ありがとう
「良かったのか、勉強は」
実家の前で、俺はポケットに両手を突っ込んで六華に聞いた。
「だって、お兄が実家に帰るんだもの。私が橋渡ししないと」
六華は上機嫌だ。
影で気を揉ませていたのかもしれない。それを思うと申し訳ない気持ちになる。
しかし、今更何の話をすれば良いのだろう。
「今更何の話を、と考えておるのじゃろう」
アウラが言う。
「お前は部外者だから遠慮を、とか考えないかなあ」
「発案者は妾じゃ。行く末を見守るのも一興」
「せめてその喋り方どうにかしてくんねーかな」
「わかっておる。お主らの影に入ったことで現代の喋り方は学んだゆえな」
俺は苦笑する。
そうだ、なんだかんだできっかけをくれたのはこいつなのだ。
俺はポケットから片手を出して、チャイムを鳴らした。
数年ぶりに見る母親が、玄関から顔を出して、笑顔で俺を出迎えた。
「おかえり、岳志」
「……ただいま」
「お父さんも待っているわ。話すこと、色々あるでしょ。ゆっくりしていきなさい」
「ああ。長居する気はないけど、近況報告ぐらいは」
「うん。入って入って」
俺達は仏間に通された。
父親は座って、破顔していた。
「岳志。百五十キロ投げるようになったか」
「親父。百五十キロ投げるからってプロになれるとは限らない」
喧嘩別れしたのを忘れたのか。
俺は呆れつつも、気まずい雰囲気にならなかったことに安堵しつつ対面に座る。
「なれるさ。あのコントロール。変化球。今年のドラフトが楽しみだな」
「進学するよ。高認も取ったし内定も出てる」
「それはやめておけ。無能な指導者に酷使されたり、フォームをいじられたりして無駄に歳を重ねるケースがある。お前は知名度もある。生活もエイミーちゃんと結婚すれば良い。プロで駄目でも芸能界で生きていけるさ」
ああ。
俺は天を仰ぎたいような気分になった。
これだ。
勝手にすべてを決めつけて。
俺に婚約者がいることも。
俺が大学進学を決めたことも。
知っている癖に。
自分の決めたプランを全て押し付ける。
それを聞き入れなければ怒り狂う。
袂を分かつしか後には道はない。
六華は俺の心境を敏感に察知したのだろう。真っ青になっている。
父が懲りたものだと考えていたのだろう。
「帰って検討するよ。ちょっと用事を思い出した。今日は悪いけど帰る」
喧嘩別れするよりはマシだろう。
「そうか? 父さんの言ったこと、考えているか?」
「考えているよ」
「後一つ、二人きりで話したいことがある」
「……なんだ?」
六華達が部屋を出ていく。
俺は父と二人きりになった。
何の話だろう。
「有名人になれば変なのがよってくる」
父はもっともらしい表情で言った。
「この前のニュースからずっと気になっていた。あの変な髪の女の子はなんだ?」
アウラのことだろう。
「あれは地毛だ」
「縁を切れ」
父は淡々とした口調で言った。
「これから有名になるお前の枷になるようなことしかしないだろう」
「親父。親父とまた話すように勧めてくれたの、あの子なんだけどな」
「お前に恩を売りたかったんだろう。これからお前が稼ぐ額は常人離れしているだろうからな」
ああ。
天井を仰ぐ。
やはり貴方は俺の才能しか見ていないのか。
縁を切られるのは、貴方だ。
「ありがとう、親父。俺に野球を教えてくれて」
そして、人の勝手さを教えてくれて。
「なんてことはない。お前は結果を出した。それで父さんは満足だ」
結果を出さなかったら?
そんな言葉が喉元まで込み上がってくる。
けど、問う意味はないと思った。
問う価値もない。
俺は心の中で、父を完全に切り捨てていた。
帰ると、俺は遥の部屋に入り浸った。
「実家帰ってきたんじゃなかったの? 仲直りできた?」
「んー? 相変わらずだったよ。さっさと帰ってきた」
そう言うと、遥はなにかを察したのか、俺の背に背を預けて本を読み始めた。
実家にいるような安堵感とはこういうことなのだろうか。
無言の心遣いが心強かった。
そうだ、もう俺は一人ではないのだ。
それが、今は俺の支えになり、両親と精神的に決別する決め手となった。
六華がいる。雛子がいる。あずきがいる。エイミーがいる。アリエルがいる。ヒョウンがいる。アウラがいる。アリスがいる。遥がいる。紗理奈がいる。刹那がいる。皆がいる。
一人でバイトに明け暮れていた孤独な少年はもう救われていた。
(……人間のために命を賭けても、お釣りがくるぐらい恵まれてるよな)
俺はそう、心の中で呟いていた。
つづく




