトラーナの本名を伏せていたのは妹殿……いや、失敬。何でもない。聞かなかったことにしてくれ。――少し、風に当たってくる。マーゴット」

「何でございましょう?」

「くれぐれも、無理はしないように」「いたしませんわ」


 いわく有りげなやり取りの末、デイビッドの追い出しに成功した、レベッカお嬢様の侍女――俺たち(あるじ)の身体を、崖の上から突き落とすや否や、すぐさま魔法で保護し直した、俺より一つ年上の《鳥》の娘――は、お下げで彩られた背中を俺に晒しながら、カーテンと窓ガラスを次々に押し開けて行った。

 先ほどの彼女の言の葉どおり、昼下がりの明るい陽射しと、五月初旬(あたま)の薫風が部屋を席巻する。

 臙脂と白と黒のいつものお仕着せに、スレンダーな体躯を忍ばせている彼女は、咳払いとともに目尻を拭った俺をよそに、やはり無言のまま、最後の窓を開け放った。洗練された仕草で、くるりとこちらを振り返る。

 ほんの僅かな険を(にじ)ませて、俺を見据えてきた、菫色の瞳と、風にそよぐ、密な黄金色の睫毛をどう評すべきか、大いに揺さぶられる。

 ペギーの整った面立ちに貼り付いていたのは、能面のようにも見える、ぞっとしない無表情。いいや、怒りを押し込めた複雑な表情にしか、俺には思えなかったからだ。

 

「兄様に聞いたわ」


 うららかな初夏の陽気と、まるで混じり合わない「つらみ」を内包した声。笙真をやり込めた時とそっくりな鋭く尖った口調で、ゴングを打ち鳴らしたペギーは、その勢いのまま言葉を踏み込ませてきた。


「お嬢様を巻き込んで、たいそう大口を叩いたそうね、キミ?」

「大口じゃねえよ」


 まともに取り合って、飴玉一つ分の栄養しか貰えていない五歳児の脳に、消耗戦をさせるなんて絶対に勘弁だったから、俺は一歩退く心持ちで軽口を返す。


「ただ、必死だっただけだっつの。アイツの名前を出したのは、悪かったよ。それより、ペギー」


 針のムシロっていうのは、今みたいな心境を指すんだろうな。なんとなく思いながら、干上がり気味の思考に鞭をくれて、慎重に次の一言を手繰(たぐ)る。


「お前、押しただろ? 俺とお嬢様をさ。申し開きすべきは、ペギーの方だと、俺、思うんだけど?」


 ペギーの様子を窺おうとしている俺の気持ちに促されてか、お嬢様の心臓が早駆けする勢いでリズムを刻み始める。

 どう贔屓目に捉えようとしても、本調子にほど遠い、この体のせいだろう。いきなり血の巡りをよくされた耳目の奥底にある脳細胞の一つ一つが、もういちど(タガ)を外されるのはゴメンだとばかりに、白旗代わりの重苦しい疼痛をぐいぐいと押しつけてきた。


「…………。何のことかしら? わたしは、間違って足を踏み外して転落なされた、レベッカお嬢様を、救って差し上げただけですけれど? 頭が痛いなら、無駄口なんか叩いてないで、素直に寝てたらいいのに」


 俺の真意を探り当てようとしてか、魔法を観るのに秀でた目を細めて、数秒の沈黙を落としたのち、ペギーは結局、中途半端に誤魔化した返答を寄越してみせた。

 魔力を漏らすまいと、俺が依怙地になっていることくらいしか分からなかったらしい。

 干支一巡り(じゅうにとせ)の歳月をかけて先生(ししょー)に鍛えられた、あらゆる手管を駆使して世界を掌握し尽くそうとする「明かし」としての矜持を、然程(さほど)でも無しと見做された苛立ちが、「読み」の魔法を使わずとも、目の前の少女の優位に立てるぞ、と俺に告げてきていた。

 囁くように甘い、その直感に従って、紡ぎ出したばかりの単語と文節を、俺は淡々と組み上げる。


「悪いけど」


 頭痛を堪えながら、口火を切る。すると、驚くくらい滑らかに、舌も歯も動いた。


「お嬢様といっしょに着地したあたりまでは、俺、きちんと覚えてるんだからな? 背中を押されたことも、《鳥》の魔法で、助けて貰ったことも、両方ともだぞ? なあ。正直に言えよ。――お前さ、どういう積もり?」

「どうって、ポーリャ殿からわたしが詰られる道理なんて、そんなの……あるわけがないでしょう?」

 

 理知的に振る舞い続けていた、ペギーの抑揚が、違う衣を纏い始めたのは、彼女が唇を引き結んだ僅かな合間のことだった。吐息を引き継いだ少女の問いかけは、既にひどく震えていた。


「わかっているのに、尋ねるなんて、やっぱり貴方は……あの人と名前が同じだけの紛い物ね。本当に最っ低。お嬢様もあんたたちも、助けなきゃよかった!」

「――今の台詞、レベッカ嬢にも言えるのか?」

「言えるわ。言えるに決まってる。だって、」

 

 一音節(モーラ)ごとに冷静さをぬぎ捨てていく、ペギーの痛々しげな姿。

 意表を突かれた俺が、釘を差すのを中断してまで挟んだ警告すら逆手に取った彼女は、零れそうになっている菫色の瞳を瞬かせ、呟いた。


「……………言えるわけ、ないじゃない。言えば、あのひとが帰ってくるとでも?」

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