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久々の人間関係上の逆境とかいう奴

 高認試験の待合室に入る。

 待合室には既に多くの受験生がおり、待機していた。

 スマートフォンをいじっている奴もいれば、早速グループを作っている奴もいる。


 中には中年の受験者もいて、人生とは様々なのだなと考えさせられる。

 俺はともかく合格することが最優先だ。遥が作ってくれた必勝ノートに目を通すことにした。


 囁き声が聞こえる。


「あれ、軟式王子じゃない?」


「あ、マジだ」


「高認目指してるって言ってたもんねー」


 茶髪の比率が多いグループだ。

 なんで人に聞こえるように言うかなあ。

 集中力が乱れる。


 野球の試合や戦いの場ならば返って集中できるシチュエーションなのだが、勉強になってはからきしだ。

 本当、勉強って苦手だなって思う。

 そもそも、こんなものなんの役に立つのかわからない。

 遥に言わせれば勉強ができない人のテンプレート的な思考回路だそうだ。


「ちょっとライン聞いてみよっか」


「やめなよー。あの子、お姫様いるでしょ」


「そうだよ、やめとけやめとけ」


 一際でかい声で言う小太りの男がいた。


「あいつが芸能人やVtuberを侍らせてたせいで彼女は引っ越し休学を余儀なくされたんだぜ。最低の遊び人じゃねえか」


 嘲るように言う。

 初対面の人間にどうしてこういう悪意を持てるのだろうと、俺は内心呆れた。

 しかし、覚えがある。

 これは、一人を敵にして結束を謀ろうとする人間の行動。


「俺ならそんな相手最悪だと思うね。俺なら女の間でフラフラする男なんて信用しない。付き合う女も信じられねえぜ」


「そうだな。芸能人気取りでいい気になってんじゃねーか」


 周囲も同調し始めて語気が強くなる。

 俺は、それで冷めた。

 返って集中できるようになった。


 馬鹿らしい、と思う。

 彼らが高校を中退した影響なのだろうか。

 もちろん、高校中退者を全て一緒くたにするつもりはない。俺だってそこで俺の悪口を言っている連中なんかと一緒にされたくはない。

 しかし、今俺を非難する彼らのその歪みは何処から来たか。

 高校で同じ扱いを他者から受けたか。親や世間からの冷たい目か。はたまた教育か。

 いずれにしろ哀れだ。


 最近、前向きに生きる人間達に囲まれて勘違いしていた。

 人間とはこんなにも馬鹿らしい。

 自分を野球部から追い出した奴らを見た時につくづく実感したではないか。


 俺は遥のノートに集中して、意識的に周囲の声をシャットアウトした。

 そうしてしばらくすると、肩をぽんと叩かれた。


「君は立派だね」


 四十に差し掛かるぐらいの男性だろうか。まだ若さが僅かに顔に残る。

 彼は穏やかな表情で俺を見ている。


「僕だったらとたんに集中できなくなるところだ」


「慣れてますから。注目されるの」


「僕はそれが苦手なんだ。他人の視線ばかり気にして生きてきた。こう思われるかもしれない。ああ思われるかもしれない。そんなことを気にして遠回りして、高校も結局中退してしまった。愚かだったと思うよ」


「そうすか」


 今の俺は捻くれた気分だった。勉強に集中したい。

 けど、俺を認めてくれたこの人の話に、少しは付き合ってもよいかという気分にもなっていた。


「君は大学に行ったらなにを学ぶんだい?」


「漠然と、野球をやるんだろうなあとしか」


「それは勿体ない。どうせならスポーツ力学とかそういうのを学びなさい。時間は有限だ。僕は愚かだったが今は違う。遊び呆けて大学生活を終える人間もいる。君を悪く言って結束を深めている人間達はそうやって無駄に人生を浪費していく類の人間だろう。一生、なにかに不満を持って、それを人にぶつけて、一生を終えるんだろうな。けど、君や今の僕は有意義に大学生活を過ごせると思っているよ」


「……ありがとうございます」


 なにかに不満を持って一生を終える。

 それは誰だって一緒じゃないかと思う。

 俺だって不満はある。

 自分に対する不満だ。


 遥を養えない子供である自分への不満。

 怪物達と同レベルの実力に達せない自分への不満。

 未だに退魔師関連の仕事を片付けきれずに周囲に迷惑をかけている自分への不満。


 けど、この人は活き活きとしている。

 本当に、良い人生を生きてきたのだろうなと思う。

 大学に出る出ないが人生の物差しではないのだと、あらためて実感した。


「ありがとうございます」


「お互い、頑張ろう。なに、高校一年生レベルの問題だ。ベストを尽くそう」


「はい!」


 俺は気分転換が出来ていることに驚きつつ、軽い足取りで受験会場に向かって歩き始めた。

 そして、その時嫌な気配を感じた。

 悪霊つきの気配がした。


 気配の元に視線を向けると、さっきの小太りの男が、殺意を持った目で俺を見ていた。



+++



 雛子は部屋でスマートフォンをいじっていた。

 さっきのあずきのアニメ声はリクエストされて出したもので、普段はそんな媚びた声では配信していないということが確認できた。それだけで、少し安心できた。

 しかし、リクエストされたからと言って媚び媚びの声を出すこの家の最年長者というのもどうだろう。


 それは例えるならば、母親がマッチングアプリで女の部分を見せているのを目の当たりにしてしまったような目を逸らしたくなるような気分になる。

 そうだ、あずきは雛子にとって最早母親ポジションなのだ。


 しかし、目が離せない。

 十六歳の美少女Vtuberアバターから、目が離せない。

 流暢なトーク。話題は学を感じさせるものもあれば、時事ネタから映画アニメまで幅広く、唸らされるようなマニアックな知識もある。なにより本領はコラボで見せるコミュニケーション能力にいじりに司会力。

 なるほど、人を魅了するわけだ。


「けど十六歳は無理がないかなあ……」


「なんか言った?」


「ひっ」


 雛子は思わず声を上げた。

 部屋の扉の向こうから、声がした。


「いつからそこにいるの? 雫さん……」


 雫とは、あずきの本名だ。

 雛子が動画を見始めてから数時間。いつからそこに立っていたのだろう。


「なんかね。雛子ちゃんが私の配信を気にしてるって思うとなんか気になって気になって仕方なくってね……それで、見るの辞めてって言おうとしたら、聞こえたの」


 そこで一旦、あずきは言葉を区切る。


「十六歳は無理がないかなって」


 沈黙が流れる。


「そうよね、そうよ……けどね、私もね? 配信を始めた時は十六歳だったのよ? 気がついたら貴女だって私と同じ歳になってるんだから……その頃には私は……私は……ああ……」


 打ちのめされたようにブツブツと呟きながら、あずきは去っていった。

 雛子は怯えのあまり枕に抱きついた。

 雛子にしてみればサスペンスドラマの一シーンだ。


「怖いよう」


 Vtuberの身内バレとはかくも悲惨なものなのか。

 雛子とあずきの受難は続く。



つづく




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