井上岳志、始動
千紗は呆れていた。
井上岳志が球場入りしたのはトレーニング開始のニ時間前だ。
ユニフォームを着て黙々とストレッチを行っている。
「ニ時間もトレーニングするんですか?」
これではおちおち講義も受けられない。
「トスバッティングもしたいな。付き合ってくれよ」
「給料が出るならやりますけど」
「これでも稼いでる。親戚の嬢ちゃんにやる金ぐらいは持ってるつもりだ」
実際には親戚でもなんでもないんだけどなあ、と千紗は苦笑する。
そう思ってもらえるのはありがたいことだ。
千紗をあずきに預けた後ろめたさもあるのかもしれない。
トスバッティングを始める。
千紗は黙々とボールをトスする。
岳志のスイングは今まで聞いたこともない風切り音だった。
凄まじい速度。
思わず、ゴクリと息を呑む。
(この人、魔力使わずにこれなんだよね……?)
思わず、確認する。
皆の憧れによる集団的魔力は感じる。
しかし、本人から放たれる魔力は一切感じられない。
外部からの魔力は身体能力向上に微かに繋がる程度だろう。
体術メインの刹那も体内を魔力循環させる独自の使用法で身体能力向上に結びつけている。
(自力でこれか)
思わず、呆れるしかない。
昨日はダブっとした服を着ていたから気づかなかったが、かなりの筋肉量。
(これは春武にはでかい壁だなー)
同情混じりに思う。
「岳志、来ていたか」
秋田監督だ。
岳志とハグする。
「ようやく巨人に来てくれたか。こっちは高校中退時代のお前にまで声かけてたのにツレナイ奴だ」
呆れたように言う。
「現役時代には間に合いませんでしたが、一緒に汗を流しましょうや。秋田監督の胴上げが俺の至上命題です」
「はは、頼んだぞ。若い奴に負けるなよ」
そう言って、秋田監督は去っていった。
あの人はあの人で一時代築いただけあってオーラが違う。
なんか凄い場所に来ちゃったな、と他人事のように思う千紗である。
これから選手達が来て、もっともっと凄いことになるのだろう。
大丈夫だろうか、自分。
あずきの部屋に置いてあったのを読んだNANA。あんな感じに遊ばれたりしないだろうか。
ちょっとくらくらし始めた。
「慣れるよ、慣れる」
そう励ますように言う岳志である。内心を読まれていたらしい。
「とりあえず千紗は俺のマネージャー兼護衛なんだろ? 頼りにしてるよ」
「はい」
頷いて、少しスマートフォンに目を落とす。
春武にラインを送る。
『井上岳志近辺に魔力の反応あり』
試合時間は刻一刻と近づきつつある。
ファンの中で刺客かそうでないかを見分けることはできるだろうか。
トスバッティングの投げ役をしつつ息を呑む千紗であった。
つづく




