姫の威厳
男はポケットにナイフを忍ばせていた。
未来に希望を持てなかったのだ。
明るく生活している周囲の人間が許せなかった。
人生など所詮生まれ持ったカードで決まると男は考えている。
カードの違いでここまで人生が違うならば頑張る意味などない。
男は他責思考に取り憑かれ、冷静な判断を失っていた。
しかし、今日も犯行までには及べまいなとも考えていた。
一線を踏み越える自棄っぱちさが男にはなかった。
その前に、一人の少女が立ち塞がった。
変な感覚だった。
少女の方が明らかに小さいのに、まるで見下されているかのような。
「ポケットに忍ばせておるのはナイフか?」
怪しく微笑みながら少女は言う。
口元から犬歯が覗く。
男は背筋が寒くなり、思わずポケットから手を出す。
「俺は、べ、べ、別に」
「隠すことはない。妾は竜じゃ。どちらかと人を狩るものゆえな」
男はそこで顔にクエスチョンマークを浮かべる。
竜? この少女はなにを言っている?
「それにしても無駄に背が高いのう。竜族の姫に対して無礼とは思わんか」
拗ねたように少女は言う。
低い背がコンプレックスなのだろうか。
「跪け」
少女の目が赤く光る。
謎の圧迫感が少女から放たれた。
今にも土下座でもしてしまいそうな。
そんな強迫観念に囚われる。
「うわあああああああああああああ」
正気を失うとはこのこと。
男はナイフを握り直すと、少女に向かって突進していた。
同時に、ほっとしていた。
このくだらない日常にピリオドを打てる。
ナイフが少女の柔らかい肉を切り裂く、かと思われた。
まるで、コンクリートにぶつかったかのように、手がしびれてナイフが手からすっぽ抜けていった。
数歩、後退る。
「聞こえなかったか。跪けと妾は言ったのじゃ」
少女は男の髪の毛を掴むと、地面に叩きつけ、足で踏みにじる。
そして、見上げた男に満足気に微笑んだ。
「そうじゃ、それでいい。立場はわきまえねばならぬものじゃからな」
男はそのまま蹲り、頭が上げられなくなってしまっていた。
そのまま、膠着状態に陥った。
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「あれはスキルだな」
見ていた俺は感心混じりに言う。
「スキル?」
アリスが戸惑うように言う。
「男が跪いて動けなくなっただろう? 威圧感で抑え込んでるんだよ」
「はー、なんて傲慢な……」
アリスのアウラに対する感想は相変わらず辛辣だ。
俺はアウラの傍に歩いていくと、退魔の短剣を取り出して、男を刺した。
退魔の短剣は魔法生物のみを刺す武器。男に取り付いた悪霊はこれにて祓えたわけだ。
「どうじゃ岳志。妾は無傷で男を捕らえたぞ。報酬として東京ドームの観戦チケットを要求する」
「あー、ちょっと手を回して用意してみるよ」
「なんじゃ、確証はないのか?」
拗ねたようにアウラは言う。
「言ったろ、方便は使うって。八割方手に入るから信用しろ」
疑わしげに俺を見るアウラである。
しかし、圧倒的な硬度に多様なスキル。
まだまだアウラには戦力的な魅力がありそうだ。
その夜。
東京ドームで坂本選手の名前を枯れんばかりに叫ぶアウラの姿があったのだった。
「ああいう男が好きなのね」
「言ったろう。妾は強い男子が好きなのじゃ」
俺も野球が得意だって知ったら気に入られるのかなあ。
なんて思って憂鬱になる今日この頃だった。
つづく




