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寒くないのか?

 この女は本当なんなんだろう。

 冬も近いのに肩出して歩いてるし。

 寒くないのだろうか。


 その相手と、俺は近所の喫茶店で向かい合っていた。

 俺の姉を名乗るこの女。それなのに俺のことを知らないこの女。

 何者だ?

 そして本当に寒くないのか?


「なによーお茶したいならお茶したいって言ってくれればよかったのにー」


 そう言ってケラケラと笑う年上の女性。

 いかんな、久々に心の中の童貞が怖気づいている。

 この手のタイプの女は苦手だ。

 それまで彼女がそうだと認識していなかったが一旦認識してしまうと居心地悪くなるのが童貞の辛いところである。


「でだ、馬鹿女」


 強気に出てみる。

 相手はむっとした表情になる。


「お前、井上選手のなんだ?」


「だから、姉よ」


「井上選手に姉はいない」


「そうねー」


 そう言って彼女は目をそらすと、髪の一房を指で弄び始めた。


「正確には、血縁上の姉」


「正確にもなにも、血縁上にしか姉は存在しないわけだが」


「ちーがーうーの、種違いの姉よ」


 俺はぎょっとした。

 思考が止まったと言っても良い。

 こんな状態になったのは生まれて初めてだ。


 母に前夫がいた? しかも子供までいた?

 縁を切った相手とは言え正直ショックだった。


 けれども、俺にだって結婚する前にエイミーという恋人がいた。

 初恋同士で結婚なんて中々ないものなのかもしれないが、親世代のそういう生々しい話をされては困る。


「その種違いの姉が……」


 そこで目頭を押さえる。


「どうしたのよ」


「いや、こんな馬鹿女が井上選手の姉だなんて正直現実を受け止めきれなくて」


 よりによってこんなアリエル属の女が姉だなんて。


「あんた井上選手のなんなのよ」


 なんなのよもなにも井上岳志本人だ。


「それで、その種違いの姉が今更なにしに……」


 そこでふと、俺はこれまでのあらましを思い返した。

 急に恥も外聞も捨てて金の無心をしてきた縁を切った両親。

 全ての線が一本でつながる。


「金だな?」


 相手は吃驚したような表情になったが、目を細めた。


「ふふ、大正解。こういう時有名人の姉ってポジションは融通が効くわよね」


 溜息を吐いた。

 なるほど、実の子のためとなればあの母も恥も外聞も捨てるわけだ。


「用途はなんだ?」


 用途次第では貸さんでもない。俺の年俸は一億を超えている。妻も働いているし金に困ってはいない。

 相手は気まずげに目をそらすと、苦笑交じりに言った。


「生活費」


「生活費ならお前の親でも用意できるだろ。てか働いてないのか?」


「いや、元彼氏の生活費」


「はぁ!?」


「私と暮らすために上京してきたんだけど仕事が見つからなくってさ。借金こさえちゃって。流石に悪いかなーと思って私が肩代わりしたの」


「で、その肩代わりを井上選手にさせようと?」


「御名答」


 偉い偉い、とパチパチと手を叩く眼の前の姉。

 俺は深く深く溜息を吐いた。


「ここまで遠出してきて馬鹿らしかった。生活費でこさえた借金ならお前の母親でもその現旦那でも払えるだろ」


「いや、それが闇金に手を出してたらしくてさー」


「はぁ!?」


 二度目の絶叫。

 思い出されるのは大谷翔平選手の通訳である立場の水原一平の違法賭博問題。

 あの時、闇サイドの人間に金を払ったと勘違いされた大谷翔平選手は危うい立場に陥ったのだ。


 俺は頭を抱えた。

 醜聞だ。

 プロ野球選手、闇金に金を支払う。

 一ヶ月はニュースを騒がせそうだ。


「ちょっと待ってくれ。頭のいい奴に来てもらう」


「頭のいい奴?」


「妹だよ」


 そう言って俺はスマートフォンに手を伸ばす。


「アンタのな」


「へっ」


 その時、初めて見せた彼女の放心顔は、迂闊にも無邪気で可愛らしく見えた。



つづく

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