ヒョウン
覚悟を決めて、迷宮に入り込む。
また、あのスタート地点。
初めてここに迷い込んだ時の気持ちを思い出して少し気が滅入る。
しかし、今日は目的があってきたのだ。
アリエルが三つ編みを揺らしながら、ツカツカと歩いていく。
「ヒョウン、出番にゃ」
そう、呟くように言う。
すると、その場に最初からいたかのように剣を腰に帯びた騎士が一人、現れた。
「アリエルか。ケルベロス討伐ご苦労。しかし、我らが主はまだお前の帰還を許してはいないぞ」
「今日はその要件で来たんじゃないにゃ」
「ほう」
そう言って、ヒョウンは顎を撫でる。
「岳志が剣の修業をつけてほしいと言っているにゃ」
ヒョウンの目が愉快げに細められる。
「なるほど」
ヒョウンの手に、剣が浮かんだ。
彼はそれを、こちらに投げてよこした。
「賢明な判断だ、少年。魔術師としての才は確かに目を見張るものがあるようだが、それだけでは悪霊退治には心許ない」
俺はずっしりとした剣の感覚に感動していた。
切れ味は良さそうだし、硬いし、何よりリーチがある。
もうあの心許ない短刀を使わずに済むのだ。
それだけで安堵感がある。
「これ、最初からヒョウンに頼んで剣を分けてもらえば良かったんじゃないのか? 駄猫」
「なんのことかにゃあ」
とぼけやがった。
「抜け、少年。一手教授してやろう」
俺は剣を鞘から抜いた。
ヒョウンも、腰の鞘から剣を抜く。
真剣同士。
張り詰めた緊張感がその場に漂い始めた。
「私は眠いから終わったら起こしてくれにゃ」
台無しだった。
ヒョウンが必殺の呼吸で接近してくる。
しかし、百五十キロのストレートに比べれば遅い。
弾く。
そして、切り返す。
と思ったが、それも安々と弾かれる。
その後、数合結びあった。
「なるほど、なるほど」
ヒョウンはそう言って数歩引くと、剣を鞘に収めた。
「はっきりと言おう」
「はい」
俺も鞘を拾い、剣を鞘に収める。
「君に、剣の才はない」
俺は、足元がガラガラと崩れ落ちるような気分になった。
ここまで人に才能を否定されたのは、勉強以外では初めてだった。
「反応は良い。防御は完璧に近い。しかし攻撃が単調すぎる。相手の隙に最短距離で打ち込む。それだけだ。故に読みやすい。反撃の手を考えやすいというものだ。それではいつか命を落とすだろう」
ここに来て、初めて今まで良い方向にしか働かなかった野球漬けの人生の弊害が出た。
野球の打撃はミートポイントへの最短距離へのスイングの反復運動。
それが単調な攻撃に繋がっていると言われればぐうの根も出ない。
「けど、俺は戦わなきゃいけないんです! 勝たなきゃいけない相手がいるんです!」
同級生が見せた闇。
あの部を覆う暗澹とした空気の根っこがあれならば、俺はあれを取り除いてやらなければならない。
でなければ、第二、第三の俺が生まれてしまうだろう。
もしかすると、親友だった彼が狙われてしまうかもしれない。
「ふむ……」
ヒョウンはそう言って、顎に手を当てた。
「ならば、武装を変わり種にしてみるか」
そう言って、ヒョウンは指を鳴らす。
その途端に、俺の腕にあった剣は消え、代わりに短刀の二刀流が手に持たれていた。
重い感触はなくなったが、その分俊敏に動けそうだ。
「敵の弱点への最短距離の連続攻撃。ふむ、これは中々に脅威かもしれないな」
とぼけた調子でヒョウンが言う。
「ありがとうございます!」
俺はヒョウンに頭を下げた。
「にゃっ!?」
俺の大声に驚いて寝ていたアリエルが上半身を浮かした。
「終わったにゃ?」
「んにゃ、ここから実践」
「傍迷惑な。戦うならもっと静かにやってくれにゃ」
「無茶言うな」
その言葉は、俺とヒョウンの口から異口同音に発せられたのだった。
この駄猫への感情なんて皆似たりよったりなのかもしれない。
続く