眼力
八月某日。
俺は六大学野球で有名な某大学にお忍びで来訪していた。
サングラスにマスク姿でコソコソと入る。
マンモス大学だなあというのが感想で、夏季休校期間だろうに学生が山程いた。
少し迷子になった後、受付を見つけて、野球部グラウンドに案内される。
俺の来訪は知らされていたようで、すぐに案内すると快諾された。
通されたのは室内ブルペン。キャッチャーと中年男性が三人。それ以外に誰もいない。
六大学。
もしも入学できたなら、俺もエリートの仲間入りだ。
心臓がばくばくしている。
遥になに不自由ない生活を送らせてやれるかもしれない。
そう思うとやる気が出るというものだ。
中年男性の一人が、手招きで俺を呼んだ。
俺は駆け足で、その傍による。
そして、頭を深々と下げた。
「今日はお招きいただき、ありがとうございます!」
「おお、元気やな。元気な子は好きやで」
頭を上げると、俺を呼んだ中年男性は相好を崩していた。
「そんじゃ、肩作って投げてもらおか」
「あ、俺、外野手……」
「ああ、せやったな。斎藤。お前ピッチャーできるかー?」
「中学まではピッチャーでしたよー」
キャッチャーマスクを被る男が言う。
「やったらなにも問題ないな。お互い満足行くまで試そうやないか。まず、肩温めなあかんやろ」
「はい!」
俺はリュックを降ろし、グローブを取り出す。
キャッチャーが硬式ボールを手に持ち、俺をピッチャーマウンドに向かうように促す。
俺はピッチャーマウンドに駆け寄ると、硬式ボールを受けた。
そして、投げ返す。
数度、それを繰り返した。
「おー、伸びるボールやなあ」
中年男性が感心したように言う。
「知名度先行かと思ったら、これは掘り出し物かもしれんなあ」
お、好感度アップ?
俺の胸は弾んだ。
「それじゃ、ストレートから見せてもらおか」
頷いて、投球動作に入る。
振りかぶって、投げる。
鋭い速球がキャッチャーミットに収まった。
「出てますね」
キャッチャーが感心したように言って、投げ返す。
俺はそれを受け止める。
「今うちに来ても二番手にはなれますよ」
「それほどか」
「変化球次第ではありますけどね。伸びとコントロールが抜群です」
「球速はどうやー?」
「百四十六」
「速度としてはそこそこやな」
「独学ですんで……」
俺は小さくなりながら言う。
「独学でこれなら立派なもんやわ。マシントレーニングも導入してないんやろ?」
「導入しようとは思ってるんですけどね」
「中々スペースないもんなあ。うちに来たらマシン使い放題やで。じゃ、しばらく放ってくれるか」
頷いて、ストレートを何球も投げる。
俺の球は、いずれもキャッチャーミットに収まった。
「驚いた。抜群ですよ、コントロール」
キャッチャーが呆れたように言って、ボールを返球する。
「そか」
中年男性の目が光る。
「んじゃそろそろ、変化球、見せてもらおかな」
中年男性は、唇の片端を持ち上げた。
+++
その後、得意な変化球であるフォークとカーブとカットボールを披露し、バッティングも披露した。
得意の外野守備を披露できないのは残念なところだったが、終わり際には中年男性はこう言った。
「お前さん、うちの大学受けえや。便宜、図ったるで」
頭が真っ白になった後、興奮が湧き上がってきた。
それは、合格させくれるということだろうか。
「ただし、条件がある。暇なんやろ? その暇を活かしてマシントレーニングで体作ってこい。ノルマはこっちが設定したる。体壊さんようにコツもきちんと指定したる。それだけや」
俺は頷いて、差し出されたノートを拝領した。
それを宝物のようにリュックに入れると、何度もお辞儀をして、その場を去った。
小走りに建物から出ていく。
宝物を見つけた子供のように興奮していた。
それまで曖昧だった立ち位置の俺が、遥を幸せにできる。
そんな確信が、俺を満たしていた。
家に帰ると、俺は遥の部屋の扉をノックした。
「はいはい、だあれ?」
遥の声だ。
今は、それが愛おしい。
「岳志だ。入っても良いか?」
「ああ、行ってきたんだ。どうだった? 入って良いよ」
扉を開けて、中に入る。
遥は椅子に座って、小説を読んでいる最中だった。
「大成功も大成功。便宜図ってくれるって。うちに来いって」
「ほんとに?」
遥は目を丸くする。
「皆凄いなあ。上手い話過ぎて俄に信じられないけど」
「これで、遥に楽な生活をさせられるかもしれない。俺は、こんなに良い気分なのは久々だ」
そう言って、遥を抱きしめる。
遥はくすぐったげに、俺を抱きしめ返した。
「良かったね。君の人生が認められたんだ」
「それで、だ」
「うん」
童貞の俺にはちょっと荷の重い提案。
けど、今日の俺は、その提案をしようとしていた。
遥の体を離し、その両肩に手を置く。
そして、その目を真っ直ぐに見た。
遥は真っ直ぐに見つめ返す。
「俺達、恋人として、一歩上の段階に進んでみないか?」
それまで、遥が男性恐怖症だったことも考慮して言ってこなかった話題。
それを今、俺は口に出していた。
つづく




