ストレス耐性
千紗が煙草を吸うようになったのはアルバイトをし始めてからだ。
金銭的に余裕ができたからでもあるが、バイト先の人間関係が劣悪だったせいもある。
ストレスのはけ口にと一本吸ったらあれよあれよの間にそれが習慣化してしまった。
今日も千紗はベランダで煙草を吸う。
今日は講義も取っていないしシフトもいれていない。
心の潤う日になれば良いのだが。
最近良かったことは、二十歳を過ぎて親との面会日がなくなったことだ。
あずきが良かれと思って作ったその時間を千紗はストレスにしか感じていなかった。
元気にやっているか、食事は摂っているのか。
そんな質問の数々があずきやアリエルへの当てつけがましくて、こんなことなら知らないままで理想の両親を描いておけば良かったと落胆させられる。
それも終わり、千紗は成人となった。
自分と会う人はもう自分で選べる。
そのはずが、立地と給料が良いという点で今のバイト先に縛られているのはなんの因果か。
(そう言えば、春武は今日が初登校か)
そんなことに意識を意図的にやる。
自分のメンタルコントロールが得意になったのも成人した証か。
(まあなんか餌を吊り下げなくても頑張るでしょ、あの子なら)
そう心の中で独りごちる。
愛が一緒というのが不安要素ではあるが。
(それにしてもあの子達、気づいているのかな)
気づいていないなら大変なことになりかねない、と思うのだが、迂闊に触るのも躊躇われるそんな感覚。
いつの間にか指元まで煙草を吸いきっていた。
携帯灰皿に押し付けて、火を消す。
「千紗ー、また煙草ー?」
あずきが窓を開けて声をかけてくる。
「あんた吸った後凄い煙草臭い。女の子なんだからもっと気にしないと」
「わかったわかった」
苦笑しつつ部屋の中に戻る。
「カレシとかいないの?」
「自分は?」
「もうっ」
あずきは膨れるが、もう初老だ。
ほうれい線が目立つようになったし、白髪染めをしていると聞いている。
自分のせいで婚期を逃したように見えて、少し心苦しい。
「ほんと、あずきこそいい人見つけなよ。いい加減観念してさ」
「私はあんたがいるからそれで十分よ」
ますます心苦しくなる。
逃げるように、家を後にした。
(春武からの誘いは渡りに船だったなー)
今のバイトを辞められるかもしれない。
給与面などは今後交渉していかねばならないところだ。
そしてそのうち、独り立ちしようと思う。
それぐらいのことをしないと、あずきは千紗にかまけてしまうから。
もしもアリエルがいなかったら、と思う。
アリエルが自分をあずきに預けなかったらどうなっていただろう。
あずきは結婚していたかもしれない。
春武の父に未練があるのだとアリエルが悪戯っぽくぼやいたことがあったが、それがどこまで真か。
仕事が楽しいのだとあずき自身が釈明したことがあったが、それがどこまで真か。
二十歳になってもわからないことだらけだ。
(まだまだ未熟……)
そんなことを思う。
多分春武の父やアリエルみたいに天然で他人を気遣える人と、ぎこちなくしか他人に接せない自分の間には見えない壁のようなものがあるのだろうなと思う。
ヤマアラシのジレンマ。そんな言葉を不意に思い出す。
(私が逃げたらあずき寂しがるかな)
それこそ本当に男を捕まえる気になるきっかけになるかもしれない。
アルバイト頑張るか、と探査を開始する。
千紗の得意部門は探査。
アリエルから習った魔術で、狭い範囲ながらも正確に魔力を検知出来る。
経験が浅いからテレビのチャンネルを合わせるように対象の種類を絞らないと探査出来ないのがネックだ。
悪霊憑きのチャンネルに合わせて魔力を絞る。
都庁にいる六華の周辺に悪霊憑きはいないことが確認できた。
電話をかける。
「定時報告。井上六華の周囲に問題はありませんでした」
「ご苦労。引き続き任務に当たれ。異変が起こり次第六階道春武に連絡するように」
「それで、給与面の話なんですが」
「六階道刹那嬢に聞け」
一方的に電話を切られる。
(タダ働きってことはないだろうなあ)
そんな不安に襲われつつも、今日の正午は平和に過ぎつつあった。
千紗は煙草を吸うために、コンビニへの移動を開始した。
(あの子達はどんな昼休みを過ごしているのかなあ)
そんなことに思いを馳せる。
歩きながら見上げるゴールデンウィーク明けの空はどこまでも青かった。
つづく




